つむじ風通信

「信州うらの畑」へようこそ!松代町は長芋の産地で歴史の山、妻女山(斎場山)は我が里山です。

ぼたん雪舞い「斎場山古墳」も見えず。

2008-01-29 15:27:42 | 気まぐれ雑記


長野県北部、今日は朝から細かい雪が降っていて午後には気温のわずかな上昇と共にぼたん雪になり写真にも写るほど次から次へと天から落ちてきています。北海道以外全国的に天気が悪い様です。(寒すぎる~!)

かすんで見えてる山のその上が斎場山脈の山頂でもあり古墳になるのですが、雪の白さでぜんぜん望む事は出来ません。信州のスキー場などはパウダースノーでここ数年増えているという外国人観光客で賑っている事でしょう。冬期オリンピック以降、特に白馬・安曇地域は長野県内でも経済が落ち込んでいたようなので、このスキー始め冬のスポーツと温泉でもっと誘客をし地域の活性化につながればと思っています。(昔は白馬の新雪も滑ったりしたんですけど、どうもいまひとつ上達しませんでした)

今年も温暖化の影響で暖冬になるのかと思いきや、年明けの暖かさもあってこのまま春になっていくのかと思ってしまうくらいでしたが、1月中旬頃からグッと気温も下り冬景色一色になってしまいました。やはり春はまだまだ遠かったです。(頭を出したふきのとうも引っ込んでしまいました)

こんな寒い日々が続くと、やっぱり鍋料理が良いですね。変り鍋など考えてバリエーションを増やしていきたいです。そしてこの松代町お薦めの新しい料理も考えたていきたいですね。(まったくの個人的発想ですが、中・南信のジビエ料理に対抗出来るか、蜂の子、ざざ虫料理を超えるものがほしいです)

(川柳)氷点下 エコを実践  湯たんぽで     FUKI



長野マラソンコースでウォーキング

2008-01-27 16:22:08 | 気まぐれ雑記


冬晴れの一日、又何日振りかのウォーキングに出かけました。今日は4月に行われている、長野マラソンコースの終盤に近い千曲川の堤防を赤坂橋を渡り川を左手に見ながら歩きました。(新赤坂橋の工事が休日も行われていました)途中土手の上から東方面の松代町内を望みます。手前は桃畑で写真中ほどにその桃尻形に見えるのがその昔「松代群発地震」の震源地となった皆神山になります。その北側一帯には、それを起源とする松代温泉がありますがほんの数件の入浴施設があり、その泉質は全国でもまれに見る多くの成分が含まれていて又真田を中心とした歴史の町でもあるので、長野市の奥座敷的な雰囲気をかもし出しています。善光寺や北信濃への旅行の出発地点や宿泊地として訪れていただけると地域も活性化するのではないかと思っています。

今長野県では「かがやき国体」が開催されていて、長野駅周辺では通常よりは活気があるようです。11年前の冬期オリンピックの様な混雑はこの先二度と無いと思いますが、来年の御開帳などには全国からの参拝で参道も賑う事でしょう。それにこの頃海外の、特にオーストラリアや韓国からのスキー客が増えている様で、志賀高原や白馬などは第二のニセコの様に活気づいているという話を聞きます。地獄谷野猿公園ではライブカメラをたまに見ても、白人の観光客が多く訪れているのが分かります。ほんの11年、オリンピック前には市街地でもめったに外国人観光客の姿はありませんでしたが、ここ2~3年でぐっと増加をしています。サービス業に携わる人達には英語を話せる必要性が出てきていますね。

観光産業の落ち込みはレジヤーの多様化もありますが、景気が落ち込んでいるのも大きな要因としてあります。地方まで足をのばしてもらうにはやはり特徴的な条件がなければ集客出来ませんが、長野のスキー場はパウダースノーで雪質も良いのでそれが一番の貴重な自然からの財産だと思います。(今、白馬のスキー場で撮影した映画「銀色のシーズン」が上映されています。日本アルプスの雄大な山々を見るだけでも一見の価値はありそうです)

1時間ほど歩いて対岸の土手に渡りました。日曜日という事もあって散歩やウォーキング、ジョギングなど何人かの人に追い抜かされすれ違いました。昨日長野メルパルクでのイベントに行ったおり、スーパーJチャンネルのキャスター小宮悦子さんもウォーキングとたまのジム通いで体力をつけていると話していました。(来県されていた皇太子ご夫妻にはお目にかかれませんでしたが、駅や東口の白バイ隊や警備は凄かったです)

次回は別ルートで西南に向かい歩いて行こうかと思っています。
それにしてもこんなところまで湘南や相模ナンバーの車が千曲川沿岸の猟に来るなんてビックリです。

(川柳)猟犬に  追われて狐が  猛ダッシュ

    猫柳  芽吹きも戸惑う  朝の冷え       FUKI






林道「倉科線」から須磨子の墓参りへ

2008-01-19 20:58:14 | 気まぐれ雑記


温暖化とはいえ、今は一年の中で最も寒い季節です。ここ長野県長野市の南に位置する松代町の西方でも、連日氷点下の朝を向えています。私が小学生だったウン十年前は氷点下15度とか20度近くまで下った朝もたびたびあったような気がします。当時は体重が軽かったので登校途中に30センチほど積った畑の雪の上を歩いて通ったり、今では高山や北海道などでしか見られなくなってしまったダイアモンドダストの発生も普通に見受けられました。

お餅の食べすぎと農閑期の運動不足で、現代病のメタボリック症候群になりかけているので10時過ぎに一度は歩いてみようと思っていた妻女山(赤坂山)から東への林道「倉科線」を通り抜けるために家を出ました。始めの写真は林道を10分ほど入った場所から北側の景色を撮ったもので、手前から清野小学校、高速道、新・旧赤坂橋、長野市街地方面が見えます。



林道の日陰は圧雪になっていて、注意して歩かないといけなくて又、日当たりのある場所ではまったく雪がなくその繰り返しが続く山道でした。この写真がほぼ中間地点の峠にあたる場所で、赤松と雑木林がありさしずめ時代劇ならば茶店が立っていそうで団子でも食べてお茶でのどを潤おし一服していこうと思わせる雰囲気がありました。ここからは下りだけの林道になり実際は茶店もないので、5分ほど休んで先を急ぎました。



林道の入り口からほぼ1時間30分ほどの場所で、さっき登ってきた妻女山方面が見えます。中央あたりの白く見えるものは、野菜用のビニールハウスです。ここまでの間、昨日からの雪の後、車や犬をつれた人の足跡が付いていてたまには通り抜けする人もいるんだと思いましたが、この林道は道幅も狭く清野側東の方に行かないと車のすれ違い場所も無いのでなるべくだったら歩きかバイクがいいでしょう。でも出入り口に林道通過の注意を促す看板がありましたが、その下にこの林道を通行するには許可が必要と書いてありました。えぇ~!!!知らなかったし、そんな市か県の関係部署に連絡して通る人なんて聞いた事がないけど・・とビックリしました。ただこの一帯は熊の生息エリアなので、十分に遭遇する危険がありますので注意が必要です。今回私達も冬で熊は冬眠中と思われますが、一応鈴を付けて山に入りました。




やっと清野の東側、越地区に下りてここで林道を抜けました。山の途中から竹林が多く見られ、我が里山の妻女山(斎場山)とは大分景色が違うなと感じました。ここから前回は松井須磨子のお墓にたどりつけなかったので今回は見つけようと、山際にそった道をそのまま歩いて行くとほどなく案内看板がありすぐ曲がって入った路地の角に須磨子の生家の小林邸がありました。玄関入り口の軒下に真実の須磨子に関する本と、本人直筆の拓本がありますとの案内が石に刻まれてありました。

その生家の南側山手に小林家のお墓があり、須磨子の写真入りの墓石もその中の一段高い場所にありました。須磨子は本格的舞台女優では日本初の人であり、地域の有名人であるはずですが、その人生と最後の幕引きがあまりに劇的なので、地元の間では長年地味~で忘れられた存在のようです。でもこのお墓には有志での供養する会もあるようで先日も供養がここで行われたという話です。又、女優でも関連の舞台などをやった人は訪れているようです。なにでもある意味その世界での先駆者というのは凄い事ですね。



最後の写真は象山のすぐ北に位置する小山?の上に建つ離山神社です。鳥居だけやけに新しいと思ったら、近くの会社が平成元年に寄贈していました。その入り口に戌の満水で当時この高台に地域の住民が避難してきて、大変な混雑だったとの言い伝えの説明看板がありましたが、なんとこれが民話となっておりこれは事実の歴史だろ!とひとり突っ込みを入れてしまいました。昔の人々によって言い伝えられてきたという話だとしても、その看板の表現には違和感を感じてしまいました。



このあとは象山神社に御参りをしいつもの蕎麦屋「沙羅樹庵」に行ってお昼を食べ、スーパーに寄り少し買い物をしてから松代城の横を通り帰路につきました。よほど歩いたような感じでしたが、全行程3時間半ほどのウォーキングでした。明日から又、天気が悪いようなのでしばらくは歩けないかもしれません。そういえば今日は私の誕生日ですが、もう嬉しがる年齢はとうに過ぎたのでケーキも無く過ぎ去っていきそうです。


(川柳)歩いたら  いつもと違う 目線の風景

    鴨たちが  すいすい水辺の  昼下がり    FUKI



ウォーキング、「林正寺」まで行きました。

2008-01-10 15:23:33 | 気まぐれ雑記


新年に入って気がつけばもう10日になってしまいました。年末年始の食べすぎと運動不足で、体重も増加傾向です。週末から冬型の気圧配置に戻るようで雪が降りそうなので、悪天候になる前に2時間弱のウォーキングをしてきました。始めは松代城目指して歩くつもりでしたが、途中で清野にある日本初の本格的舞台女優松井須磨子のお墓でも御参りしようかという話しになり、急きょ途中から国道403号線を右へ折れひたすら山方面に向かって歩きました。でもそのお墓がどこにあるか詳しく知らなかったので、途中で道端にいたおばあさんに聞いてたどり着いたのが写真の「林正寺」です。本堂までの道すがら参道左手にカチューシャの歌碑が建っていました。明治生まれで姉を頼って東京に出たようですが、生涯2度の結婚と最後は島村抱月が病死したので後追いをしてしまいました。今ならば芸能界での大スキャンダルですが当時も大分話題になったようです。

この本堂の裏手に墓地があったので、そこかと探しましたがどうも須磨子のお墓は見当たりません。家へ帰ってから父母に聞いたら生家とお墓はそれよりもっと東の集落の越という場所だと分かりました。清野の地名は妻女山(斎場山)を中心とした古墳時代からの清めの野がその由来とも聞いています。近くの生まれですが、清野も途中までしか来た事がなく集落の中もほとんど知りませんでした。

その清野から南に見える鞍骨山を望む尾根一帯が次の写真です。一昨年の31日に鞍骨城まで歩いた尾根の稜線が、冬枯れのおかげではっきりと見る事が出来ました。写真のほぼ中央の高い所が鞍骨城です。

次のウォーキングでは何が発見できるか、どんな写真が撮れるか楽しみです。



(川柳)餌求め  カラスとハトの  大集会

   善光寺  餌やり禁止で  ハト移住!       FUKI      

1月6日善光寺びんずる廻し

2008-01-08 18:54:22 | 気まぐれ雑記


6日の夜7時から信州、善光寺の本殿内において正面入り口より中に入ったところに鎮座ましますおびんずるさんが、年に一度信者の手によって移動致します。とはいっても木製の彫り物なので自分では動きませんので、7Mほどのロープ2本にそれぞれつかまりながら引いて歩くのです。13人の住職の御経の後、台座に職員が一人に登りおびんずるさんを抱きかかえしっかりと守ります。

おびんずるさんは善光寺に行った折には無病息災を願い、又自分が日頃調子が悪い場所と同じおびんずるさんの場所をさすってその手で患部を撫でるのです。
ところでおびんずるさんとは「びんずるはらだ」といい年齢は約295歳で京都で彫られたそうです。なぜこの日にびんずる廻しがされるかというと、7日早朝からの3~4時間に及ぶ法要にたくさん来る信者達に場所を空ける為にその時だけ移動していただくのが始まりのようです。

当日の夜はいつになく暖かい夜で、500人ほどの参拝客があったようです。帰りに木製のしゃもじとミカンを御供としていただき、ドラと大太鼓の勇壮な音が境内に響きわたり賑やかでもあり荘厳な雰囲気を感じて良い体験をする事が出来ました。

7日の夜から8日にかけては多くの神社仏閣で行事があるので、夜9時や夜中など花火の音が夜空に響いていました。今年の初めに新たな気持ちで日々過ごせるようにしっかりと何回もいろいろと祈願をしてきました。

(川柳)手を合わせ  あれもこれもと  お願いします     FUKI

2008年新年登山は妻女山(斎場山)

2008-01-07 19:13:08 | 気まぐれ雑記


今年初めての登山は我が里山、謙信が布陣した山として昨年再び注目をあびた妻女山(斎場山)です。我が家に里帰りしていた先発隊3名がまず駅前から登り始め私達は遅れる事30分、別ルートで謙信の槍先の泉の前の林道を歩く事30分ほどで陣馬平のあたりで合流しました。写真はそのまま真っすぐ南へ歩くと、右手に謙信本陣でもある斎場山古墳のある山頂にたどり着きます。ここをまっすぐ行かないで左へ折れ5分ほどで陣馬平です。昨年降った雪が5センチほど残っており日陰では道も凍っていました。

下の駐車場に車が無かったので、今回はハンターが入ってないと思いきやもっと上まで車で行ったようで途中からしっかりと人間と犬の足跡がついていました。林道の一部には10Mほどにわたって猪が土をかき回した後があり、遭遇しなくて良かったと胸をなでおろしました。ここは昨年の秋にキノコ採りの際、通りかかった時にニホンカモシカが猛スピードで走りすぎて行きまた急にUターンして坂を駆け下りていった場所で何種かの獣のテリトリーのようです。

年末には高山で越年登山隊のなだれ事故もありましたが、やはり天気予報からの現地の状況も予測して、里山低山であってもそれなりの注意は必要だと改めて感じました。

(川柳)新春の  青空眺め  初登山      FUKI



年始、エビのオーロラソース和えを食べる。

2008-01-05 19:21:52 | 健康料理(良い加減料理レシピ)


年始の集まりに何を作ろうか?これは毎年悩むことですが、まず冬野菜は自家製でたくさんあるので、他の食材は買ってくるか年末のお歳暮にいただいたものを使うことを考え後はメインから始まり、7~8種類の皿に盛るメニューを考えなければなりません。写真には全料理は写っていませんが、献立のヒントにして下さい。

☆今回の献立の中心は鶏つくね鍋です。長芋のとろろをひき肉に入れるのがコツです。
☆次に有頭エビを頂いたので、エビに衣をつけて揚げてからマヨネーズにケチャップと香り付けにリキュールを入れたソースで合えたものです。練乳やレモンを加えればより良いです。
☆冷凍鰆の南蛮漬けです。酢を多めに入れたほうが美味しいようです。
☆里芋とコンニャクの胡桃味噌和え
☆牛蒡とニンニクスライスの素揚げです。アク抜きしたササガキ牛蒡に片栗粉をまぶし揚げて塩をふります。
☆自家製大根の麹漬け生ハム添え
☆頂き物ローストビーフ
☆頂き物馬刺し
☆マグロとブリとタイの刺身三点盛り

後は自家製切り餅のいそべと安倍川もちを作りました。
大人数の料理を作る時には時間がかかるので、材料を切っておくとか冷めても良いものを先に作っておくとか時間の節約が出来る手順を考えます。それと同じ手法の料理が重ならないようにします。揚げ物や炒め物、煮物などと味のバリエーションを増やして作ります。蟹やウニなど、新鮮な海産物はありませんが信州や我が家の特徴が出る料理を毎回心がけています。


(川柳)自家製の  餅食べ過ぎる  三が日       FUKI