藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

雪景色

2012-01-25 20:14:00 | 藤野歩き
 1月23日深夜から未明にかけて、この冬一番の雪となった。家のアパート前では5センチ程度。北丹沢の方へ向かうと、20センチ程度の積雪である。今年の冬は寒いが、雪も多いのだろうか。

 家の前。



 藤野駅。



 石砂山を遠くに眺める。



 旧藤野町とは道志川を挟んで向かい側の旧津久井町青根地区。



 今日は晴れたので、日向はだいぶ融けたが、山の北斜面やその麓の集落はまだ雪景色である。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

山梨で脱原発講演会

2012-01-09 18:40:00 | 異議申し立て
 1月8日、山梨県甲府市にあるコラニー文化ホールにて、小出裕章氏講演会が開催された。小出氏は40年以上の専門家の立場から原子力発電所の危険性を訴えてきたが、福島第1原発の事故が起きて以降は、メディアや各地での講演会で引っ張りダコとなっている。山梨県での講演会は事故以降、初めてのことなるが、半年以上も前から県内の有機八百屋を中心としたネットワークが準備して、当日は何と満席。2000人以上が来場した。

 午前中は、ホワイエにて和みの市を開催。県内を中心とした八百屋、パン屋、雑貨屋が大集結して盛況だった。藤野の知人にも会う。13時半より講演会が始まり、16時過ぎまであっという間に過ぎた。私は、小出氏の話を直接聞くのは2回目だが、とても話が上手で説得力があり、分からないことについては分からないと答えるのが誠実に思えた。

 講演の中で触れられた、4号機建屋の写真。他の号機と違って、建屋の下のほうまで吹き飛ばされているのが特徴。右側の中段に使用済み燃料プールがある。このプールが余震か何かで損傷すると、今まで以上の放射性物質の漏洩が予想されることが緊張感を持って語られた。



 最後は、実行委員とともに一本締めで終了。



 元旦早々の地震と、このところセシウム降下量が増加していることは多くの聴衆者にとっても不気味なようで、講演会ではこの件に関しての質問が一番多かったという。未だ収束していない福島第1原発の現状を知り、気を引き締めつつ、新しい社会を作っていこうという思いに溢れた講演会だった。

 講演会のサイトは以下の通り。1月14日にはustreamには当日の映像が公開される予定だという。

http://datsugen-yamanashi.org/
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大ヨケの滝

2012-01-07 19:41:00 | 山登り
 新車の1ヶ月点検の帰り、埼玉県飯能市は名栗方面に立ち寄った。連れ合いの母校がある所なのだが、学校より奥の方へは行った事が余りないという。私は、以前に触れた尾須沢鍾乳洞など、幾つかのスポットに立ち寄ったことがある。

http://wind.ap.teacup.com/applet/fujino/201101/archive

 今回は、さわらびの湯に寄って、鳥居観音に行こうと考えたのだが、温泉で時間切れになってしまい、鳥居観音は諦めて、さわらびの湯から近い名栗湖と、その先にある大ヨケの滝を見に行った。

 水量もそんなに多くなく、滝壺も小さい渋い滝である。





 苔から滴り落ちる水が凍って氷柱になり、



 長くなって重くなると折れて下に落ちている。



 この辺りは手軽なハイキングコースが沢山あり、さわらびの湯にも登山客が沢山来ていた。大ヨケの滝には上部があり、山に登らないと見られないようなので、また来ることにしよう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初詣

2012-01-02 10:59:00 | 
 2012年がスタートした。今年は良いことがありますようにとは多くの人が思っているだろうが、現実には波乱の年になりそうな予感がする。

 元旦は何をしようか色々考えたのだが、富士山を見に行くことに決めた。山に登ってもよかったのだが、河口湖にドライブに行って温泉という、極めてお手軽なコースに決定。どうせ行くのならばと、自分に縁のある富士吉田市の小室浅間神社に初詣をして、お墓参りに行った。私の名前は、この小室浅間神社の宮司さんにつけて貰ったのだ。

 茅の輪潜りをする人。列は絶える事がない。



 拝殿の前でお祓いを受ける。



 境内には、大塔宮護良親王の首級が埋められているという桂の神木がある。後醍醐天皇の第1皇子であった護良親王は足利高氏らによって殺されるが、その妃である雛鶴姫は鎌倉から逃げ、旧津久井町青山から牧馬峠を越えて藤野に入り、小舟、峰山の肩を越えて、山梨に抜け、秋山の無生野(現山梨県上野原市秋山無生野)で亡くなる。山梨県都留市の石船神社にも護良親王の首級があると言われているのだが、この小室浅間神社の説明によると「追っ手を欺くために様々な場所に遺品を分散したり、偽の物も置いた」とのことで、ここが本物ということのようだが、その真偽はさておいて、昨年4月18日に676年もの間離れ離れであった雛鶴姫をこの桂の根元に勧請し、御霊祭を執り行ったということである。



 すぐ近くの聖徳山福源寺へ。名前から推測できるように、この寺には聖徳太子縁の六角形をした太子堂があり、私が子供の頃、お盆の際にはその周囲を回ったりして楽しんだものだ。普段は開いていないのだが、元旦だからか、中を見ることが出来た。これは聖徳太子像、親鸞作と伝えられている。



 福源寺には鶴塚があり、これには徐福伝説が伝えられている。秦の始皇帝から不老不死の薬を探せとの命を受けて船出した徐福は、日本に上陸し、終に富士山に行き着いた。徐福が死ぬと、3羽の鶴に化身し空に舞い上がった。2000年程後、その鶴が1羽死んで福源寺の池に落ちた。その鶴を葬ったのが鶴塚だと言う。

 また来る時にでも、これらの言い伝えをより深く掘り下げてみようと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする