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つむじ風通信

「信州うらの畑」へようこそ!松代町は長芋の産地で歴史の山、妻女山(斎場山)は我が里山です。

ぼたん雪舞い「斎場山古墳」も見えず。

2008-01-29 15:27:42 | 気まぐれ雑記


長野県北部、今日は朝から細かい雪が降っていて午後には気温のわずかな上昇と共にぼたん雪になり写真にも写るほど次から次へと天から落ちてきています。北海道以外全国的に天気が悪い様です。(寒すぎる~!)

かすんで見えてる山のその上が斎場山脈の山頂でもあり古墳になるのですが、雪の白さでぜんぜん望む事は出来ません。信州のスキー場などはパウダースノーでここ数年増えているという外国人観光客で賑っている事でしょう。冬期オリンピック以降、特に白馬・安曇地域は長野県内でも経済が落ち込んでいたようなので、このスキー始め冬のスポーツと温泉でもっと誘客をし地域の活性化につながればと思っています。(昔は白馬の新雪も滑ったりしたんですけど、どうもいまひとつ上達しませんでした)

今年も温暖化の影響で暖冬になるのかと思いきや、年明けの暖かさもあってこのまま春になっていくのかと思ってしまうくらいでしたが、1月中旬頃からグッと気温も下り冬景色一色になってしまいました。やはり春はまだまだ遠かったです。(頭を出したふきのとうも引っ込んでしまいました)

こんな寒い日々が続くと、やっぱり鍋料理が良いですね。変り鍋など考えてバリエーションを増やしていきたいです。そしてこの松代町お薦めの新しい料理も考えたていきたいですね。(まったくの個人的発想ですが、中・南信のジビエ料理に対抗出来るか、蜂の子、ざざ虫料理を超えるものがほしいです)

(川柳)氷点下 エコを実践  湯たんぽで     FUKI



長野マラソンコースでウォーキング

2008-01-27 16:22:08 | 気まぐれ雑記


冬晴れの一日、又何日振りかのウォーキングに出かけました。今日は4月に行われている、長野マラソンコースの終盤に近い千曲川の堤防を赤坂橋を渡り川を左手に見ながら歩きました。(新赤坂橋の工事が休日も行われていました)途中土手の上から東方面の松代町内を望みます。手前は桃畑で写真中ほどにその桃尻形に見えるのがその昔「松代群発地震」の震源地となった皆神山になります。その北側一帯には、それを起源とする松代温泉がありますがほんの数件の入浴施設があり、その泉質は全国でもまれに見る多くの成分が含まれていて又真田を中心とした歴史の町でもあるので、長野市の奥座敷的な雰囲気をかもし出しています。善光寺や北信濃への旅行の出発地点や宿泊地として訪れていただけると地域も活性化するのではないかと思っています。

今長野県では「かがやき国体」が開催されていて、長野駅周辺では通常よりは活気があるようです。11年前の冬期オリンピックの様な混雑はこの先二度と無いと思いますが、来年の御開帳などには全国からの参拝で参道も賑う事でしょう。それにこの頃海外の、特にオーストラリアや韓国からのスキー客が増えている様で、志賀高原や白馬などは第二のニセコの様に活気づいているという話を聞きます。地獄谷野猿公園ではライブカメラをたまに見ても、白人の観光客が多く訪れているのが分かります。ほんの11年、オリンピック前には市街地でもめったに外国人観光客の姿はありませんでしたが、ここ2~3年でぐっと増加をしています。サービス業に携わる人達には英語を話せる必要性が出てきていますね。

観光産業の落ち込みはレジヤーの多様化もありますが、景気が落ち込んでいるのも大きな要因としてあります。地方まで足をのばしてもらうにはやはり特徴的な条件がなければ集客出来ませんが、長野のスキー場はパウダースノーで雪質も良いのでそれが一番の貴重な自然からの財産だと思います。(今、白馬のスキー場で撮影した映画「銀色のシーズン」が上映されています。日本アルプスの雄大な山々を見るだけでも一見の価値はありそうです)

