2012年がスタートした。今年は良いことがありますようにとは多くの人が思っているだろうが、現実には波乱の年になりそうな予感がする。
元旦は何をしようか色々考えたのだが、富士山を見に行くことに決めた。山に登ってもよかったのだが、河口湖にドライブに行って温泉という、極めてお手軽なコースに決定。どうせ行くのならばと、自分に縁のある富士吉田市の小室浅間神社に初詣をして、お墓参りに行った。私の名前は、この小室浅間神社の宮司さんにつけて貰ったのだ。
茅の輪潜りをする人。列は絶える事がない。
拝殿の前でお祓いを受ける。
境内には、大塔宮護良親王の首級が埋められているという桂の神木がある。後醍醐天皇の第1皇子であった護良親王は足利高氏らによって殺されるが、その妃である雛鶴姫は鎌倉から逃げ、旧津久井町青山から牧馬峠を越えて藤野に入り、小舟、峰山の肩を越えて、山梨に抜け、秋山の無生野(現山梨県上野原市秋山無生野)で亡くなる。山梨県都留市の石船神社にも護良親王の首級があると言われているのだが、この小室浅間神社の説明によると「追っ手を欺くために様々な場所に遺品を分散したり、偽の物も置いた」とのことで、ここが本物ということのようだが、その真偽はさておいて、昨年4月18日に676年もの間離れ離れであった雛鶴姫をこの桂の根元に勧請し、御霊祭を執り行ったということである。
すぐ近くの聖徳山福源寺へ。名前から推測できるように、この寺には聖徳太子縁の六角形をした太子堂があり、私が子供の頃、お盆の際にはその周囲を回ったりして楽しんだものだ。普段は開いていないのだが、元旦だからか、中を見ることが出来た。これは聖徳太子像、親鸞作と伝えられている。
福源寺には鶴塚があり、これには徐福伝説が伝えられている。秦の始皇帝から不老不死の薬を探せとの命を受けて船出した徐福は、日本に上陸し、終に富士山に行き着いた。徐福が死ぬと、3羽の鶴に化身し空に舞い上がった。2000年程後、その鶴が1羽死んで福源寺の池に落ちた。その鶴を葬ったのが鶴塚だと言う。
また来る時にでも、これらの言い伝えをより深く掘り下げてみようと思う。