Groovista Blog

Copyright©2006-2010 Groovista All rights reserved

期待しすぎ?

2011年06月30日 | 

文庫化を待ち望んでいた【 のぼうの城 】をついに読んだ。

うーむ。なぜそんなに売れているのかわからん。

エンターテイメントというには浅い。軽い。

それと、たまに現代に連れ戻す(”現在は〇〇市のどこどこあたり”とか)時代小説は好きじゃない。

作者は身近に感じてもらいたいのかもしれないが、折角入り込みそうになっても腰を折られるんだよね。


記事のタイトルを入力してください(必須)

2011年06月26日 | 日々の生活

行ってきました新しくなった大阪駅ビル。時空の広場の大屋根が、空港みたいでカッコいい。

商業施設には、そそる雑貨屋が色々入っております。

周りも再開発進む。

ちょっと歩きすぎて今日は筋肉痛。

 

で、今日は芦屋のグラウンドで芦屋のラグビースクールと定期戦。

暑い中、20分の試合2本、結構子供たちはクタクタ。

相手は人数多かったけど、こちらは体調不良や怪我で人数不足。

ま、でも負けは負けやな。

今日は、僕と息子だけで行った事もあって、帰りはくら寿司で楽しむ。つかれた。


ムヒ、ムヒ、ムヒちょーだい。

2011年06月25日 | 日々の生活

毎年の事になっているが、昨夜、僕が帰るまえにムカデが出たよう。

すでに遅い気もするが、裏のフェンスとの間の草むしりと忌避剤散布の特命が下る。

もっと早くやらなあかんのは解ってたのよ。でも体が動かなかったの。

これが家の仕事で一番嫌な仕事。

蚊にたかられながら狭い隙間の草を抜いていく。何が出てくるかわからない恐怖。

首筋に何か触った気がして、ひとりでビビッて見たり。

何とか終了。したと思ったら、去年のヨシズを捨てる為に鋸ででカットしなければならない。

これが、また恐怖なんだよね…。

 

今日は子供は子供会のイベント、嫁さんはその引率。

僕は、シャワーを浴びて、汗だくになったシャツを替え、今から友達と遊びに行ってきます。


最近の若い奴。

2011年06月23日 | 日々の生活


寝苦しー。昨日会社で、名前の漢字を英語で説明する話になって“岡"ってどんな意味って話になった。
僕が岡場所くらいしか単語が思いつかんと言ったら、“岡場所ってなんですか”ときた。
まあこれはしょうがないと思って、ほら、昔の吉原とかさ、と言ったら、吉原ってなんですか?と。
えーっとほら遊郭のと言ったら、遊郭ってなんですか?と、話通じなさすぎ(笑)。僕がおかしいのか?
ちなみに正確には吉原のような遊郭に対して、
私娼を集めた歓楽街が岡場所であって吉原とは相対する物のようです

昨夜は写真とってブログ書く元気なかった。

2011年06月20日 | 日々の生活

この、子供からもらった物入れてるファイルも結構いっぱいになってきたな。

 

子供たちが元気でいてくれれば、何もいらない、と思っていても、

こうやって父の日に色々やってもらうと嬉しい。

今年は、この他に、iPodのスタンド(吸盤のやつ)と、″仕事が遅くなった時に食べて”とミニピザポ。

晩御飯はガッツリ飛騨牛の焼き肉。仕事頑張るよ。


じっとこちらを見ている。

2011年06月19日 | 日々の生活

実家の庭先に現れた蛇が密集した葉の間から僕を見ている。

木の中に入ったら見えなくなるのがすごい。じーっと探していると、

思いがけない近いところから顔を出していたりする。爬虫類は美しい。

 

実家で曾祖母の50回忌があったので、土日で帰ってきた。

50回忌。亡くなったのは僕が生まれる大分前である。

集まった伯母たちも年をとり、もちろん両親も僕の兄弟、妻たちも年をとり、

そして、新しい命も生まれてきている。

すべて、ご先祖様が一生懸命に生きてきたおかげです。

しかし、料理おいしかったー。


週末バタバタと。

2011年06月12日 | 日々の生活

昨日の土曜日は、授業参観。娘は家庭科、息子は国語。

娘はまぁ慣れたもんだけど、息子は小学校初めての参観でちょっと恥ずかしそう。

その後、おじさんの家へ野菜を山盛りいただきに行ったり、お買い物したり。

晩は、友人たちと3者間ビデオチャットに挑戦したがうまくいかず(笑)。

 

今日、日曜日はラグビー。

そして、午後には、やーっと娘の机が納入。4か月かかったけど良い感じ。

家を買って何年も経つけど、2階はほとんど寝るだけ。

そろそろ、娘の部屋も作っていかないとね。


こんな時代、こんな世界。

2011年06月09日 | 

やっと読み終わった、【 沈まぬ太陽 】。なかなかの重さ。救われんなぁ。

正直者がバカを見るというのは、世間やニュースを見ていればわかってくるけど、

それでもなかなか悪いことはできないし、小さな幸せを見つけて生きてゆかなくてはならない。

フィクションであれば面白いけど、ほぼノンフィクションと言われると、無力感というか、

自分ではどうにもならない、大きな力に流されるしかないという気持ちになってくる。

それが現実としても、希望を見出すことのできない小説や映画に存在意義はあるのかと思う。


さらに、この焼けるような時代の空気に対し、

現代はやはり無機質で無気力なのではないかと考えさせられ、

また、それも時代かと諦めに変わる。


久しぶりのカテゴリ、ギフト。

2011年06月06日 | ギフト

春慶塗をネットで調べていたら、テレビで漆塗りの学校のCMが。

 

実家へ帰るたびに、シャッター街化した地元の商店街なんかをみて、何とかならないものかと考えたりする。

飛騨の伝統工芸で美しいものと言えばやはり飛騨春慶。

しかし、トラディショナルな形ばかりで、値段も高く、買おうという気にはならない。

これ、なんとかできないもんかなーと考える中で、春慶を調べていたんだけど、

すでにこんなプロジェクトが。そうそうたる(マジで)メンバーで、どれもが美しい。手に取って感触を確かめたい。

しかし、高けーなぁ。しかも手入れが大変そうだし。

これはこれで売れてるんだろうけど、違う視点がある気もする。その視点がみえない。