1時間ほど歩いて対岸の土手に渡りました。日曜日という事もあって散歩やウォーキング、ジョギングなど何人かの人に追い抜かされすれ違いました。昨日長野メルパルクでのイベントに行ったおり、スーパーJチャンネルのキャスター小宮悦子さんもウォーキングとたまのジム通いで体力をつけていると話していました。(来県されていた皇太子ご夫妻にはお目にかかれませんでしたが、駅や東口の白バイ隊や警備は凄かったです)

次回は別ルートで西南に向かい歩いて行こうかと思っています。
それにしてもこんなところまで湘南や相模ナンバーの車が千曲川沿岸の猟に来るなんてビックリです。

(川柳)猟犬に  追われて狐が  猛ダッシュ

    猫柳  芽吹きも戸惑う  朝の冷え       FUKI






林道「倉科線」から須磨子の墓参りへ

2008-01-19 20:58:14 | 気まぐれ雑記


温暖化とはいえ、今は一年の中で最も寒い季節です。ここ長野県長野市の南に位置する松代町の西方でも、連日氷点下の朝を向えています。私が小学生だったウン十年前は氷点下15度とか20度近くまで下った朝もたびたびあったような気がします。当時は体重が軽かったので登校途中に30センチほど積った畑の雪の上を歩いて通ったり、今では高山や北海道などでしか見られなくなってしまったダイアモンドダストの発生も普通に見受けられました。

お餅の食べすぎと農閑期の運動不足で、現代病のメタボリック症候群になりかけているので10時過ぎに一度は歩いてみようと思っていた妻女山(赤坂山)から東への林道「倉科線」を通り抜けるために家を出ました。始めの写真は林道を10分ほど入った場所から北側の景色を撮ったもので、手前から清野小学校、高速道、新・旧赤坂橋、長野市街地方面が見えます。



林道の日陰は圧雪になっていて、注意して歩かないといけなくて又、日当たりのある場所ではまったく雪がなくその繰り返しが続く山道でした。この写真がほぼ中間地点の峠にあたる場所で、赤松と雑木林がありさしずめ時代劇ならば茶店が立っていそうで団子でも食べてお茶でのどを潤おし一服していこうと思わせる雰囲気がありました。ここからは下りだけの林道になり実際は茶店もないので、5分ほど休んで先を急ぎました。



林道の入り口からほぼ1時間30分ほどの場所で、さっき登ってきた妻女山方面が見えます。中央あたりの白く見えるものは、野菜用のビニールハウスです。ここまでの間、昨日からの雪の後、車や犬をつれた人の足跡が付いていてたまには通り抜けする人もいるんだと思いましたが、この林道は道幅も狭く清野側東の方に行かないと車のすれ違い場所も無いのでなるべくだったら歩きかバイクがいいでしょう。でも出入り口に林道通過の注意を促す看板がありましたが、その下にこの林道を通行するには許可が必要と書いてありました。えぇ~!!!知らなかったし、そんな市か県の関係部署に連絡して通る人なんて聞いた事がないけど・・とビックリしました。ただこの一帯は熊の生息エリアなので、十分に遭遇する危険がありますので注意が必要です。今回私達も冬で熊は冬眠中と思われますが、一応鈴を付けて山に入りました。




やっと清野の東側、越地区に下りてここで林道を抜けました。山の途中から竹林が多く見られ、我が里山の妻女山(斎場山)とは大分景色が違うなと感じました。ここから前回は松井須磨子のお墓にたどりつけなかったので今回は見つけようと、山際にそった道をそのまま歩いて行くとほどなく案内看板がありすぐ曲がって入った路地の角に須磨子の生家の小林邸がありました。玄関入り口の軒下に真実の須磨子に関する本と、本人直筆の拓本がありますとの案内が石に刻まれてありました。

