連れ合いと休日の高尾山に登った。高尾山は、年間260万人位の人が訪れる山なので、休日ともなると人でごった返していて、落ち着いた雰囲気ではないのだが、連れ合いがまだ登ったことがないというので、敢えて行ってみた次第。
高尾山薬王院有喜寺の本堂。年間260万人の内、ケーブルカーを使って、お寺に参拝しに来るお客さんが大多数を占めているのではないかと思われる。
薬王院から山頂まではわずか20分程。なので、参拝をしに来た人の多くは山頂まで登ると思われる。丁度、正午頃。
高尾山から小仏峠に抜ける、いわゆる奥高尾と呼ばれる辺りになると人はかなり減ってくる。見た目も、山登りやトレイルランニングの格好ばかりになる。
城山山頂から相模湖へ抜けることにして、城山茶屋で一休み。山桜もかなり散っていた。
途中、相模湖・藤野方面の眺め。
千木良登山口にある富士見茶屋。オープンカフェのような、なかなか良い雰囲気。舗装される前の甲州街道大垂水峠付近や、與瀬駅(現相模湖駅)、相模ダムが出来る前の相模川の渓谷など、貴重な写真を見ることが出来る。
千木良から甲州街道を横切って弁天橋方面へ。
途中にある、謎のスポット。一体ここは何の場所なのか、建造物の奥には池があって鯉が飼われている。更に奥には畑のような。管理人らしいおじさんが真剣に包丁を研いでいる。話しかけられような雰囲気ではない。近くで取ってきたらしい山菜を売っていた。
ネットで調べたが、ここは美女川キャンプ場というところらしい。今はキャンプ場としては営業していないかも知れないが。今度は、おじさんと交流をしてみたい所である。
http://camp.fan-site.net/bijogawa.html
弁天橋を渡ると弁天島キャンプ場。ここも良い場所なのだが、営業している雰囲気はない。道を上がると津久井養護学校の脇を通って県道へ。相模ダムに、工事で亡くなった方を追悼する慰霊碑があった。相模ダムは、1941年から着工したが、水没する勝瀬地区住民達の反対運動や、戦時中に日本に強制連行されてきた中国人、朝鮮人を多数働かせていたなど、今日でも考えなければならない色々な問題を抱えている。この慰霊碑には強制連行されてきた方も含まれている。毎年、追悼式が行われている。
今回の山行は、どちらかというと地域再発見に主眼を置いていた。連れ合いの知人で、旧相模湖町千木良地区で地域起こしに熱心な方がいるという話を聞いていて、実際にどんな場所なのだろうと、この目で確かめに行ったのである。歩いてみると、キャンプ場や民宿・旅館などはあるものの、正直、現在では寂れている感は否めない。相模湖近辺は、3~40年位前は東京から手頃な観光地だったのだろうが、交通手段の発達や生活水準の変化に伴って、もっと違う場所に人が流れてしまっているのだろう。
しかし、例えば美女川キャンプ場や弁天島キャンプ場の周辺はなかなか風光明媚である。興味を持たれた方は足を伸ばされてみては如何だろうか。
高尾山薬王院有喜寺の本堂。年間260万人の内、ケーブルカーを使って、お寺に参拝しに来るお客さんが大多数を占めているのではないかと思われる。
薬王院から山頂まではわずか20分程。なので、参拝をしに来た人の多くは山頂まで登ると思われる。丁度、正午頃。
高尾山から小仏峠に抜ける、いわゆる奥高尾と呼ばれる辺りになると人はかなり減ってくる。見た目も、山登りやトレイルランニングの格好ばかりになる。
城山山頂から相模湖へ抜けることにして、城山茶屋で一休み。山桜もかなり散っていた。
途中、相模湖・藤野方面の眺め。
千木良登山口にある富士見茶屋。オープンカフェのような、なかなか良い雰囲気。舗装される前の甲州街道大垂水峠付近や、與瀬駅(現相模湖駅)、相模ダムが出来る前の相模川の渓谷など、貴重な写真を見ることが出来る。
千木良から甲州街道を横切って弁天橋方面へ。
途中にある、謎のスポット。一体ここは何の場所なのか、建造物の奥には池があって鯉が飼われている。更に奥には畑のような。管理人らしいおじさんが真剣に包丁を研いでいる。話しかけられような雰囲気ではない。近くで取ってきたらしい山菜を売っていた。
ネットで調べたが、ここは美女川キャンプ場というところらしい。今はキャンプ場としては営業していないかも知れないが。今度は、おじさんと交流をしてみたい所である。
http://camp.fan-site.net/bijogawa.html
弁天橋を渡ると弁天島キャンプ場。ここも良い場所なのだが、営業している雰囲気はない。道を上がると津久井養護学校の脇を通って県道へ。相模ダムに、工事で亡くなった方を追悼する慰霊碑があった。相模ダムは、1941年から着工したが、水没する勝瀬地区住民達の反対運動や、戦時中に日本に強制連行されてきた中国人、朝鮮人を多数働かせていたなど、今日でも考えなければならない色々な問題を抱えている。この慰霊碑には強制連行されてきた方も含まれている。毎年、追悼式が行われている。
今回の山行は、どちらかというと地域再発見に主眼を置いていた。連れ合いの知人で、旧相模湖町千木良地区で地域起こしに熱心な方がいるという話を聞いていて、実際にどんな場所なのだろうと、この目で確かめに行ったのである。歩いてみると、キャンプ場や民宿・旅館などはあるものの、正直、現在では寂れている感は否めない。相模湖近辺は、3~40年位前は東京から手頃な観光地だったのだろうが、交通手段の発達や生活水準の変化に伴って、もっと違う場所に人が流れてしまっているのだろう。
しかし、例えば美女川キャンプ場や弁天島キャンプ場の周辺はなかなか風光明媚である。興味を持たれた方は足を伸ばされてみては如何だろうか。