藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

ラダックその9 再びインドへ

2010-10-03 20:49:00 | 海外
 2週間弱のラダック滞在も終わり、再び暑いインドに戻ってきた。飛行機は翌日なので、デリーで2日間を過ごすことになる。

 10年振りのデリーは、まず国際空港の様変わりに驚いたが、さらに街の中から牛が消えてしまったのには驚いた。今夏、富士山五合目で、中国人観光客が多いのに驚いたが、インドの近代化も目を見張るものがあった。

 まぁ、オールドデリーのは喧噪はあんまり変わってないようだ。



 お世話になった安宿街、パハル・ガンジだが、なんと大規模な再開発中で、道路を拡幅して舗装し直すために、通りに面した建物の表面を削ってしまっている。店も宿も普通に営業中だが、凄い工事をするものである。





 パハル・ガンジの野菜市場。一歩裏通りを入ると、あんまり変わっていない光景になる。



 最終日は、国立博物館へ。インダス文明から始まって、ヒンズー教、仏教、イスラム教、ジャイナ教などの宗教美術の数々を見ることのできる凄い場所。一点だけ紹介したいのが、この飾り立てられた金色の塔。



 これは、ゴータマ・シッダールタ、つまり釈尊の骨であるというのだ。



 仏舎利といっても、実際の釈尊の骨かどうかよく分からないものも含まれているわけだが、これは「ほぼ間違いなくそうであろう」としている。しかし、さすがインドというか何というか、凄い「展示物」だと思いました。

 さて、以下の絵は一体どこで見たものだろうか。









 これは、国際線搭乗口の目の前に飾られていた壁画から抜粋したもの。

 ラダックで、そしてちょこっとだけインド(デリー周辺)で考えていたことの片鱗を、少しは伝えることができただろうか。
 
 そもそも何故ラダックに行こうと思ったのか。

 この9月下旬から地元の障害者施設に転職することになり、「ちゃんと働く」ことになったので、今後はそんな簡単に海外にも行けないだろう。行くとしたら、今後藤野で生活していくのに、何かヒントになるようなそんな場所に行きたいと思い、今の自分の関心である密教や持続可能な社会というキーワードにドンぴしゃではまったのがラダックだったのである。
 
 行ってみて、「また来たい」と強く思った。そう簡単ではないだろうが、その内にまた訪れたいと思っている。また、私達の藤野の生活も、ラダックで見たり聞いたり考えたりしたことも糧にしながら、より豊かなものにしていきたい。

 という遠大な野望がありながら、目下の所は新しい仕事を覚えるのに手一杯で、好きな山にもあんまり行けてないが、山と同じように、一歩ずつ確実に進んでいたら、いつかは頂上かどこかに辿り着くだろうという心構えで歩んでいきたい。
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ラダックその8 近代化に揺れる村

2010-10-03 20:33:00 | 海外
 最終日の16日は、シャルグス以外の集落まで足を伸ばしてみた。

 日干し煉瓦を制作中。



 山の方から集落を見下ろしてみる。



 集落の外れにあるお堂の上に、タルチョがはためく。


 
 お世話になった村人達。



 今回は短い間だったが、大変貴重な体験ができたと思う。また同時に、ラダックの抱えるいくつもの問題を垣間見ることにもなった。
 私達がお世話になった家族も、お父さんとお母さん、そして私達と同世代の娘さんが農業をやっているのだが、息子さんや娘さんの夫と子供は大都市に働きに行ったり学んだりしている。脱穀の機械は人から借りてくるので、その分の現金も必要となる。こうして自給自足の専業農家が段々と兼業農家になってくる。すでに、日本で言う三ちゃん農業となっているのである。
 とても美しい村だが、このままの流れの中で20年位経つと、今の日本の状況と変わらないような状態になってしまうかも知れないと、ふと思った。

 
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ラダックその7 近代化に揺れる村

2010-10-03 20:15:00 | 海外
 翌15日はいよいよ脱穀を手伝う。伝統的な衣装を着るのだが、実際に作業をしてみると動きやすく作られているのが分かる。





 機械に次々に麦の束を放り込む。あっという間に脱穀がされていく。脱穀の際に出る細かい麦わらが衣服の隙間から入り込んで痒くなる。1家族分、大体2~3時間位だろうか。







 昼食を食べながら遠くを見やる。



 私達は午前中だけでお役ご免となったようなので、村を散策してみる。すると、ゾウ、ゾモを使った脱穀風景を見ることができた。この様に何頭かを繋いで、麦の上を分で歩くことによって脱穀する。1家族分、数日から1週間程度かかるそうである。脱穀の際には、延々と脱穀歌を歌い続けている。機械でやる家族と動物でやる家族に何かポリシーの違いがあるかどうかを聞くことまではできなかったのだが、少なくとも、機械が入ってこられないような集落の奥の方では動物で脱穀をするしかない、というのは確かだろう。





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ラダックその6 近代化に揺れる村

2010-10-03 19:31:00 | 海外
 さて、旅の後半がどうなるか、流れ任せにしようと考えていたのだが、何と連れ合いのNGO活動の知人で、ジュレーラダックの代表、スカルマさんがラダックに滞在していることが分かり、しかもタイミング良くレーで会うことができた。

