知人から、甲府盆地には巨石信仰の神社が幾つかあると聞かされていたのだが、今回やっとその内の3社を訪れることが出来た。
まずは有名な大石神社。最近では、ボルダリング(ロッククライミングの1ジャンルで、ロープも着けずに低い岩を登る)に訪れる若者達もいるようだ。祭神は大山祇命で一番大きな甲石(花崗岩)は高さ12m、周囲67mで山梨県随一と言われている。その他、巨石が山のそこかしこに点在している。
大石神社の創建は不明だが、巨石群は社殿建築以前から磐座(いわくら)として石信仰の対象になっていたと見られる。
手前の平たいのが浮舟石。いかにも祭祀に使われていた様だ。奥が甲石だが、大きすぎて全容を捉えることが出来なかった。
産屋石の裏側。まさに部屋の様だ。
次ぎに訪れたのは、立石神社。祭神は天手力雄命。本殿の裏山は、この様に石だらけで、ぐるりと取り囲まれた様な感じがする。
最後に、足尾山中都神社という神社に行ったのだが、ここはどうやらお目当ての神社ではなかった様だ。しかし、興味深いので紹介する。
ここに至る道はなかなか凄いもので、軽自動車でもギリギリの道を暫く行き、細い山道を登る。薄暗い植林帯の中に神社があるが、参道はがたがたで本殿もぼろぼろで落書きだらけ。残念ながら、神社の維持がギリギリなされているのか、もしくは朽ち果てるのを待つだけかといった状態だ。
この神社は、文化15年(1818)にこの地に疫病が流行した際、平素から信仰の篤い者の夢枕のお告げによって常陸国(現茨城県)足尾山から神符、鉄わらじを勧請して創建され、なんと御神体が鉄わらじである。
本家の足尾山は、筑波山や加波山と並んで古来より山岳信仰の対象となっており、山中には霊石とされる巨岩や奇岩も多い。かつては山中に800座の霊場があったといわれ、明治・大正・昭和の初め頃までは多くの霊場参拝者があったが、現在は廃れてしまっている。山頂には足尾神社があるが、醍醐天皇が夢枕でこの神社を知り祈願して足の病が全治したといわれることから、足の病に霊験があるとされ、草鞋、靴、義足などが多数奉納されている。
この神社にも鉄わらじが奉納されている。
かつて奥多摩の鳩ノ巣付近で潰れた神社を見て何とも言えない衝撃を受けたことがある。その集落はもう家が1軒しかなく住んでいる人も1人だった。神社や仏閣は、村落共同体の中心になっているのだろうから、それが朽ち果てるということは、共同体自体の終焉も意味する。私は実は、狭義の意味では神社を支持しているわけではないのだが、長く続いた物事が終わっていくということに関しては、無関心ではいられないようだ。
これは、足尾山中都神社のある牧丘町西保の郵便局。いつの時代に作られた建物なのだろうか。
まずは有名な大石神社。最近では、ボルダリング(ロッククライミングの1ジャンルで、ロープも着けずに低い岩を登る)に訪れる若者達もいるようだ。祭神は大山祇命で一番大きな甲石(花崗岩)は高さ12m、周囲67mで山梨県随一と言われている。その他、巨石が山のそこかしこに点在している。
大石神社の創建は不明だが、巨石群は社殿建築以前から磐座(いわくら)として石信仰の対象になっていたと見られる。
手前の平たいのが浮舟石。いかにも祭祀に使われていた様だ。奥が甲石だが、大きすぎて全容を捉えることが出来なかった。
産屋石の裏側。まさに部屋の様だ。
次ぎに訪れたのは、立石神社。祭神は天手力雄命。本殿の裏山は、この様に石だらけで、ぐるりと取り囲まれた様な感じがする。
最後に、足尾山中都神社という神社に行ったのだが、ここはどうやらお目当ての神社ではなかった様だ。しかし、興味深いので紹介する。
ここに至る道はなかなか凄いもので、軽自動車でもギリギリの道を暫く行き、細い山道を登る。薄暗い植林帯の中に神社があるが、参道はがたがたで本殿もぼろぼろで落書きだらけ。残念ながら、神社の維持がギリギリなされているのか、もしくは朽ち果てるのを待つだけかといった状態だ。
この神社は、文化15年(1818)にこの地に疫病が流行した際、平素から信仰の篤い者の夢枕のお告げによって常陸国(現茨城県)足尾山から神符、鉄わらじを勧請して創建され、なんと御神体が鉄わらじである。
本家の足尾山は、筑波山や加波山と並んで古来より山岳信仰の対象となっており、山中には霊石とされる巨岩や奇岩も多い。かつては山中に800座の霊場があったといわれ、明治・大正・昭和の初め頃までは多くの霊場参拝者があったが、現在は廃れてしまっている。山頂には足尾神社があるが、醍醐天皇が夢枕でこの神社を知り祈願して足の病が全治したといわれることから、足の病に霊験があるとされ、草鞋、靴、義足などが多数奉納されている。
この神社にも鉄わらじが奉納されている。
かつて奥多摩の鳩ノ巣付近で潰れた神社を見て何とも言えない衝撃を受けたことがある。その集落はもう家が1軒しかなく住んでいる人も1人だった。神社や仏閣は、村落共同体の中心になっているのだろうから、それが朽ち果てるということは、共同体自体の終焉も意味する。私は実は、狭義の意味では神社を支持しているわけではないのだが、長く続いた物事が終わっていくということに関しては、無関心ではいられないようだ。
これは、足尾山中都神社のある牧丘町西保の郵便局。いつの時代に作られた建物なのだろうか。