つむじ風通信

「信州うらの畑」へようこそ!松代町は長芋の産地で歴史の山、妻女山(斎場山)は我が里山です。

林道「倉科線」から須磨子の墓参りへ

2008-01-19 20:58:14 | 気まぐれ雑記


温暖化とはいえ、今は一年の中で最も寒い季節です。ここ長野県長野市の南に位置する松代町の西方でも、連日氷点下の朝を向えています。私が小学生だったウン十年前は氷点下15度とか20度近くまで下った朝もたびたびあったような気がします。当時は体重が軽かったので登校途中に30センチほど積った畑の雪の上を歩いて通ったり、今では高山や北海道などでしか見られなくなってしまったダイアモンドダストの発生も普通に見受けられました。

お餅の食べすぎと農閑期の運動不足で、現代病のメタボリック症候群になりかけているので10時過ぎに一度は歩いてみようと思っていた妻女山(赤坂山)から東への林道「倉科線」を通り抜けるために家を出ました。始めの写真は林道を10分ほど入った場所から北側の景色を撮ったもので、手前から清野小学校、高速道、新・旧赤坂橋、長野市街地方面が見えます。



林道の日陰は圧雪になっていて、注意して歩かないといけなくて又、日当たりのある場所ではまったく雪がなくその繰り返しが続く山道でした。この写真がほぼ中間地点の峠にあたる場所で、赤松と雑木林がありさしずめ時代劇ならば茶店が立っていそうで団子でも食べてお茶でのどを潤おし一服していこうと思わせる雰囲気がありました。ここからは下りだけの林道になり実際は茶店もないので、5分ほど休んで先を急ぎました。



林道の入り口からほぼ1時間30分ほどの場所で、さっき登ってきた妻女山方面が見えます。中央あたりの白く見えるものは、野菜用のビニールハウスです。ここまでの間、昨日からの雪の後、車や犬をつれた人の足跡が付いていてたまには通り抜けする人もいるんだと思いましたが、この林道は道幅も狭く清野側東の方に行かないと車のすれ違い場所も無いのでなるべくだったら歩きかバイクがいいでしょう。でも出入り口に林道通過の注意を促す看板がありましたが、その下にこの林道を通行するには許可が必要と書いてありました。えぇ~!!!知らなかったし、そんな市か県の関係部署に連絡して通る人なんて聞いた事がないけど・・とビックリしました。ただこの一帯は熊の生息エリアなので、十分に遭遇する危険がありますので注意が必要です。今回私達も冬で熊は冬眠中と思われますが、一応鈴を付けて山に入りました。




やっと清野の東側、越地区に下りてここで林道を抜けました。山の途中から竹林が多く見られ、我が里山の妻女山(斎場山)とは大分景色が違うなと感じました。ここから前回は松井須磨子のお墓にたどりつけなかったので今回は見つけようと、山際にそった道をそのまま歩いて行くとほどなく案内看板がありすぐ曲がって入った路地の角に須磨子の生家の小林邸がありました。玄関入り口の軒下に真実の須磨子に関する本と、本人直筆の拓本がありますとの案内が石に刻まれてありました。

その生家の南側山手に小林家のお墓があり、須磨子の写真入りの墓石もその中の一段高い場所にありました。須磨子は本格的舞台女優では日本初の人であり、地域の有名人であるはずですが、その人生と最後の幕引きがあまりに劇的なので、地元の間では長年地味~で忘れられた存在のようです。でもこのお墓には有志での供養する会もあるようで先日も供養がここで行われたという話です。又、女優でも関連の舞台などをやった人は訪れているようです。なにでもある意味その世界での先駆者というのは凄い事ですね。



最後の写真は象山のすぐ北に位置する小山?の上に建つ離山神社です。鳥居だけやけに新しいと思ったら、近くの会社が平成元年に寄贈していました。その入り口に戌の満水で当時この高台に地域の住民が避難してきて、大変な混雑だったとの言い伝えの説明看板がありましたが、なんとこれが民話となっておりこれは事実の歴史だろ!とひとり突っ込みを入れてしまいました。昔の人々によって言い伝えられてきたという話だとしても、その看板の表現には違和感を感じてしまいました。



このあとは象山神社に御参りをしいつもの蕎麦屋「沙羅樹庵」に行ってお昼を食べ、スーパーに寄り少し買い物をしてから松代城の横を通り帰路につきました。よほど歩いたような感じでしたが、全行程3時間半ほどのウォーキングでした。明日から又、天気が悪いようなのでしばらくは歩けないかもしれません。そういえば今日は私の誕生日ですが、もう嬉しがる年齢はとうに過ぎたのでケーキも無く過ぎ去っていきそうです。


(川柳)歩いたら  いつもと違う 目線の風景

    鴨たちが  すいすい水辺の  昼下がり    FUKI



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2 コメント

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林道 (MORI MORI)
2008-01-20 12:19:14
大村の上に二本松峠への登り口と、もう少し先に鞍骨城への登山口があったと思うのですが。あと、越へ下りる手前で、右へ象山へ行く道は無かったですか。
税金で作っておいて、通行に許可がいるって変ですよね。私道じゃないんですから。でも、林道マニアでもなければ、車で通って楽しい道じゃないですね。でも、誰のために作ったんでしょうかね。
倉科側にも生萱にも林道がありますね。結構色々な見えないところで税金が使われているようです。
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なんで倉科線と思ったら・・。 (FUKI)
2008-01-20 16:36:48
途中に倉科坂があるそうで、それでその林道の名がついたそうです。又先日行った林正寺の裏手から登ってこられる道らしきものは一本ありました。でも車は不可です。それから南側への登山口らしきものは無く、あったとしても沢道なのでよく認識出来ませんでした。越へ下りる手前にその林道始めての枝道が斜め東方向に延びていましたが、入り口でチェーンが張ってあり進入禁止になっていました。どうも先に赤松があったのでそのせいではないかと思われます。
林道を造ったのは、植林をした山の手入れの為に車で行ける様にしたようで、東へ進むにつれ良く木々の手入れがされていました。部分的に砂防工事もしてあったのですが、あれだけ竹林が多いと逆効果ではないかと思いました。
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