藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

湯河原で休日

2013-09-28 22:46:00 | 
 週末は、同じ神奈川県とは言っても海側の湯河原町にドライブに出掛けた。私達が親しくさせていただいている藤野在住の絵本作家いまきみちさんの展示会&スライド上映が主な目的なのだが、折角なので、近場で立ち寄れるところはないものかと探し、まずは不動滝に行ってみることにした。

 湯河原温泉郷の奥、無料駐車場から1分で不動滝がある。

 


 この手前に茶屋があるのだが、ここで食事をすると足湯に入ることが出来る。これは嬉しいサービスである。ここの源泉は70度以上あり、とても熱い。茶屋のおばさんが、お湯の量を微妙に加減してくれて足裏から体を温めることが出来た。



 さて、この不動滝はとある世界では、世界的に有名な場所である。一体何故有名なのか? 実はこの不動滝は、湯河原沸石という新鉱物が発見された場所なのである。鉱物は、新しく発見された場所が原産地になるので、この石は湯河原が原産ということになる。この石の中の白い部分が湯河原沸石。これは茶屋で見せてもらえるが、あんまりよい標本ではない。 



 結晶が良く分かる写真はこれである。

http://www.weblio.jp/content/%E6%B9%AF%E6%B2%B3%E5%8E%9F%E6%B2%B8%E7%9F%B3

 沸石といえば、学名をZeolite(ゼオライト)と言い、放射性物質を吸着する装置に使われているので、最近その名を聞いたことある方もおられるのではないだろうか。

 さて、この湯河原沸石の発見の経緯を紹介しておきたい。アマチュア鉱物学者の櫻井欽一氏が、1930(昭和5)年の春、祖父のお供で湯河原の温泉へ行き、不動滝付近で美しい沸石の結晶を見つけた。長くて申し訳ないのだが、櫻井氏の回想をその著作から引用してみる。  

 「…当時私は旧制の中学生で、何であるかわかりませんでしたが、小学生時代から好きで鉱物をあつめていたので、この美しい結晶をみつけ大よろこびいたしました。ところが家へ帰っていろいろしらべてみましたが、どうやら沸石の類らしいとまではわかっても、本にのっているどの鉱物にも合わないので、自分勝手に湯河原沸石という名前をつけておきました。その後私は家の商売をつぐため上の学校へ行くことができなくなりましたが、鉱物のことは一日も忘れず、たくさんの参考書を次々によみふけり、又ひまがあれば博物館へ行って陳列の鉱物をあかずにながめておりました。(中略)さて、終戦後、私は親友の林瑛(アキラ)君を始め反田(ソリダ)栄一君、下田信男君の協力で、再び湯河原沸石の研究に着手し、とうとうこの鉱物が世界中のどこにもなく、湯河原温泉のほんの一部分だけにしか出ない新しい種類であることをつきとめ、昭和27年、専門の雑誌に発表いたしました。」

 ということで、この鉱物好きの少年が発見した湯河原沸石は、日本で4番目に発見された新鉱物となったのである。

 話が大分逸れてしまって申し訳ないのだが、同じ湯河原に「飛ぶ魚」という金、土曜のみ営業しているギャラリーがあり、そこが本来の目的地である。



 ギャラリーは真鶴半島が見える高台にある。この真鶴半島という場所もかなり面白い場所のようで、天然記念物の照葉樹林帯など自然豊かな場所である。ギャラリーで聞いた話では、この半島にある貝類博物館もなかなか凄そうなコレクションを持っているようである。



 展示内容は、刺繍と染めで絵を書くという独特の技法を持っているいまきさんの原画展と、フィリピンのカオハガン島という島で作られているキルトの展示。写真撮影はしなかったので、お近くで興味ある方は直接足を運んでみて下さい。とりあえずいまきさんの絵本に出てくるキャラクターをモチーフにしたクッキーを紹介させて頂きます。来年5月に、いまきさんの連れ合いの西村繁男さんの展示会も行なわれるということで、また来ることになりそう?