その生家の南側山手に小林家のお墓があり、須磨子の写真入りの墓石もその中の一段高い場所にありました。須磨子は本格的舞台女優では日本初の人であり、地域の有名人であるはずですが、その人生と最後の幕引きがあまりに劇的なので、地元の間では長年地味~で忘れられた存在のようです。でもこのお墓には有志での供養する会もあるようで先日も供養がここで行われたという話です。又、女優でも関連の舞台などをやった人は訪れているようです。なにでもある意味その世界での先駆者というのは凄い事ですね。



最後の写真は象山のすぐ北に位置する小山?の上に建つ離山神社です。鳥居だけやけに新しいと思ったら、近くの会社が平成元年に寄贈していました。その入り口に戌の満水で当時この高台に地域の住民が避難してきて、大変な混雑だったとの言い伝えの説明看板がありましたが、なんとこれが民話となっておりこれは事実の歴史だろ!とひとり突っ込みを入れてしまいました。昔の人々によって言い伝えられてきたという話だとしても、その看板の表現には違和感を感じてしまいました。



このあとは象山神社に御参りをしいつもの蕎麦屋「沙羅樹庵」に行ってお昼を食べ、スーパーに寄り少し買い物をしてから松代城の横を通り帰路につきました。よほど歩いたような感じでしたが、全行程3時間半ほどのウォーキングでした。明日から又、天気が悪いようなのでしばらくは歩けないかもしれません。そういえば今日は私の誕生日ですが、もう嬉しがる年齢はとうに過ぎたのでケーキも無く過ぎ去っていきそうです。


(川柳)歩いたら  いつもと違う 目線の風景

    鴨たちが  すいすい水辺の  昼下がり    FUKI



ウォーキング、「林正寺」まで行きました。

2008-01-10 15:23:33 | 気まぐれ雑記


新年に入って気がつけばもう10日になってしまいました。年末年始の食べすぎと運動不足で、体重も増加傾向です。週末から冬型の気圧配置に戻るようで雪が降りそうなので、悪天候になる前に2時間弱のウォーキングをしてきました。始めは松代城目指して歩くつもりでしたが、途中で清野にある日本初の本格的舞台女優松井須磨子のお墓でも御参りしようかという話しになり、急きょ途中から国道403号線を右へ折れひたすら山方面に向かって歩きました。でもそのお墓がどこにあるか詳しく知らなかったので、途中で道端にいたおばあさんに聞いてたどり着いたのが写真の「林正寺」です。本堂までの道すがら参道左手にカチューシャの歌碑が建っていました。明治生まれで姉を頼って東京に出たようですが、生涯2度の結婚と最後は島村抱月が病死したので後追いをしてしまいました。今ならば芸能界での大スキャンダルですが当時も大分話題になったようです。

この本堂の裏手に墓地があったので、そこかと探しましたがどうも須磨子のお墓は見当たりません。家へ帰ってから父母に聞いたら生家とお墓はそれよりもっと東の集落の越という場所だと分かりました。清野の地名は妻女山(斎場山)を中心とした古墳時代からの清めの野がその由来とも聞いています。近くの生まれですが、清野も途中までしか来た事がなく集落の中もほとんど知りませんでした。

その清野から南に見える鞍骨山を望む尾根一帯が次の写真です。一昨年の31日に鞍骨城まで歩いた尾根の稜線が、冬枯れのおかげではっきりと見る事が出来ました。写真のほぼ中央の高い所が鞍骨城です。

次のウォーキングでは何が発見できるか、どんな写真が撮れるか楽しみです。



(川柳)餌求め  カラスとハトの  大集会

   善光寺  餌やり禁止で  ハト移住!       FUKI      

1月6日善光寺びんずる廻し

2008-01-08 18:54:22 | 気まぐれ雑記


6日の夜7時から信州、善光寺の本殿内において正面入り口より中に入ったところに鎮座ましますおびんずるさんが、年に一度信者の手によって移動致します。とはいっても木製の彫り物なので自分では動きませんので、7Mほどのロープ2本にそれぞれつかまりながら引いて歩くのです。13人の住職の御経の後、台座に職員が一人に登りおびんずるさんを抱きかかえしっかりと守ります。

