絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

国語力!?

2006年06月02日 23時09分33秒 | 子ども
下の子が、小学1年生のときのことだった。
漢字一文字クイズの宿題をやっていたので、見ていたら・・・
『角(つの)があるけど優しくて、おっぱいの出るものなあ~~に?』
という問題に、子どもは躊躇なく『母』と書いていた
(正解は、『牛』)

その子が去年のはじめ(4年生)国語のテストで間違えたといって
帰宅しても憤慨している。
何を間違えたかと聞くと、「次の中から適当なものを選びなさい」という
問題で、悪いもの・当てはまらないものを選んだという。
どうしてそんな反対のことをしたのかと聞くと、
「だって、お母さんたち怒るとき『また、そんな適当なことして!!』って
 言うから、『適当なもの』はいけないものかと思ってた」と
バッサリやられてしまった。。。

嗚呼、自分の常日頃の言動の悪さよ、情けない
これからは気をつけよう。子どもに詫びることしきり・・・

「須磨の昔」

2006年06月02日 18時20分50秒 | 一絃琴
履修の曲のなかでもとくに気に入っている曲です。
作詞作曲とも、真鍋豊平。

伝説の須磨琴の話はさておき、
一絃琴中興の祖といわれる僧「覚峰」の考えと
幕末~明治にかけて沢山の曲を作った、この真鍋豊平の頃の考えとは
必ずしも合致しないのではと思います。
さらに時代が下り、名曲『伯仙操』をかいた徳弘太むは、
また真鍋とは違う考えだったでしょう。

一絃琴を語るとき、この三つの異なった時代と考えが
ごっちゃにされることが多いように思います。
あるときは真鍋の考え、またあるときは覚峰の・・・と
一定性がないようです。。。

『須磨の昔』は、須磨琴の伝説の君を思い歌う曲です。
この曲だけでなく、真鍋の作った曲をみると
このひとが、高音から低音までを自由に駆使して
歌える人だったのではないかと思えます。
高音の響きがとくに美しいです。
この曲の後半部分、伸びる声の男性であれば
非常に美しい情景を描くことができるでしょうねぇ。
(女声より男声のほうがいいように思います)
「松の 木蔭や 須磨の 浦」の部分、
歌という耳で聞く音でありながら、同時に非常に絵画的であるのが
不思議です。。。

艱難辛苦

2006年06月02日 01時25分01秒 | Weblog
なにか困難なことに対峙したとき、
なんとかしてそれを克服しようと、過去の経験やら思考やらが
頭の中をぐるぐると駆け巡る。
大したこと任されてもいない立場の自分は
そういうこともないのだが、全くないというわけでもない。
たま~~~に、真剣に取り組まないと方法の見つからないとき
そんなときは、なぜか、体中をアドレナリンが駆け巡り元気になる

変態かと思っていたら、
自分と全く同じようなことを話している人をテレビで見た。。。
それは、楽天の社長だった。
でも向こうは億万長者、こっちはビンボー

いろいろと難しいときには、三段階くらい方法を考えておくべきだ。
どの方向から責めこまれても対応できるような理屈は常に持っていなければ
何か新しいことを興すのは無理である。
仕事上でも、なんでも、「ないないづくし」のとき
なければつくってしまえばいい、というのが自分の考えなので
これを言うと、大抵の「~~だからできない」といって
やらないことを大前提としている人は、足元を突き崩される。
(しかし、いつも上手くいくとは限らないが)

西部邁が著書の中で「ディベート」について
『相手の理屈を論破するには、相手が神としているものを突く。
 そうすれば、相手は寄ってたつところを失う』と書いていた。
会議などでは、当然話し合いで決着しているかのように見えるが
あれは幻影で、実はイニシアチブを譲った方に納得などはなく
実際は言い負かされて、しぶしぶ承知させられているだけなのだ。
一人の人間が何十年か掛けて作り上げてきた思考回路を
たった1,2時間の会議で、変更できるはずはないのである。
その「しぶしぶ承知」を『納得』と相手に思ってもらうには
相手が拘っていること=相手にとっての神、が
実はそうではない、拘る必要のないものだったかも・・・と
気づいてもらう必要がある。
それが、西部邁のいわんとするところなのだろう。

・・・と、偉そうなこと書いてますが・・・
そんな真剣勝負の話し合いなんて、
全然無縁のところにいる私なのだった。。。


江戸時代の終焉

2006年06月02日 00時14分37秒 | Weblog
三重幕末維新戦記―藤堂藩・桑名藩の戊辰戦争

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いま読んでいるのはこれ。
幕末を生きた武士たちの苦悩が浮かび上がってきて
なかなか興味深い。
歴史も、年表の暗記のような大事ばかり取り上げず、
名もない人々がどんなふうに暮らし、どんな感情でその時代を生きていたか
具体的なことがらを知ったならば、きっと時の川を越えて
いにしえの人の語る声が聞こえてくるに違いない。。。
(江戸時代にすでに「ギフト券」や「食券」みたいなのがあって
 お礼などに使っていたのにはびっくりした・・・これは別の本ですが)