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吉野・天川修験の旅 その3

2013-09-06 21:50:00 | 
 翌日は、時々雨が降る中を出発して、まずは水を汲みに行く。洞川には3箇所有名な湧水があるのだが、一番有名なゴロゴロ水は五代松鍾乳洞の近くにある。ということは、石灰岩の影響で、水は硬めではないかと判断し、軟水と評判のあった泉の森に行くことにした。

 泉の森は神社の境内にある。



 隣には、オートキャンプ場があるのだが、サイドビジネスとして水晶を売っている。割と怪しめであるが。
 ここ洞川には五代松鉱山跡があり、そこで水晶が取れることでも有名なのだが、一般人は入山禁止となっている。恐らくその近辺で取れたものではないかと思われる。



 五代松鍾乳洞へ。面不動鍾乳洞では繊細な細い鍾乳石が見られたが、こちらでは見事な石筍が見られる。



 洞川には大峰山に登る行者の行場があるが、第1行場の蟷螂の窟に行って見ることに。ここは修行の場のため、大峰山が開いている時期しか入れない。今年は9月23日までという。入ってみて、かなりびっくりする場所であると同時に、凄く神聖な感じを受ける。詳細は敢えて書かないので、ご自分の目で確かめられんことを。



 旅の終わりには天河大弁才天社へ。八朔祭を行なっていたのだが、神事の最後に南無神変大菩薩(役行者のこと)、南無大師遍照金剛(空海のこと)という真言と般若心経を唱えているのにはたいそう驚いた。明治以前の神仏混交というのは、こういう感覚のことなのだなと感銘を受けた。また南朝とも関係が深かったようで、中央から遠く離れた場所ゆえに、一種のアジールとしてこの地が機能してきたのではないかと思われた。又訪れて考察を深めて行きたいと思う。


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吉野・天川修験の旅 その2

2013-09-06 21:34:00 | 
 さて、今宵の宿は洞川温泉は花屋徳兵衛。建物は新しいが、由緒のある宿である。ここに限らず、元々は洞川温泉というのは修験道の行者さん達が泊まる宿のため、講毎に常宿というのが決まっている。朝には法螺貝が響き渡るのもここならである。



 修験道の一派に当山派があり、京都の醍醐寺を本山としているが、その真言宗醍醐派の寺である龍泉寺。洞川温泉街から歩いてすぐである。



 その境内にあるなで石。これは是非体験して欲しいのだが、私も実際に叩くと重く感じた。ちなみに、父親は全く変わらないと言っており、「お前は暗示にかかりやすいのではないか」という分析であったが、暗示でも何でも体感がこんなに変わるというのはある意味凄いと思う。





 さらに山の方に歩いていくと、面不動鍾乳洞がある。歩いても行けるのだが、登り口からトロッコに乗って向かった。



 関西有数の大きさなどと書いてあったが、それはさておき結構楽しめた。
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吉野・天川修験の旅 その1

2013-09-06 20:46:00 | 
 今年の夏は、地元神社の夏祭りの係りとなり、それはそれでよい体験だったのだが、自分の思うような休暇は過ごせないで来た。8月の終わりと9月の頭にかけ、ようやく連休を取ることがで来たので、連れ合いと実家に帰省した。

 今回の旅は奈良方面。私達が住んでいる所の地名は吉野というのだが、昔、旅のお坊さんが、この地に差し掛かった時、奈良の吉野に似ていると言ったことが由来であると聞いたことがある。連れ合いは初めてというので、吉野方面に行くことにした。それに加えて、先日父親が行って良かったという、天川村の洞川(どろがわ)温泉。天川村は、芸能の神様で有名な天河大弁才天社を訪れたことはあるが、洞川温泉泊まりは始めてである。

 旅の出発点は、吉野山は金峯山寺の蔵王堂。檜皮葺の建造物としては、何と世界一の大きさである。吉野山から大峰山にかけての地域は、修験道の聖地として栄えてきた。蔵王堂に祀られている蔵王権現も、修験道の開祖役行者が感得したとされる仏である。明治に入ってから修験道が禁止となり、大きな打撃を蒙ったが、戦後に金峯山修験本宗として復興している。



 吉野山から蔵王権現堂の遠景だが、ウチの近所に似ているかどうか? 連れ合いは似ていると言っていたが。


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