おびんずるさんは善光寺に行った折には無病息災を願い、又自分が日頃調子が悪い場所と同じおびんずるさんの場所をさすってその手で患部を撫でるのです。
ところでおびんずるさんとは「びんずるはらだ」といい年齢は約295歳で京都で彫られたそうです。なぜこの日にびんずる廻しがされるかというと、7日早朝からの3~4時間に及ぶ法要にたくさん来る信者達に場所を空ける為にその時だけ移動していただくのが始まりのようです。

当日の夜はいつになく暖かい夜で、500人ほどの参拝客があったようです。帰りに木製のしゃもじとミカンを御供としていただき、ドラと大太鼓の勇壮な音が境内に響きわたり賑やかでもあり荘厳な雰囲気を感じて良い体験をする事が出来ました。

7日の夜から8日にかけては多くの神社仏閣で行事があるので、夜9時や夜中など花火の音が夜空に響いていました。今年の初めに新たな気持ちで日々過ごせるようにしっかりと何回もいろいろと祈願をしてきました。

(川柳)手を合わせ  あれもこれもと  お願いします     FUKI

2008年新年登山は妻女山(斎場山)

2008-01-07 19:13:08 | 気まぐれ雑記


今年初めての登山は我が里山、謙信が布陣した山として昨年再び注目をあびた妻女山(斎場山)です。我が家に里帰りしていた先発隊3名がまず駅前から登り始め私達は遅れる事30分、別ルートで謙信の槍先の泉の前の林道を歩く事30分ほどで陣馬平のあたりで合流しました。写真はそのまま真っすぐ南へ歩くと、右手に謙信本陣でもある斎場山古墳のある山頂にたどり着きます。ここをまっすぐ行かないで左へ折れ5分ほどで陣馬平です。昨年降った雪が5センチほど残っており日陰では道も凍っていました。

下の駐車場に車が無かったので、今回はハンターが入ってないと思いきやもっと上まで車で行ったようで途中からしっかりと人間と犬の足跡がついていました。林道の一部には10Mほどにわたって猪が土をかき回した後があり、遭遇しなくて良かったと胸をなでおろしました。ここは昨年の秋にキノコ採りの際、通りかかった時にニホンカモシカが猛スピードで走りすぎて行きまた急にUターンして坂を駆け下りていった場所で何種かの獣のテリトリーのようです。

年末には高山で越年登山隊のなだれ事故もありましたが、やはり天気予報からの現地の状況も予測して、里山低山であってもそれなりの注意は必要だと改めて感じました。

(川柳)新春の  青空眺め  初登山      FUKI



煌めく我が家の、クリスマスツリー

2007-12-23 20:59:21 | 気まぐれ雑記


12月に入って、師走の雰囲気もあまりないままもう明日はクリスマスイブです。とはいっても別にクリスチャンではないので、多くの日本人と同じく?一年のイベントのひとつとして今夜、クリスマスツリーを点灯してみました。
今時はどこも発光ダイオードのツリーがほとんどで大概、青系やオフホワイトの光りが町中で煌めいています。景色としては以前のイルミネーションよりちょっと寒そうな様子になった気がします。

そろそろ長野県、北信の平地でも雪が降るようになってきましたが、まだ路面に積もっているわけではありません。でも昨夜は雷こそなりませんでしたが、夜半にかけて猛烈な風と叩きつけるような雨が降りました。今日の日中は天気が回復したのですが、年末の30~31日にかけてシベリアから強烈な寒気団がやってきて日本列島は荒れ模様の年越しになるようです。これに関しては、はずれてほしいですね。

年末の掃除もあと窓ガラスを残すのみとなりやっと、いままで忙しかった日程に余裕が出てきそうです。でもまだ畑のヤーコンを掘らなければならないし、年末年始の料理の献立も考え中で、秋からの仕事でたまった体の疲れをあまり癒している時間も無さそうなのが残念です。

寒くなるほどコタツの人になってしまい運動不足にもなるので正月太りも警戒しつつ、来年元旦の年賀状をそろそろ書かないと間に合わないしなどと、今年一年を振り返りながら撮りためた中からどの写真を使おうかと思案中です。


(川柳)手作りに  チャレンジしようか  ブッシュド・ノエル   FUKI

第49回風林火山「死闘川中島」を見ました。

2007-12-10 20:17:26 | 気まぐれ雑記
いよいよ妻女山に武田軍が攻め入る「キツツキ戦法」の場面にきました。海津城(現、松代城)での武田軍の兵糧をかっこむ場面がありましたが、NHKの公式HPによると、音楽を担当した作曲家の千住明さんと、題字を担当した書家の柿沼康二さんが短い台詞付きで出演していたとか・・。千住さんの顔は知っていましたが、扮装をしているので全然気が付きませんでした。ただ以前他局の素人の家に突然泊まる旅番組の中で凄く食が良く、お酒も強い人だとビックリしたことがあります。でもやっぱり音楽的才能は沢山お有りのようで、今回のこのドラマの曲も戦国時代のある意味スケールの大きさが表れていてなかなか良い曲だと思っていました。

ところで前回と今回は特に謙信が本陣とした妻女山という台詞がたびたび出てきましたが、以前にもご紹介しているように本当の妻女山は今、展望台や松代招魂社のある場所ではなく、それより南西に20分ほど徒歩で登った斎場山古墳のある場所になります。ドラマの中でも山頂と中腹の場面がありましたが、今の展望台の場所では低すぎてましてや山のピークでもなく、よって山の中腹などといえるほどの場所はありません。本来、斎場山が後に妻女山になり、しかもその山の名前まで今の場所に移ってしまったのでその歴史の流れを知らない観光客などはあの展望台のあたりが本陣だと思ってしまうのも無理はありません。実際その林道を登って行かなくても展望台の上から左後ろを振り返ってみれば一段と丸みを帯び高くなり、赤松が沢山生えている所が妻女山(斎場山)の本陣跡の山頂として確認が出来ます。

次回は最終回で時間も拡大して放送するそうです。地元としてみれば、始まったと思ったらもう終わりで少し寂しい感じもしますがまさに風林火山の如く、山は動きませんので本当の妻女山(斎場山)を見てもらうべく地元としては個人的にもですが、観光にも引き続き力を入れ地元を活性化出来ればと思っています。


(川柳)霧深く  びわの音響く  妻女山      FUKI

第48回風林火山「いざ川中島」を見ました。

2007-12-04 18:15:57 | 気まぐれ雑記
いよいよ大河ドラマ「風林火山」も、川中島の戦いの中でもっとも有名な第4次の場面になってきました。永禄4年、1561年の10月17日と18日にその戦いは行われたようですが、ドラマの中でもあったように千曲川の川霧が発生するころでその霧がお互いの戦いに影響をおよぼしています。ドラマの中では雨宮に住んでいた老婆(緑魔子)が、勘助に明日の朝、霧が出ると告げていましたね。物語の演出とはいえあまりの老婆のそのキャラクターに驚いてしまいました。

それとガクト演じる上杉謙信が妻女山(本来は斎場山)に本陣を張り、びわをひきながら戦機を伺っていた様子がなかなか興味深かったです。なぜならばその山の麓に住んでいるし、そこへも何回か行った事があるからです。大昔とはいえ戦争なので歴史ロマンというにはいささか抵抗がありますが、当時の実際の様子を想像すると眼下に見える川中島平らや海津城(現松代城)などとほぼ同じ景色・地形を眺めているのかと思うと数百年前の話なのにいやにリアルに感じてしまいます。(千曲川の流れは当時と大分変わっています。)

今の妻女山は国土地理院の地形図上、本来赤坂山といわれる場所に移ってしまいましたが、このドラマの放送と共に増えた山への観光客はそこが上杉謙信の本陣と勘違いして帰った人がほとんどだと思われます。あの場所は展望台から眼下の川中島平らは良く見えますが、本当の本陣はそこから約20分ほど南西へ林道を登った(徒歩で)本来斎場山といわれる古墳のある場所なのです。どちらかといえばその古墳時代に関しての歴史のほうが重要である山です。

