藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

都留のつかみ取り

2017-07-30 10:27:00 | 
 信州上田の霊泉寺温泉で、子どもは岩魚のつかみ取りに挑戦したが、全くつかめず悔しそうだったことは前回書いた通り。
 先週末に地元の河原で遊んだが、その際「バケツ持って魚取るかー」「網持って」などと言っている。魚をとることに興味があるようなので、いきなり渓流釣りは出来ないから、まずは管理釣り場に行くことに。
 色々調べてみると、山梨県都留市のすげのレジャーセンターというところで釣り堀やつかみ取りが出来ることがわかって、行ってみることにした。すげのレジャーセンターは、道志みちから別れて峠を越えて都留市内に行く途中にあり、いわゆる道志のキャンプ銀座からは離れており、「人もあんまりいない穴場ではないか」と判断したのである。

 もう世間は夏休み。道志みち沿いのキャンプ場でも「満員御礼」の札がかかっているところがある。釣りやキャンプなど全く興味がなかったのだが、子どもが行きたいとなると「じゃあ行こうか」となるのが親の人情。藤野から下道1時間程度ですげのレジャーセンターに到着した。

 思ったよりも人は来ている。しかし、土地柄地元の人中心の場所のようだ。私たちはバーベキュー場に陣取り、釣り堀に群がる人たちを尻目に、親子でつかみ取りの池へ。さあ、子どもが喜び勇んでつかみに行くかと思いきや、何と「お父ちゃんとお母ちゃんと取ってきて。(自分は)バケツ持ってるから」と最初からやる気なし。「えー、そりゃないよ」と子どもの尻を叩くも、全く池には入らず。しょうがないので、私と連れ合いでつかみ取り開始。

 最初はこつがわからず、全くつかめなかったが、連れ合いがこつを発見。狭いところに魚を追い込み、片方から追い込んでもう一方の出口で待ち構えていると容易に取れた。頭を使わないとだめだと思ったが、確かに3歳前の子どもには難しいだろう。「自分には難しいから親にやって貰おう」と判断したということで、それはそれで凄い(ことなのか?)。

 取った魚は、岩魚と山女が1匹ずつで、虹鱒が2匹。バーベキューで焼いて食べておいしかった。子どもは、焼き鳥の串を持ち、食べながら釣り堀をずーっと眺めたり、さっきは全く入らなかったつかみ取りの池に入って、水遊び。

 「ここ楽しかったね、また来たいね」と言っているので、早速お盆に同じ場所でキャンプの予約を入れてしまった。完全に親バカである。

 忙しくてあまり写真を取る暇がなかった。これは親が取った魚を見ている子ども。



 バーベキュー場から子どもを隠し撮り。切り株に座って釣り堀を長い間眺めていた。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

信州上田の旅

2017-07-12 06:55:00 | 
 先週末は、子どもと上田の霊泉寺温泉へ。ここは、子どもが小さい頃から来ており、名前の由来となっている霊泉寺の境内では、子どもが初めて靴を履いて歩いたという思い出の地である。すっかり常連さんとなった。
 
 霊泉寺温泉クリーンフェスタというイベントをこの時期毎年やっており、岩魚のつかみ取りやツリークライミングなどができる。岩魚のつかみ取りは、全く装備もなく素手でトライしたため、1時間いて1匹という成果。子どもは、川の中にはこわごわであったが、私が岩魚を捕まえると俄然やる気を出したようで、積極的に川の中に入って、岩魚を追いかけている。しかし、全く捕まえることはできなくて、悔しそうである。写真撮影どころではなかったので、詳細をお見せすることができないのが残念である。

 さて、翌日は上田市内へ。霊泉寺温泉は元々は丸子町で合併して上田市となった。旧市街の方は全く行ったことがなかったのだが、今回はまずは信濃国分寺へ。創建は奈良時代だからかなり古い。平将門の乱に巻き込まれて消失。現在の寺域は元のところとは違う場所になっている。



 ここは、本堂裏の蓮畑が有名で、この時期には毎年イベントがある。地元の古老に教えてもらったが、蓮の葉を杯がわりにして、葉に穴を幾つか開け、茎を通して御神酒を飲むという風習があるそうだ。また、蓮の実が甘くておいしいことも教えてもらった。





 室町時代に立てられた現存最古の建築物である三重塔も見事。



 子どもはと言えば、境内で砂場遊びをしていた。。

 さて、次は稲倉の棚田へ。日本の棚田100選にも選ばれており、規模も5本の指に入るくらいだという。棚田を管理している方たちの説明を聞いたが、機械化されない農業をしている場所なので、生態系が保たれているという。実際、多くの雨蛙やヤゴを見て、子どもも興奮していた。



 これは車田といい、中心から外側へ回りながらする植え方で植えた田んぼ。元々は伊勢神宮に供える米を栽培していた植え方の田んぼだそうだが、今では佐渡北鵜島と飛騨高山のみに伝承されるという。
 以前、連れ合いとフィリピンのイフガオという見事な棚田群を見に行ったことがあるが、そこでも同じような植え方の田んぼがあったことを思い出した。



 上田もなかなか興味深いところが沢山ある。次回も楽しみである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする