藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

久々の登山

2014-12-03 18:42:00 | 山登り
 私の育児休業も、残すところあと1ヶ月となった。早いものである。この1ヶ月は、悔いのない様に過ごしたい。一方で、育児にも大分余裕が出来てきたので、連れ合いの了解も得て、久々に登山に行くことにした。私の中では、登山と言うと2000m位からを指しているのだが、今回はその基準を満たす?山行である。
 了解を得ているとは言っても、朝の家事を済ませてから行くため、そんなに遠くへはいけない。検討した結果、山梨県大月市真木の大峠から黒岳経由で牛奥ノ雁ヶ腹摺山に行くことにした。牛奥ノ雁ヶ腹摺山とは長い名前だが、まだ子どもができるより大分前、連れ合いと登った大菩薩嶺の丸川荘で夜に見せていただいたスライドの中の1枚の写真が牛奥ノ雁ヶ腹摺山からの富士山であった。それがずっと記憶に残っていたのである。大峠までの真木小金沢林道は、今年は12月11日で冬季閉鎖。行くなら今である。また、大峠は3.11以降、福島第1原発事故により飛散した放射性物質が到達しており、その周辺の線量をガイガーカウンターで測ってみるというのも目的の1つとなった。

 大峠からの富士山。とても綺麗である。



 計測してみると、0.23μSv/h。大体このような値であった。



 凍結を予想してアイゼンも持っていったが、凍っている箇所はあるものの、そこまでではない。霜柱が至る所に立っていた。これは最初のピーク、赤岩ノ丸(1792m)。赤岩という御神体があるようだが、帰りの楽しみに取っておく。



 さて、黒岳までは日陰の道となるが、段々と寒くなってくる。また、天気は良いが風がかなりの強さで吹いており、恐らく外気温は2~3℃かと思われたが、体感気温は氷点下。結構耐え忍んだが、余りの寒さに雨具をウインドブレーカー代わりに着込む。



 黒岳(1987.5m)。展望は余りないが、風が強すぎたため、これ位木が生えていて良かった。



 以降は、大菩薩嶺から滝子山へと長く繋がる縦走路の一部となる。途中、男性の単独登山者に会ったが、牛奥ノ雁ヶ腹摺山の先の小金沢山まで行けばいいのにと言われる。何故かと言うと、小金沢山は2014mで、今年の数字と同じだからと。
 途中、川胡桃沢ノ頭というピークを通過する。ここは笹原で、見通しもよく気持ちよい。私はこういう場所は好きである。





 賽ノ河原と呼ばれる笹原から牛奥ノ雁ヶ腹摺山を望む。



 これが牛奥ノ雁ヶ腹摺山(1995m)。山頂で、今度は女性2人組に会う。彼女達もここで止めておこうかと思ったが、小金沢山まで行って来たという。何故なら今年の数字と同じ2014mだから。こうも言われると、このピークは2000mには僅かに足りないし、山屋としては行きたくなるのかも知れないが、私は元来ピークハンティングには興味なく、2000mという基準も植生が変わってくるのに興味があるためであり、山の中で心行くまでのんびりすることにする。しかし山頂付近の白い部分は全て霜柱。天気が良すぎて写真では富士山が良く見えないが、素晴らしい眺望。ということは、とてつもなく風が吹いているということであった。





 計測してみると、大体大峠と同じような状態で、ここにも残念ながら汚染は到達していた。



 こんな素晴らしいところなのに。









 人類は原子力発電から手を引くべきと改めて思い、帰路に着く。私は、冬の登山は大好きである。というのも、空気が澄んでいて、見上げると抜けるような深い青い空が楽しめるからである。ぽかんと口を開けて眺めていると、ふと、目が見えるようになって来た子どもが、よく天井を見上げて口をぽかんとさせているのを思い出した。子どもの距離感と私が感じているような距離感は、相対的には同じようなものかもしれない。
 私はこういう木を見上げながら空を見ると、口をぽかんとさせてしまう。





 帰りに赤岩本宮に立ち寄る。急坂をかなり降りたら岩が聳え立っており、その上に小さな社がある。岩の上からふと見やると月が出ていた。





 久々の登山は、とても充実した山行であった。帰宅してみると、連れ合いより、今日は初めて子どもがニギニギを長い時間握っていられたと報告が。いつか一緒に山に行けるといいね。
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