その斎場山も今では冬枯れで、山の地形もよりはっきりと認識出来る様になってきました。熊が冬眠している間に、もう一度その古墳まで登ってみようかと思っています。(私有地で観光地化されていないので、マナーが大事です。)

(川柳)秋深し 武将がびわ弾く  妻女山

    決戦の  勝敗分ける  霧深し      FUKI

千曲市森地区「岡地天満宮」

2007-11-17 17:17:19 | 気まぐれ雑記


秋も終盤に入り、長野県千曲市の岡地天満宮の駐車場の整備がほぼ終わりました。ここは杏の花見で全国的にも有名な森地区の西にあたる山の麓にあります。菅原道真のゆかりもあり、毎年受験生が合格祈願にも訪れる穴場の天満宮です。
この近くには長野県立歴史館もあり、縄文時代の生活や昭和レトロの学校の教室の常設展示などがあり一度は訪れたいお薦めの場所です。

信州北部は明日ごろから雪マークが天気予報についており、例年より早い冬の到来予想にまだまだ畑仕事の予定も沢山あり気をもんでいます。


(川柳)猟解禁  野鳥も受難の  青い空

   散弾銃  ハンターすぐそば  千曲川    FUKI

秋の里山、古墳と粘菌

2007-11-06 11:18:04 | 気まぐれ雑記


秋もまっさかりのある日、野菜畑から妻女山(斎場山)古墳を見上げます。ここは謙信の本陣と言い伝えられている場所で眼下に川中島平ら(善光寺平ら)が見えます。その当時とは一部流れを変えた千曲川がゆっくりと流れています。

そんな里山に先日行ったおり、倒木に写真のようにきれいな濃い深いピンク色の粘菌らしきものが生えているのに出会いました。光りの関係で随分うすい色に写ってしまいましたが、それをひとつ指でそっと押してみると中はペースト状になっており、これは自然界の中で何の役目をしているのだろうと不思議な感じがしました。今年は久々の?厳しい冬になるとの長期予報が出ているようですが、これから忙しくなる季節なのであまり早く冬の到来は困ってしまいます。なるべく穏やかな日が続いてほしいものです。



(川柳)秋空に  柿だけ毎年  大豊作

   落ち葉焚き  今は昔の  懐かしさ    FUKI

秋晴れのキノコ採り

2007-11-03 18:02:57 | 気まぐれ雑記


今日は晴れの特異日で朝から山の霧も早めに取れて、気持ちの良い秋晴れになりました。仕事の都合でラッキーに一日珍しく空いたので、地元の里山にまたまたキノコ採りに急きょ行く事になりました。8時頃、まずこの山のピークへ登り眼下の景色を写しました。雑木林の間から千曲川の流れが見えています。ここから東方向は今は大きな松の木が邪魔をして見通せません。川中島の第4次の戦いの当時は松代城方面も見えたと想像されます。(私の立っている場所は古墳のある上杉謙信が本陣を張った場所ですが、ここまでの林道は倒木や野生動物に遭遇する危険もあり、又私有地でもあるので他の川中島の戦いの地のように観光化はしていません。)

そこから少し引き返しいつものコースをポイントを中心に見ながら進みます。9時頃には近くで花火の打ち上げ音が華々しく聞こえてきました。2キロほど西で第16回森将軍塚祭りが行われるのでその開会式の合図でしょう。将軍塚なべやきびもちなどの無料配布や各種イベントがあったようです。

5時間ほど歩き、まずまずの収穫で午後1時には山をおりました。写真が今回の成果ですが私の好きなムキタケを含め、ムラサキシメジやクリタケです。しかし今回山で遭遇した日本カモシカは私の雄叫びに驚いたのか、猛スピードで山の沢を駆け下りていきました。体当たりされたらお終いでしょう。




(川柳)ムキタケと  よく似た毒の  ツキヨタケ

    突然に  日本カモシカ  猛突進!     FUKI 

鑑定結果は「灰色シメジ」

2007-11-01 19:16:00 | 気まぐれ雑記


キノコ続きの話題で恐縮ですが、昨日山に入った時に写真の様な白っぽい色で匂いはシメジのキノコが7~8mの長さで幅1m位にまるでキノコの天の川状態で生えている場所に出くわしました。その全体をひとつの画面に写せなくて残念ですがそれはそれは目を見張る状況でした。
じくの下がぼってりと太くなっており、笠はややグレーをおびていて見た目食べられそうなキノコです。でもその考えがキノコ中毒の元でもあるので、前回別の場所で採った同じキノコを地元の保健所に持っていき鑑定をしてもらいました。その結果「灰色シメジ」食不可と言われました。山村などの売店では今でも売っているところもあるようです。(キケンです!)

今年はどうもキシメジ科の一部のキノコが大発生のようです。手持ちの図鑑で灰色シメジを調べたのですが、5冊ほど持っている中のどのページにも載っていませんでした。前回のキノコ採りは日曜日でしたので、何人かと会い声を掛け合った中で一人の初老の人がカゴ7分目ほどにそれが入っておりしかも親戚にも毎年お裾分けしているとか・・。本人は白シメジと言っていたのですが、それ違いますよと私達もその時には言えなかったのです。その翌日に調べてもらったのですから。でも毎年少なからず同じキノコを採っているようでした。そして今朝の地元紙に灰色シメジで中毒が出たと載っているではありませんか。でもお隣の市での事でしたが(その方ではなかったようです。)やはり人からもらったのを食べて下痢や嘔吐になったという話です。その保健所で中毒の統計を取り始めてから初めてのこの灰色シメジでの中毒だそうです。今回の山で出会った人や中毒の件を考えても、何年も山に入っているベテランでも正確にキノコの名前を確定して採っている人は案外少ないのだと思いました。

知らないキノコは食べない・昔の言伝えは全て迷信・地方でよくやる毒抜き方法での食べ方はしない、人にお裾分けしないそしてキノコの呼び名はちゃんと学術名で呼ぶ・・とこれが私のキノコでの誤食を防ぐ掟です。

(川柳)絶対に  自信ないもの  食べない掟

    美味しそう  キノコは食べたし  命は惜しい    FUKI
    




ムラサキシメジは美しい!

2007-10-31 21:20:03 | 気まぐれ雑記


善光寺平らはちょうど今ごろは千曲川からの霧が発生する季節で、その状況を「霧の川中島」と表現したりします。10年ほど前までは濃い霧がでるとひどい時には昼近くまで5m先が見えないような日がしばらく続いたものです。昨今は温暖化の影響かそれほどひどい霧の発生はほとんど見られなくなりました。それでも朝霧がまくと畑の長いもの蔓にも露が付くので、それを燃やしての片付け作業が出来ません。

ならばと少し時間が空いたので今が時期のムラサキシメジを里山に探しに行きました。今年は9月の猛暑と遅くに夏のぶり返しのような気温があったので、天然のキノコのほうも夏キノコから秋キノコへと順番に生えてくれずキノコも困惑してしまったようです。でもとりあえずダシが出るキノコだし、そのキレイなムラサキ色見たさもあったので期待を抱きつつ出かけました。山でそれを見つけた時の喜びは例えようもありませんからね。

山登りには遅い出発だったのですが、ポイントは一応頭に入っているので狙いをつけて効率よく探しました。しかし朝、晩の冷え込みがここにきていまひとつだったのでムラサキシメジ発生条件の葉の堆積した中に菌の幕が張った状態(その様な場所をシロといいますが)になっているだろうかと心配していました。でも写真のムラサキシメジが生えていた場所の様に風通し、湿り気、半日陰の条件さえ揃えば菌は付いてキノコとして成長するんですね。県や地域によってはあまり重宝がられないこのムラサキシメジも我が家では美味しいキノコの部類に入っています。(標高の高い山ではもっと他に名菌があるからかもしれませんね。)

