深堀大三郎の生涯マナビスト

自然や街を歩いて観察するのが大好き、歩いて歩いて楽しみたい。
また、お城の石垣を眺めると力が湧いてくる。

「つれづれなるままに(21)”近所のお寺を散策する”」

2009-01-21 06:42:46 | Weblog
近所に正俊寺というお寺がある。
その入り口に、「南方増長天」「東方持国天」と共に写真のようなかわいい地蔵さんがある。
このあたりは、河内(大阪)、山城(京都)、大和(奈良)の境に位置する。
長尾山という。
どうも、「交野が原」、「淀川」へとつづく浄域とされたところであったらしい。
この寺は、河内領主久貝因幡守正世が、父因幡守正俊を弔うために1951年創建されたという。
境内には、松、杉、椿、もみじ等あり、四季折々を楽しませてくれる。
雲は多いが、

「つれづれなるままに(20)”熟・壮・若”」

2009-01-20 07:04:25 | Weblog
先日、新事業の立ち上げの相談があったことはブログに書いた。
事業内容は、成功したら非常に役立つものと感じた。
なぜなら、自分自身が苦労した体験を、一気に解決してくれるようなものであるからだ。
しかし、何か物足りなさがあるような気がかりを感じていた。
それが何かがどうしても分らなかったが、今ヤッと気がついた。
気がついたというよりは、思い出したのである。
それは、「熟・壮・若」の「若」の不足である。
かって、いくつかのプロジェクトチームを編成するとき特に注意していたことを思い出したのである。
「熟・壮」は経験をもとに確実性を発揮した。
しかし、「若」は時に突拍子もない事を平気でデザインした。
忘れがちな「組織」づくりの事に、例え少人数でも考えが必要であると思う。


「つれづれなるままに(19)”梅川の像”」

2009-01-19 05:38:00 | Weblog
昨日、尼崎で会合があり行ってきた。
JRの尼崎駅周辺も随分と開発されてきれいになっている。
駅近くが会場だったので、ゆっくりと参加することが出来た。
集まった人は、約60名くらい。
始めてお会いする人もあって、名刺交換も盛んだった。
駅の構内に近い、陸橋のところに「梅川の像」があった。
実は、この駅の約2Kメートル位の所の「広済寺」に眠る「冥途の飛脚」(近松門左衛門作)のヒロイン「梅川」の像と説明がある。
人間国宝吉田文雀さんの指導で、文楽人形のイメージで製作したという。
昨夜の雨はやんだ多分

「つれづれなるままに(18)”夢の実現へ”」

2009-01-18 05:05:52 | Weblog
昨日、事業計画の説明を受けた。
「ソフトウエアを生成するソフトウエア」を開発しようと言う。
つまり、ソフトウエア・ロボット見たいなものを創ろうという計画だ。
過去における自分の経験は、企業経営のニーズに基づき、基本設計に始まり詳細設計、そしてプログラム設計、プログラム作成、テストと言う手順で進めてきた。
その仕事を実際にしながら、数組のプロジェクトチームの進捗管理をしてきたものだ。
たしかに、大変な作業であった。
思い出してもぞっとするようなことを、よくも何年もやってきたものだと回想しながら聞かせていただいた。
その大部分を一挙に出来るオペレーティングシステムを作ろうという。
夢の実現への意気込みに、ちょっとだけ刺激を受けた1日だった。


「つれづれなるままに(17)”これこそ逆境に克つ”」

2009-01-17 04:58:10 | Weblog
今朝は、阪神大震災を静かにおもう。
1995年(平成17年)の手帳をひらく。
1月17日。AM10時、○○工業本社。
その下に赤で「兵庫南部地震のため交通機関不通」と記入がある。
早朝、出発準備中にぐらっと来た。
今までに体験したことのない揺れだった。
パソコンやコピー機などは位置、方向が変わり、棚の物が落ちただけで済んだ。
本当に幸いであった。
中心部は神戸、淡路方面とテレビは報じていた。
世間はその日を境に大変化した。
全てが、その逆境に克つための動きへと向かった。


