10月30日 愛媛県松山市にある。別名 湯月城
室町期以降、伊予国守護所として河野氏の伊予統治の中心となった。戦国期の天文4年(1535)に温付堀(外堀)を築造し、2重の堀をめぐらし堅固な城となった。湯築城は秀吉配下の福島正則が伊予の大名として入部したのち廃城となる。現在は発掘の成果に基づき武家屋敷や土塀、道路、排水溝など復元されている。
湯築城資料館 発掘調査の概要や河野氏の歴史、城内の武士の生活についてや出土遺物を展示。
湯築城は石垣や天守は無く、地形を利用して作られた平山城です。
外堀・外堀土塁
武家屋敷1 建物内には、当時の生活の様子や調度品など再現している。
武家屋敷2 建物内は中世の道具類や職人の活動、遺跡など紹介している。
内堀土塁
遮蔽土塁
庭園区・上級武士居住区