オグリキャップが7月3日、北海道新冠の優駿スタリオンステーションで亡くなった。
25歳というから、馬生は全うしたといえるだろう。
私はオグリキャップには5回会っている。
平成元年の天皇賞秋(優勝スーパークリーク、オグリキャップ2着)
平成2年の安田記念(優勝!、ヤエノムテキ2着)
平成2年の天皇賞秋(優勝ヤエノムテキ、オグリキャップ6着)
平成2年の有馬記念(優勝!、メジロライアン2着)
そして、たぶん平成4年の夏、優駿スタリオンステーションにて。
そんなに競馬場には行かない私にとって、同じ馬にこれだけ会いに行ったのはオグリキャップだけである。
家にはこんなものも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/4c/065c13b77d3135ecf455ac43e6c7ce7b.jpg)
まあ、オグリぬいぐるみは今でも大勢の人が持ってますよね。
ホントの私の宝物はこちらです。
ジャーン![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0184.gif)
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![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4c/eb/c6a5196ec42557f8b6f8075263d021ce.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1e/50/e46671ff2346abf5caa10e3425210b81.jpg)
引退レースとなった平成2年有馬記念翌日の日刊スポーツとサンケイスポーツ。
今でもとっていました。
20年近くたちますが、ホントついこの間のようです。
ちょっと思い出を語りたいと思います。
オグリキャップは同じ地方競馬から中央入りしたハイセイコーと並ぶ希代のアイドルホースといわれていますが、実は最初からファンに愛されていた馬ではありませんでした。
3歳春に中央入りして毎日王冠まで重賞6連勝を記録しますが、馬主が代わったりして、何かダーティなイメージが最初はありました。もちろん馬自身には関係ないことですが・・・
そんな、最初はファンに愛されていなかったオグリキャップは、自身の走りで競馬ファンを一気に惹きつけることになります。
有馬記念以来9ヶ月ぶりのオールカマーから怒涛の連戦に挑みます。
中2週で毎日王冠に出走。歴史に残るイナリワン、メジロアルダンとのたたき合いを制して1着。
中2週で天皇賞秋に出走。ライバルのスーパークリークを追い詰めますが、2着に敗れました。
次はジャパンカップと思われましたが、中2週でマイルCSに出走し、絶対絶命の位置からバンブーメモリーを内からハナ差交わして優勝。この時の関西テレビ杉本清さんの実況も素晴らしかった。
そして、まさかまさかの連闘でのジャパンカップ出走。まるで、無謀極まりないローテーションに関係者への批判が集まりますが、オグリは歴史に残る芝2400mの世界レコード2分22秒2というタイムでホーリックスの頭差2着に激走します。
この怒涛の5レースがオグリの競走馬生のハイライトだったでしょう。周囲の人間の無謀さをあざわらうように、オグリ自身がファンの信頼と愛を勝ち取ったのでした。
その後、翌年の安田記念に勝ったものの、4歳秋の無理使いの反動もあったのか、オグリの走りは次第に輝きを失っていきました。
そして、もう無事に走って引退してほしい。もう期待するのはやめようと思った最後の有馬記念。私もその瞬間を見届けようと中山競馬場の17万人の1人となっていました。
そして、オグリキャップは勝ちました。
有馬記念の勝ちタイム2分34秒2は、同日の同じ芝2500mの条件戦より遅いタイムだったのも覚えています。
もう4歳のジャパンカップの時のような走りが出来なくなったオグリキャップが、精一杯の走りをして、きっと神様がオグリに最後にご褒美をあげたのだろう。私はそう思いました。
オグリがターフを去った翌年、アメリカからサンデーサイレンスが種牡馬としてやってきます。種牡馬同期生のサンデーサイレンスが日本競馬界に偉大な足跡を残したのと正反対に、オグリキャップは見事なまでに種牡馬としては何の実績もあげられませんでした。それもまた、オグリらしかったといえると思います。
まだまだ、オグリキャップの思い出はありますが、今日はここまで。
25歳というから、馬生は全うしたといえるだろう。
私はオグリキャップには5回会っている。
平成元年の天皇賞秋(優勝スーパークリーク、オグリキャップ2着)
平成2年の安田記念(優勝!、ヤエノムテキ2着)
平成2年の天皇賞秋(優勝ヤエノムテキ、オグリキャップ6着)
平成2年の有馬記念(優勝!、メジロライアン2着)
そして、たぶん平成4年の夏、優駿スタリオンステーションにて。
そんなに競馬場には行かない私にとって、同じ馬にこれだけ会いに行ったのはオグリキャップだけである。
家にはこんなものも
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/4c/065c13b77d3135ecf455ac43e6c7ce7b.jpg)
まあ、オグリぬいぐるみは今でも大勢の人が持ってますよね。
ホントの私の宝物はこちらです。
ジャーン
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/m_0152.gif)
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引退レースとなった平成2年有馬記念翌日の日刊スポーツとサンケイスポーツ。
今でもとっていました。
20年近くたちますが、ホントついこの間のようです。
ちょっと思い出を語りたいと思います。
オグリキャップは同じ地方競馬から中央入りしたハイセイコーと並ぶ希代のアイドルホースといわれていますが、実は最初からファンに愛されていた馬ではありませんでした。
3歳春に中央入りして毎日王冠まで重賞6連勝を記録しますが、馬主が代わったりして、何かダーティなイメージが最初はありました。もちろん馬自身には関係ないことですが・・・
そんな、最初はファンに愛されていなかったオグリキャップは、自身の走りで競馬ファンを一気に惹きつけることになります。
有馬記念以来9ヶ月ぶりのオールカマーから怒涛の連戦に挑みます。
中2週で毎日王冠に出走。歴史に残るイナリワン、メジロアルダンとのたたき合いを制して1着。
中2週で天皇賞秋に出走。ライバルのスーパークリークを追い詰めますが、2着に敗れました。
次はジャパンカップと思われましたが、中2週でマイルCSに出走し、絶対絶命の位置からバンブーメモリーを内からハナ差交わして優勝。この時の関西テレビ杉本清さんの実況も素晴らしかった。
そして、まさかまさかの連闘でのジャパンカップ出走。まるで、無謀極まりないローテーションに関係者への批判が集まりますが、オグリは歴史に残る芝2400mの世界レコード2分22秒2というタイムでホーリックスの頭差2着に激走します。
この怒涛の5レースがオグリの競走馬生のハイライトだったでしょう。周囲の人間の無謀さをあざわらうように、オグリ自身がファンの信頼と愛を勝ち取ったのでした。
その後、翌年の安田記念に勝ったものの、4歳秋の無理使いの反動もあったのか、オグリの走りは次第に輝きを失っていきました。
そして、もう無事に走って引退してほしい。もう期待するのはやめようと思った最後の有馬記念。私もその瞬間を見届けようと中山競馬場の17万人の1人となっていました。
そして、オグリキャップは勝ちました。
有馬記念の勝ちタイム2分34秒2は、同日の同じ芝2500mの条件戦より遅いタイムだったのも覚えています。
もう4歳のジャパンカップの時のような走りが出来なくなったオグリキャップが、精一杯の走りをして、きっと神様がオグリに最後にご褒美をあげたのだろう。私はそう思いました。
オグリがターフを去った翌年、アメリカからサンデーサイレンスが種牡馬としてやってきます。種牡馬同期生のサンデーサイレンスが日本競馬界に偉大な足跡を残したのと正反対に、オグリキャップは見事なまでに種牡馬としては何の実績もあげられませんでした。それもまた、オグリらしかったといえると思います。
まだまだ、オグリキャップの思い出はありますが、今日はここまで。