「日本沈没」など壮大なスケールのSF小説で知られ、1970年の日本万国博覧会(大阪万博)のプロデューサーなども務めた作家、小松左京(こまつ・さきょう、本名実=みのる)さんが26日午後4時36分、肺炎のため大阪府箕面市の病院で死去した。80歳だった。大阪市出身。葬儀は済ませた。
京大文学部卒。経済誌記者や漫才台本作家などを経て、62年、「SFマガジン」に「易仙逃里記」が掲載されデビューした。9年がかりで執筆した近未来SF「日本沈没」を73年に発表。地殻変動で危機に直面する日本の運命をリアルに描き、日本推理作家協会賞や星雲賞を受賞。上下巻合計で400万部を超える大ベストセラーに。
同作は映画化、テレビドラマ化され、一大センセーションを巻き起こした。2006年には33年ぶりに映画のリメーク版が公開された他、作家谷甲州氏との共著で「第二部」を発表し、健在ぶりを示した。
他に、自ら映画版の脚本、製作、総監督を手掛けた長編「さよならジュピター」(星雲賞)や、「果しなき流れの果に」「地には平和を」「日本アパッチ族」「復活の日」「首都消失」(日本SF大賞)など。
プロデューサーとしての手腕も発揮。大阪万博や85年の国際科学技術博覧会(つくば博)、90年の「国際花と緑の博覧会」などに関わった。
今月8日に体調を崩して入院していた。事務所によると、亡くなる直前、東日本大震災に関連して「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」とのメッセージを残したという。
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小学生のときに映画館で「日本沈没」を観て、リアリティのある俳優の演技と、日本沈没というショッキングな結末に、すごい映画だと思ったことを覚えています。
続編『日本沈没 第二部』を週末読むことにしました。
京大文学部卒。経済誌記者や漫才台本作家などを経て、62年、「SFマガジン」に「易仙逃里記」が掲載されデビューした。9年がかりで執筆した近未来SF「日本沈没」を73年に発表。地殻変動で危機に直面する日本の運命をリアルに描き、日本推理作家協会賞や星雲賞を受賞。上下巻合計で400万部を超える大ベストセラーに。
同作は映画化、テレビドラマ化され、一大センセーションを巻き起こした。2006年には33年ぶりに映画のリメーク版が公開された他、作家谷甲州氏との共著で「第二部」を発表し、健在ぶりを示した。
他に、自ら映画版の脚本、製作、総監督を手掛けた長編「さよならジュピター」(星雲賞)や、「果しなき流れの果に」「地には平和を」「日本アパッチ族」「復活の日」「首都消失」(日本SF大賞)など。
プロデューサーとしての手腕も発揮。大阪万博や85年の国際科学技術博覧会(つくば博)、90年の「国際花と緑の博覧会」などに関わった。
今月8日に体調を崩して入院していた。事務所によると、亡くなる直前、東日本大震災に関連して「今は大変な時期かもしれないけれど、この危機は必ず乗り越えられる。この先、日本は必ずユートピアを実現できると思う。日本と日本人を信じている」とのメッセージを残したという。
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小学生のときに映画館で「日本沈没」を観て、リアリティのある俳優の演技と、日本沈没というショッキングな結末に、すごい映画だと思ったことを覚えています。
続編『日本沈没 第二部』を週末読むことにしました。
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