絹糸のしらべ

一絃の琴、きもの、文学etc…日本人のDNAが目を覚ます・・・

艱難辛苦

2006年06月02日 01時25分01秒 | Weblog
なにか困難なことに対峙したとき、
なんとかしてそれを克服しようと、過去の経験やら思考やらが
頭の中をぐるぐると駆け巡る。
大したこと任されてもいない立場の自分は
そういうこともないのだが、全くないというわけでもない。
たま~~~に、真剣に取り組まないと方法の見つからないとき
そんなときは、なぜか、体中をアドレナリンが駆け巡り元気になる

変態かと思っていたら、
自分と全く同じようなことを話している人をテレビで見た。。。
それは、楽天の社長だった。
でも向こうは億万長者、こっちはビンボー

いろいろと難しいときには、三段階くらい方法を考えておくべきだ。
どの方向から責めこまれても対応できるような理屈は常に持っていなければ
何か新しいことを興すのは無理である。
仕事上でも、なんでも、「ないないづくし」のとき
なければつくってしまえばいい、というのが自分の考えなので
これを言うと、大抵の「~~だからできない」といって
やらないことを大前提としている人は、足元を突き崩される。
(しかし、いつも上手くいくとは限らないが)

西部邁が著書の中で「ディベート」について
『相手の理屈を論破するには、相手が神としているものを突く。
 そうすれば、相手は寄ってたつところを失う』と書いていた。
会議などでは、当然話し合いで決着しているかのように見えるが
あれは幻影で、実はイニシアチブを譲った方に納得などはなく
実際は言い負かされて、しぶしぶ承知させられているだけなのだ。
一人の人間が何十年か掛けて作り上げてきた思考回路を
たった1,2時間の会議で、変更できるはずはないのである。
その「しぶしぶ承知」を『納得』と相手に思ってもらうには
相手が拘っていること=相手にとっての神、が
実はそうではない、拘る必要のないものだったかも・・・と
気づいてもらう必要がある。
それが、西部邁のいわんとするところなのだろう。

・・・と、偉そうなこと書いてますが・・・
そんな真剣勝負の話し合いなんて、
全然無縁のところにいる私なのだった。。。


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