「つれづれなるままに(16)”SNS”

2009-01-16 06:03:23 | Weblog
「ひとこと」を始めて半年ぐらいになるかなあ。
見も知らない人と、毎朝数人とあいさつを交わす。
最初の頃は戸惑ったが、
最近はヤッと手を上げる程度のコメントをやり取りするようになった。
おかげで、相手の方のブログも読むことが出来ている。
芸術文化に興味のある方、働きながら学んでいる方、北国の方、南の国沖縄の方、懐かしい故郷に近い方等々。
明確に分る人もいるが、ほとんどは想像での判断だ。
普通、お付き合いは、最初に直接あってから始まっていた。
それも、自分と言うものを明確にしてから・・・
しかし、この世界は、全く逆。
最初は心配したが、現在お付き合いしている人は善良な方ばかりのようだ。
やはり、「正直と謙虚さ」を貫いてこそ続く世界と見た。


「つれづれなるままに(15)”人は石垣”」

2009-01-15 06:10:46 | Weblog
今日から学びの日が復活する。
今年初めてであり、ちょっとだけ緊張もある。
仲間たちとも会えるが、心配もある。
採用内定取り消しになったものがいないかである。
確かに、景気悪化の影響はある。
企業は容赦なく人員削減を表明し、実施している。
「人は城、人は石垣、人は堀、・・・」は武田信玄の言葉だったと思う。
大事なのは何よりも人間だと言う意味だろう。
企業の粘りの発揮を願いたいものだ。
城が崩壊しないためにも・・・
写真は、野生の柿の木。

「つれづれなるままに(14)”コンビニ”」

2009-01-14 06:12:32 | Weblog
ぶらっとコンビニに入った。
時には利用するが、まだ少ないほうかもしれない。
かなりの利用客である。
ふと「おでん」が食べたくなって、アゲ、スジ、タマゴ、コンニャク、ジャガを買った。
これは、大阪玉造駅ウラの「おでんや」で、仲間と一杯やるときの自分の定番だったからである。実はそれに加えて、タコの足があったが・・・
薄味かなあと思ったが、これがなかなかいけるのである。
これだけの品数があればまた利用しようと思った。
なるほど、コンビニって単なる便利さだけではなくなったようだ。
生活文化を変えるところまで来ているといってもよさそうである。
災害時のニュースでもはっきりと、公共的存在感を示していたから・・・
写真は、野生化??している「梅の木」
多分、

つれづれなるままに(13)”シニアのたたずまい”」

2009-01-13 05:53:35 | Weblog
民俗学者の神埼宣武さんが、新聞で「下着への気配り」と言う記事を書いていたのを思い出す。
噺家は、冬でも大体白い半そでかステテコを着用していると。
これがなんで身だしなみかと言うと、着物の袖や裾から下着がのぞいていては、さまにならないからだと言う。
芸人の心意気か、「伊達の薄着」なのだろうか。
それを読んで、ひそかに苦笑している。
実は何を隠そう、成人してからこのかた(記憶の限り)自分も、伊達の薄着ではないが、四季を通じてランニングシャツとステテコ以外は着用したことがない。
よる年波、最近ちょっと寒さを厳しく感じているところである。
写真は、自然に生えてる「竹」である。
多分、

「つれづれなるままに(12)”あなたはどっち??”」

2009-01-12 06:03:59 | Weblog
日経土曜版は時に興味を引く記事がある。
「携帯電話で暮らしに変化は?」
あなたならどっち?と言うわけである。
アドレス帳をもたなくなった人も多くなったそうである。
これは頷ける。しかし、自分の場合は他の目的も兼ねているのでもっている。
腕時計?これはどうも永年の習慣か、してないと寂しいからやはりしている。
面白いのは、待ち合わせの場所選びと電車の中での読書等だ。
やはり電波の届く場所にするは頷けるし、ケイタイで暇つぶしするので雑誌等を買わなくなったも分かるような気がする。
しかし、待ち合わせ場所を決めなくなったは、ちょっと行き過ぎのような気がするが・・・
写真は、自然に生えている松。
多分、