泉水、築山、枯山水を主体にした「回遊式林泉庭園」です。この造園手法は、江戸時代の大名庭園に用いられたものですが、明治時代の造園にも受けつがれ、清澄庭園によって近代的な完成をみたといわれています。
この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
出所:財団法人 東京都公園協会
----------------------
清澄庭園のライトアップを観に行きました。
思っていたより、ひとは多くありませんでした。ゆっくり、観ることができました。
夜は寒いので、娘に暖かい服を着せて、出かけました。
清澄庭園のライトアップ、右回りの周回コースで、前半に最もきれいに見える場所があります。
三日月の夜空とライトアップした庭園が視界に納まり、とても美しい景色でした。
さほど寒さも感じませんでした。
清澄庭園は、地下鉄の駅から近いので、とても便利です。入園料は150円です。
帰りに、大江戸線の駅の改札を通過する直前、あるお店の広告が目に入りました。とりあえず、そのお店を見に行って、よければそこで食事しようということになりました。
続きは、次回以降。ではでは。
この地の一部は江戸の豪商・紀伊國屋文左衛門の屋敷跡と言い伝えられています。享保年間(1716~1736年)には、下総国関宿の城主・久世大和守の下屋敷となり、その頃にある程度庭園が形づくられたようです。
明治11年、岩崎弥太郎が、荒廃していたこの邸地を買い取り、社員の慰安や貴賓を招待する場所として庭園造成を計画、明治13年に「深川親睦園」として一応の竣工をみました。弥太郎の亡きあとも造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水を造り、周囲には全国から取り寄せた名石を配して、明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」が完成しました。
出所:財団法人 東京都公園協会
----------------------
清澄庭園のライトアップを観に行きました。
思っていたより、ひとは多くありませんでした。ゆっくり、観ることができました。
夜は寒いので、娘に暖かい服を着せて、出かけました。
清澄庭園のライトアップ、右回りの周回コースで、前半に最もきれいに見える場所があります。
三日月の夜空とライトアップした庭園が視界に納まり、とても美しい景色でした。
さほど寒さも感じませんでした。
清澄庭園は、地下鉄の駅から近いので、とても便利です。入園料は150円です。
帰りに、大江戸線の駅の改札を通過する直前、あるお店の広告が目に入りました。とりあえず、そのお店を見に行って、よければそこで食事しようということになりました。
続きは、次回以降。ではでは。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます