先週末は、埼玉県は秩父の長瀞へ日帰りで行った。長瀞は、岩畳と名付けられた渓谷美、ライン下りなどで有名であり、私も何度か訪れたことがあった。
鉱物や地質に興味が出てからは初めて訪れたのだが、まずは埼玉県立自然の博物館へ。ここは、リニューアルする前に1度来たことがある。そんなに大規模ではないがコンパクトにまとめ、子供にも興味が持てるように展示が工夫されている。展示されていた秩父鉱山から産出された鉱物の写真を幾つか。
最後の自然金の説明に荒川という言葉が出てくるが、これは東京都民なら御馴染み、東京湾まで流れる、あの荒川である。荒川の源流は甲武信ヶ岳東麓の真の沢で、その長い旅の中では長瀞も上流の方になるだろう。
この長瀞は、三波川変成帯という中央構造線の外帯に接する変成岩帯である。中央構造線と言えば、昨年12月に訪れた長野県下伊那郡大鹿村の中央構造線博物館で説明を聞き、実際に北川露頭も訪れたばかりである。なるほど、大鹿村と長瀞は、同じ変成岩帯に属しているのか。そうであれば、大鹿村で見た緑色の巨岩「みかぶ緑色岩」と同じようなものが長瀞でも見られるはずなのだが、実は、岩畳と呼ばれる地形全体が変成岩帯の露頭で、緑色片岩が多くを占めている。
三波川とは群馬県の地名なのだが、この同じような緑色の岩が実際に、日本列島の東西を帯のように繋がっている姿をイメージすると、物の見方がガラッと変わってくる。
長瀞は、古くから多くの地質学者に注目されていて、宮沢賢治も1916年(大正5年)に長瀞を訪れている。緑色片岩の岩畳の中に、茶褐色の大きな岩が横たわっていて、虎岩と呼ばれているのだが、賢治は、虎岩を次の様に詠んでいる。
つくづくと「いきなもやうの博多帯」荒川岸の片岩のいろ
さて、これが虎岩である。虎岩は、表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの結晶片岩で、茶褐色の鉱物・スチルプノメレンや白色の石英、方解石からなる。地中深くで出来た褶曲が見られる。
以前は、名勝として訪れた長瀞であったが、色々知識を得てみると、こんな凄い場所だったのかと、改めて驚いている次第である。
鉱物や地質に興味が出てからは初めて訪れたのだが、まずは埼玉県立自然の博物館へ。ここは、リニューアルする前に1度来たことがある。そんなに大規模ではないがコンパクトにまとめ、子供にも興味が持てるように展示が工夫されている。展示されていた秩父鉱山から産出された鉱物の写真を幾つか。
最後の自然金の説明に荒川という言葉が出てくるが、これは東京都民なら御馴染み、東京湾まで流れる、あの荒川である。荒川の源流は甲武信ヶ岳東麓の真の沢で、その長い旅の中では長瀞も上流の方になるだろう。
この長瀞は、三波川変成帯という中央構造線の外帯に接する変成岩帯である。中央構造線と言えば、昨年12月に訪れた長野県下伊那郡大鹿村の中央構造線博物館で説明を聞き、実際に北川露頭も訪れたばかりである。なるほど、大鹿村と長瀞は、同じ変成岩帯に属しているのか。そうであれば、大鹿村で見た緑色の巨岩「みかぶ緑色岩」と同じようなものが長瀞でも見られるはずなのだが、実は、岩畳と呼ばれる地形全体が変成岩帯の露頭で、緑色片岩が多くを占めている。
三波川とは群馬県の地名なのだが、この同じような緑色の岩が実際に、日本列島の東西を帯のように繋がっている姿をイメージすると、物の見方がガラッと変わってくる。
長瀞は、古くから多くの地質学者に注目されていて、宮沢賢治も1916年(大正5年)に長瀞を訪れている。緑色片岩の岩畳の中に、茶褐色の大きな岩が横たわっていて、虎岩と呼ばれているのだが、賢治は、虎岩を次の様に詠んでいる。
つくづくと「いきなもやうの博多帯」荒川岸の片岩のいろ
さて、これが虎岩である。虎岩は、表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの結晶片岩で、茶褐色の鉱物・スチルプノメレンや白色の石英、方解石からなる。地中深くで出来た褶曲が見られる。
以前は、名勝として訪れた長瀞であったが、色々知識を得てみると、こんな凄い場所だったのかと、改めて驚いている次第である。