結局ムラサキシメジだけで97本採れました。他にハナイグチを30本ほどとクリタケ少々の収穫でした。山から下りてきた後は仕事です。ついに今日のお昼も食べそこねました。キノコ好きはあそこにあると分かっているので、そうとうな年齢になっても又山に行ってしまうんでしょう。今朝の新聞にも2件のキノコ採りでの事故の記事が載っていましたけど命あってのキノコ採りなので誤食や無理な山歩きは気を付けなければと思っています。

(川柳)キノコ採り  その色・味に  魅了され   FUKI  

「白根山」の湯釜はキレイでキケン!

2007-10-12 20:38:36 | 気まぐれ雑記


やっと秋らしくなり、山の紅葉も例年より一週間ほどの遅れで今やっと2000m級の山々が赤く染まってきました。10日、11日と湯田中温泉にある桃山風呂で有名なお宿に泊まってきました。ネットで調べての前日予約でしたが希望のコースが空いていたので急きょ決まった旅ではありますが、無事出発する事が出来ました。旅行代理店に申し込まない旅としては30年ぶりくらいです。昔いわれた「アン・ノン族」がリアルタイムでしたので、女の子の友達同士での国内旅行が流行っていたのです。それ以来となる自分で調べて行く旅行は、今はネット検索で事前に色々情報を得ることが出来るのでその点では大変便利になりました。宿では貸しきり風呂の特典があるとは知らず、それも含め4回もお風呂に入ってしまいました。

翌日そのまま帰ると早すぎるので、これも急に決めた湯田中駅前から出ている白根山行きのバスに乗ってこれまた高校の日帰りバス遠足で行った以来の白根山の湯釜へ登ってきました。平日にもかかわらず観光バスや一般の車が非常に多くびっくりしてしまいました。写真がその湯釜ですが、初めてその景色を見た人達はけっこう感動した様子でした。あんな独特の色をした火口の湖は早々無いですから。最後の噴火はs58年らしいのですが、有毒ガスで犠牲者がでてからは火口から500mほどの場所で杭とネット網によりそれより下は立ち入り禁止になっています。
相当昔、私の父はその火口付近で腹ばいになりそのまだ当時ゴウゴウと湯気の立ち上る火口を見ていたそうです。(超キケンで今では有り得ない!)

今でも観光客は多くても、有毒ガスや噴火の危険性はあるので避難小屋や注意を促す看板などが立っています。大概の人はしっかり足元だけでもウォーキングシューズやスニーカーでしたが、中にはヒールで登っている若い女性もいるのでどういう環境の山に登っているのか分かっているのかと首を傾げたくなりました。(どこへ行っても、こんな人は見かけますが・・。)

それから写真マニアが凄かったですね。中学の時は途中の池付近の紅葉がバス車窓からとても綺麗だったのが今でも目にやきついていますが、その時は一般のカメラマンなど滅多にいなかったので感動しましたが今回は景色は変わらなくても池の回りがぐるっとカメラの三脚の列で少し興ざめしてしまいました。

山での帰路ではすっかり霧にまかれてしまいよくこんな道をバスはじめ車は降りていけるなと感心してしまいました。それから長野駅から乗った去年から走っている「ゆけむり号」も展望が良く快適でした。乗車券とは別に特急券(100円)も必要ですが電車好きの人はぜひ一度乗って見て下さい。

長野県人は中・高校で一度はどこかの山に登山をする機会があると思いますが、山々は多いのですがそれほど地元の山に詳しくはありません。むしろ他県からの登山好きの人が近年特に多くなったのに驚いています。だいたい団塊の世代にあたる年代の方でしょうか?そこに山があるから登るんでしょうか・・。私は頂上に松茸でも生えていればスグ登るんですけどね。今回のルートでは長野県から途中群馬県に入りますので白根山の湯釜は群馬県に位置します。なのでお土産はさしみコンニャクの詰め合せを買ってきました。


(川柳)この景色  一見キレイで  超キケン!    FUKI