藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

大鹿村と長瀞を繋ぐもの

2014-01-22 19:28:00 | 
 先週末は、埼玉県は秩父の長瀞へ日帰りで行った。長瀞は、岩畳と名付けられた渓谷美、ライン下りなどで有名であり、私も何度か訪れたことがあった。
 鉱物や地質に興味が出てからは初めて訪れたのだが、まずは埼玉県立自然の博物館へ。ここは、リニューアルする前に1度来たことがある。そんなに大規模ではないがコンパクトにまとめ、子供にも興味が持てるように展示が工夫されている。展示されていた秩父鉱山から産出された鉱物の写真を幾つか。











 最後の自然金の説明に荒川という言葉が出てくるが、これは東京都民なら御馴染み、東京湾まで流れる、あの荒川である。荒川の源流は甲武信ヶ岳東麓の真の沢で、その長い旅の中では長瀞も上流の方になるだろう。

 
 この長瀞は、三波川変成帯という中央構造線の外帯に接する変成岩帯である。中央構造線と言えば、昨年12月に訪れた長野県下伊那郡大鹿村の中央構造線博物館で説明を聞き、実際に北川露頭も訪れたばかりである。なるほど、大鹿村と長瀞は、同じ変成岩帯に属しているのか。そうであれば、大鹿村で見た緑色の巨岩「みかぶ緑色岩」と同じようなものが長瀞でも見られるはずなのだが、実は、岩畳と呼ばれる地形全体が変成岩帯の露頭で、緑色片岩が多くを占めている。







 三波川とは群馬県の地名なのだが、この同じような緑色の岩が実際に、日本列島の東西を帯のように繋がっている姿をイメージすると、物の見方がガラッと変わってくる。
 長瀞は、古くから多くの地質学者に注目されていて、宮沢賢治も1916年(大正5年)に長瀞を訪れている。緑色片岩の岩畳の中に、茶褐色の大きな岩が横たわっていて、虎岩と呼ばれているのだが、賢治は、虎岩を次の様に詠んでいる。

 つくづくと「いきなもやうの博多帯」荒川岸の片岩のいろ

 さて、これが虎岩である。虎岩は、表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの結晶片岩で、茶褐色の鉱物・スチルプノメレンや白色の石英、方解石からなる。地中深くで出来た褶曲が見られる。





 以前は、名勝として訪れた長瀞であったが、色々知識を得てみると、こんな凄い場所だったのかと、改めて驚いている次第である。


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どんど焼き

2014-01-12 13:48:00 | 藤野歩き
 携帯で撮ったので鮮明ではないのだが、今日は朝からシュタイナー高等部のグラウンドでどんど焼きであった。私の出身地では、氏神様の境内でやっていたようだが、先日帰省した際に行ってみると「環境保護の観点から今後中止します」との看板が立っていた。こちらではみんなで火の番をしていると、子供達がお菓子を貰いに来たりお団子を棒切れの先につけて焼いていた。


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下部界隈 石の旅

2014-01-11 22:47:00 | 山登り
 仕事も始まったこの1週間の終わりをどうするか、ということで「鉱物ウォーキングガイド」(松原聰著 丸善刊)を種本として、山梨県南巨摩郡身延町の下部温泉界隈を探索してみた。
 まずは、本に記載されている岩欠のぶどう石を観察に行くことにした。
 ぶどう石とは、カルシウム・アルミニウムの含水珪酸塩(けいさんえん)鉱物。マスカットのような淡緑色で丸い形をしている。本にも掲載されているくらいだから、鉱物マニアが採集しつくしているのではないかと思っていたのだが、やはり1時間くらい見てみたが、顕著な結晶は見当たらず、これがぶどう石?みたいな物を1箇所発見した程度。ただし、結晶化していないが、ぶどう石の脈と思われる淡緑色の筋はそこそこ見かけた。

 甲斐常葉駅近くの栃代川岸が露頭である。



 中央を横切っているのが恐らくぶどう石の脈で、ぶどうどころか直径5㎜位の結晶を見つけるのがやっとであった。



 さて、この時期は非常に寒い。そこで、下部温泉に入りに行くことに。下部温泉は、武田信玄の隠し湯としても知られた古くからの名湯だが、下部川上流の湯之奥には金山が3つあり、戦国時代から掘られていた。その歴史を振り返り、しかも砂金採り体験まで出来てしまうのが、温泉街の外れにある湯之奥金山博物館である。

 日本で採れた自然金。





 この直径1cm程度の金貨を作るのに、1tの鉱石が必要だったという。



 金山衆と呼ばれた人々の山の中での仕事の様子。



 その後、砂金採り体験をしてみたが、30分で小さな砂金が9粒程取れた。砂金は川砂をさらうが、金鉱山では鉱石を細かく砕いて、精錬して、何工程も経てやっと金のみが残る。いずれにせよ大変な苦労である。恐らく人類の歴史が始まって以来、ずっと重要な位置を占めてきた鉱物である金。冬季は道路閉鎖のためいくことは出来ないようだが、暖かくなったら、是非実際の金鉱山跡を尋ねてみたいと思う。見終わってからは、下部温泉会館という、地元の人御用達の日帰り専門の施設で温まった。


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来る年

2014-01-01 19:43:00 | 
 昨夜は、藤野の篠原にある福寿院というお寺に除夜の鐘を突きに行き、帰りがけに近所のお寺にお参りを済ませた。今日は元旦。私のルーツである山梨県富士吉田市の下吉田にある小室浅間神社に初詣に行き、その足でお墓参りをしてきた。
 今年も社会は色々と動きそうで、何となく悪い予感しかしないのだが、兎も角新しい気持ちでスタートを切った。

 茅の輪くぐりを待つ人達。



 茅の輪くぐりの作法。前に来た時は、こういう作法は記されていなかった。恐らく今年から? 並んでいる人達も「こういう風にやるんだっけ?」などと言いながらくぐっていた。



 後醍醐天皇の第1皇子、大塔宮護良親王縁の桂。護良親王にまつわる話は藤野近辺でもあるのだが、藤野辺りの伝承だと護良親王は鎌倉で既に捕らえられ、その妃の雛鶴姫が逃げてきて、お隣の山梨県秋山で亡くなったという話なのだが、ここでは護良親王の首級がこの桂の根元に埋まっているという話である。



 今年こそ良い年となりますよう。皆様にご多幸あらんことを祈念して。
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