藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

地震から15日目の風景

2011-03-26 20:34:00 | 藤野歩き
 地震直後のガソリンの品薄状態、今週月曜からは一段落した。福島第1原子力発電所への放水作業は続き、時間の経過と共に事態は収束へと向かうかのように多くの人が思っていたであろう3月23日、東京の水道水が放射性物質によって汚染されていることが確認され、大騒ぎになった。
 24日、都内に出かけて友人達と会ったが「ペットボトルの水がどの店を回っても売り切れ」だという。炊き込みご飯を作るのに、やっと1本ゲットしたミネラルウォーターを使うのか水道水を使うのかで議論となり、米を研ぐのには水道水、炊くのにはミネラルウォーターを使うという冗談にもならない場面もあった。

 その後、数値は下がったとは言うが、原発が現在のような状態である限り、数値は上がったり下がったりを続ける可能性がある。本日、相模湖のホームセンターにて。ちなみにカップラーメンは震災直後からずっと売り切れ状態。


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この状況下で考えたこと

2011-03-21 18:44:00 | 異議申し立て
 この週末は近場の温泉に2日連続で行ったりして、のんびりできた。地震によって高揚していた精神状態も、ちょっとずつ平静を取り戻しつつあるように思える。

 この1週間ちょっと、色んな情報を見て考え、話したりしてきたのだが、その中で、自分の直感として感じたことがいくつかあった。

 まず1つ目。地震の直後、私の都内の友人達も放射能被害が拡大するのではないかと動揺して実際に避難する人も出てきた位なのだが、首都圏に留まった人達は、ある一定期間を過ぎると逆に精神的に高揚する人が多くなっている。色々な理由があるだろうが、これはストレス(この場合、生命の危機)に対してアドレナリンが分泌されているのではないかと思われる。アドレナリンは、まさに「闘争か逃走か (fight-or-flight)」のホルモンと呼ばれているのだが、人間が本来持っている能力が、この状況を打開していくのに今発揮されつつあるのかも知れない。

 2つ目。昨夜、夢うつつの中で、原子力発電所というのは人工的な太陽みたいなものではないかとふと思った。太陽は、熱核融合反応であんなに燃え盛っている。放射線も出している。その太陽のエネルギーがあるからこそ、この地球上に生命が誕生している。原子力発電所も、あんなに長時間放水しても冷却するのが難しい、まさに燃え盛った存在である。そして、そこから漏れ出ている放射性物質が問題になっている。この放射性物質自体は、自然界にも存在し、人間も自然被爆しているし、この前行ってきたラジウム温泉のように、微量なら体に良いという人もいる。しかし、放射線とは、ある条件以上になるとコンピューターにおけるウイルスのように、勝手に情報を書き換えたり、システムを一部暴走させたりするのかも知れない。
 原子力発電所を使い続けるというのは、エネルギー確保や、その他様々な利害が横たわっているのだろうが、その根幹において、「人が、神のような存在になりたい」という衝動があるのではないだろうか。もちろん人間は神にはなれない。ただ、近代世界は、そのような方向性が可能だという思いこみによって発展してきたのではないだろうか。そして、今太陽を作り出そうとして、放射線によるしっぺ返しをくらっている。。
 近代科学の英知を結集させた原子力発電所をあきらめるというのは、かなり勇気のいる決断かも知れない。それこそ、文明の転換ということになるのだから。しかし、そういう決断をしなければならない時期に来ているのかな。

 ということを、つらつら思った。文系の発想なので、科学的には間違っていることが多々あるかも知れないが、何かのご参考までに書き留めておく。


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地震から8日目の風景

2011-03-20 00:25:00 | 街歩き
 都内はどうなっているのだろうと、井の頭公園で友人達と会うことにした。

 高尾から京王線回りで向かうが、駅の構内や電車の照明が暗くなっている。吉祥寺駅にはポスターが。



 街や井の頭公園は多くの人で賑わい、表面的には日常を取り戻しているように見える。ふと電柱を見ると、誰かが個人的に貼ったのだろうか、こんな貼り紙がしてあった。


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地震から6日目の風景

2011-03-19 08:44:00 | 藤野歩き
 地震から6日目、3月17日は6時20分~10時の間で計画停電が行われる予定だったが、実施されず。2回目の14時10分~17時10分で実施された。
 
 職場から見た交差点の風景。信号が消えている。



 夕方、城山(旧津久井郡城山町)にあるAコープに行ってみたが、米が全くなし。



 藤野近辺ではガソリンが殆ど手に入らないという状況の中、週末に突入。18日は、生協の宅配が来る日だったが、文字通り蓋を開けてみると、加工品はあるものの、野菜や牛乳などの生鮮品、パンは全て欠品という状況。ガソリンは、一番近いスタンドで、19日に満タンにすることが出来た(現金レギュラーのみ2000円上限)。
 土日は計画停電が実施されないという。ニュースで、休眠中の火力発電所を稼働させることを検討と流れていたが、危険な原子力発電所に依存するのではない電力の供給体制を、この機会に考えるべきであろう。
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地震から4日目の風景

2011-03-16 21:08:00 | 藤野歩き
 やっとブログを書く気が起きた。この間、様々な対応に追われて精神的余裕がなかった。

 地震が起きた時、筆者は仕事中であった。職場で障害者の人達と作業中、いきなり停電。「またブレーカーが落ちたのかよ」と思ったら、ちょっとしてグラグラ来た。かなりの横揺れで、今まで体験した中で最も激しい揺れである。ちょっと収まってから、みんなを連れて外に出てみると、なんと信号が消えている。地震の前に停電があるという事態は全く初めてで「これは異常事態だ」と直感的に思う。

 目の前の甲州街道を通る車が段々と増えてくる。後で分かったのだが、中央自動車道が通行止めになり、どんどん下に降りてきたので車両数が増えたのだった。1時間もしない内にお巡りさんが交差点に立って交通整理をする。体感したもので2回余震があった。

 結局停電は暗くなっても回復せず、ストーブと懐中電灯、蝋燭での夕飯。12日未明にようやっと通電したという状態。地震自体の影響はその程度だったが、報道で知る福島第1原発の事態の深刻さ、それから「ガソリンが売り切れになっている」という情報が12日中に出回る。13日には山梨東部のやまと天目山温泉に赴くも臨時休業、2件目に行った都留市の芭蕉月待ちの湯はやっていたが、地震の影響で源泉が濁っていた。湯船でお爺さん達の話を聞いていると、都留市内のガソリンスタンドは全て売り切れ。結構大変な事態のようだ。

 14日には藤野近辺でもガソリンは全て売り切れ、食糧も品薄になっているとの情報。15日に、近所の様子を可能な範囲で写真撮影してみる。

 家から一番近いガソリンスタンド。この様に、多くのスタンドは売り切れになった場合、車が入って来られないようにタイヤやドラム缶を置いていた。



 このスタンドは、16日朝より10リットル制限でガソリンを販売していたが、これも直ぐ売り切れる。

 16日夜、山梨県上野原市のスーパーに行ってみる。

 即席麺売り場。



 アイスクリーム売り場は全く商品がない。計画停電が行われるからだろう。



 菓子パン売り場も全く商品がない。



 この他、牛乳、米、トイレットペーパーが全くない状態だった。

 上野原市の秋山温泉は、16時30分より21時までの短縮営業。照明は節電対応のため、暗め。温泉に入った後、市内のラーメン屋で店の店員さんと話す。曰く「私の知り合いのおばちゃんなんか、預金を20万円も降ろして毎日スーパーに行ってカップラーメンや何やら3袋も4袋も買い込んじゃってるんだよ。田舎の人程そんな感じになっている。私はオイルショックも経験してるけれど、あの時はトイレットペーパー位だった。今回は、それよりももっと酷い状態だね」。

 多くの人がパニックになり、買い溜めに走っている。放射能による被害を避けるということで、都内の友人が何人も関西以西に避難し始めた。

 藤野は、計画停電では第5グループなのだが、なかなか実施されなかった。「本当にやるのか」と思い始めた矢先、16日の9時40分から12時40分まで、3時間実施された。明日は6時20分から10時の間で実施ということである。
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