 ジュレーラダックは、在日ラダック人のスカルマさんが中心となって、ラダックへのスタディツアーや援農、環境に優しいソーラークッカー普及活動などが主な活動内容となっている。詳細は以下に。

http://julayladakh.org/

 これは千載一遇のチャンス!と、スカルマさんに、農村へのホームステイをお願いした所、二つ返事で実現。上ラダックのシャルグスという村に2泊3日で滞在できることになった。シャルグスは、ヘミスよりも更に先で、外国人はILPがないと入れない。
 スカルマさんによると、ラダックでは、この数間でも急速に近代化が進み、このシャルグスもその狭間で揺れている村だそうで、かつては、麦の脱穀は家畜を使って行っていたが、私達が滞在する家庭では今年から機械を使うとこのこと。また、2~3年前まで飼っていた山羊や羊を、飼うのが大変だということで、もう飼っていないらしい。山羊や羊の糞は、最高の肥料となるのだそうだが。シャルグスは、幹線道路から比較的近い所にある村なので、近代化の波が早く入ってくる。近代化を一概に否定するわけではないが、その波は圧倒的なので、あっという間に呑まれてしまいかねない。伝統的な生活とのバランスを保ちながら、「昔の生活を守ろう」というだけでは厳しいので、逆に、環境に優しい新たな技術の普及活動を行おうとしていて、その1つが太陽熱を利用したソーラークッカーである。
 9月14日、一路シャルグスを目指した。

 レーから2時間弱位だろうか。幹線道路から入った扇状地に、上、中、下と3つの集落があり、下に当たる部分がシャルグスである。3つの集落を合わせた人口は800人程度とのことで、1~10年生まで学ぶ学校や、小さな病院もある。

 刈り取りが終わった畑の向こうに、私達がお世話になった家。



 家畜の糞を乾かして燃料にする。炊事には、ガスも使うがこの燃料も活躍する。家畜としては、ヤクというチベット高原に生息する牛の仲間と牛の合いの子の、ゾウ(雄)ゾモ(雌)が良く飼われている。牛よりも少し性格が荒いようだ。



 これが家畜の糞の燃料を使った竈である。



 刈り取りが終わった畑を歩く。畑とそれ以外の土地は、この様に石を積み上げた壁で仕切られているが、道の概念が曖昧なようで、ちゃんと道という形になっていない。石壁砥石壁の隙間を歩いたり、用水路?を歩いたり、畑の中を行ったり、最初はかなりとまどう。



 これが用水路? 溝を掘らずに、草むらの上をただ水が流れているように見えるが、なかなか上手いこと水が行き渡るようになっている。



 これがゾウ。



 ラダックでは、建築資材として日干し煉瓦の他にポプラの柱をよく使う。集落の隅っこにはポプラが植えられている場所が必ずある。まだ若い木が家畜に食べられないよう、石と棘だらけの枝で囲っている。



 脱穀場。脱穀は、何家族か共同で行う。



 着いた日の晩、アムチの家を訪ねた。アムチとは、チベット医学に長けた民間医で、脈拍や対話によって病状を診断し、薬を処方する。昔は、どの村にも必ず1人はいたそうである。

 この村のアムチによると、全部合わせれば2800種程の植物や鉱物を組み合わせて薬を作る。夏の期間は山で植物採集をしているのだそうである。後ろの棚に並んでいるのが、薬の素になる植物や鉱物。



 薬になる植物の標本。




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ラダックその5 洪水の爪痕

2010-10-02 17:55:00 | 海外
 今年8月、パキスタンが史上最悪と言われる洪水に見舞われたことをご記憶だろうか。あの洪水はインダス川流域で起こったのだが、実は上流であるラダックでも8月5日、レーやチョグラムサルが大洪水に見舞われた。降水量がデリーの8分の1とも言われるラダックで、何故この様な洪水が起きたのか。今夏の猛暑で氷河が溶けてインダス川に流れ込んだのが原因ではないかと言われている。今でも、400人ほどが行方不明となっている。

 実は、この様な状況下でラダックに旅に行くことについては、特に連れ合いが若干ためらっていたようである。しかし、その上で行くことを決意した。丁度私達が旅していた頃、9月12日にはレーのシャンティー・ストゥーパで在ラダック35年の中村上人が中心となって、翌13日にはダライラマ法王がレーにやってきて犠牲者の追悼法要を執り行った。

 レーの長距離バスターミナル付近。洪水は幹線道路沿いに濁流となって流れていったので、道路沿いの建物が軒並み倒壊していた。





 村の方でも、川の付近はこの様な状態。



 9月13日、レーのラムドン高校にてダライラマ法王が行った法要。朝から街中凄い人出で、軽く1万人は来場していただろう。



 ダライラマ法王の話はチベット語なのでさっぱり分からなかったが、連れ合いによると「地球温暖化」という単語が聞けたそうで、そこから連れ合いが推測した話の内容というのが「今回の洪水は、地球の温暖化によるもので、人的災害という側面もある。ラダックの人達は、これまで伝統的な生活形態の中で、地球に負荷を余りかけてこなかった。今回の災害の教訓として、伝統的な生活を見直していきましょう」というものだそうだが、真偽のほどは分からない。ただ、「懐かしい未来」にダライラマ法王が寄せた文章は同様の趣旨のものだったそうだ。



 現在的には観光が主要な産業となっているラダックだが、洪水の影響で観光客が激減。ある旅行者は「日本人観光客について言えば例年の10分の1位ではないか」と言っていた。雨が余り降らない地域で起きた大洪水。ラダックの人達が受けた衝撃はさぞかし大きいものであったろう。
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