藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

高尾山から相模湖へ

2010-04-30 18:57:00 | 山登り
 連れ合いと休日の高尾山に登った。高尾山は、年間260万人位の人が訪れる山なので、休日ともなると人でごった返していて、落ち着いた雰囲気ではないのだが、連れ合いがまだ登ったことがないというので、敢えて行ってみた次第。

 高尾山薬王院有喜寺の本堂。年間260万人の内、ケーブルカーを使って、お寺に参拝しに来るお客さんが大多数を占めているのではないかと思われる。



 薬王院から山頂まではわずか20分程。なので、参拝をしに来た人の多くは山頂まで登ると思われる。丁度、正午頃。



 高尾山から小仏峠に抜ける、いわゆる奥高尾と呼ばれる辺りになると人はかなり減ってくる。見た目も、山登りやトレイルランニングの格好ばかりになる。
 城山山頂から相模湖へ抜けることにして、城山茶屋で一休み。山桜もかなり散っていた。



 途中、相模湖・藤野方面の眺め。



 千木良登山口にある富士見茶屋。オープンカフェのような、なかなか良い雰囲気。舗装される前の甲州街道大垂水峠付近や、與瀬駅(現相模湖駅)、相模ダムが出来る前の相模川の渓谷など、貴重な写真を見ることが出来る。



 千木良から甲州街道を横切って弁天橋方面へ。



 途中にある、謎のスポット。一体ここは何の場所なのか、建造物の奥には池があって鯉が飼われている。更に奥には畑のような。管理人らしいおじさんが真剣に包丁を研いでいる。話しかけられような雰囲気ではない。近くで取ってきたらしい山菜を売っていた。
 ネットで調べたが、ここは美女川キャンプ場というところらしい。今はキャンプ場としては営業していないかも知れないが。今度は、おじさんと交流をしてみたい所である。

http://camp.fan-site.net/bijogawa.html



 弁天橋を渡ると弁天島キャンプ場。ここも良い場所なのだが、営業している雰囲気はない。道を上がると津久井養護学校の脇を通って県道へ。相模ダムに、工事で亡くなった方を追悼する慰霊碑があった。相模ダムは、1941年から着工したが、水没する勝瀬地区住民達の反対運動や、戦時中に日本に強制連行されてきた中国人、朝鮮人を多数働かせていたなど、今日でも考えなければならない色々な問題を抱えている。この慰霊碑には強制連行されてきた方も含まれている。毎年、追悼式が行われている。



 今回の山行は、どちらかというと地域再発見に主眼を置いていた。連れ合いの知人で、旧相模湖町千木良地区で地域起こしに熱心な方がいるという話を聞いていて、実際にどんな場所なのだろうと、この目で確かめに行ったのである。歩いてみると、キャンプ場や民宿・旅館などはあるものの、正直、現在では寂れている感は否めない。相模湖近辺は、3~40年位前は東京から手頃な観光地だったのだろうが、交通手段の発達や生活水準の変化に伴って、もっと違う場所に人が流れてしまっているのだろう。
 しかし、例えば美女川キャンプ場や弁天島キャンプ場の周辺はなかなか風光明媚である。興味を持たれた方は足を伸ばされてみては如何だろうか。


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芽吹きの山

2010-04-28 16:12:00 | 藤野歩き
ふと窓の外を見たら、雨が止み、
空気が澄んで、山の新緑が目に鮮やかでした。

雨のおかげで、一段と芽吹きも進んだように見えました。



藤野に住んでいてよかったと思う瞬間です。
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河原もののパーティー

2010-04-27 20:22:00 | 異議申し立て
 東京ZINE図書館主催の多摩川LiveUnderTheBridgeというフリーパーティーに行ってきた。若い友人の説明によると、ZINEとは昔で言うミニコミのことだとか。そして、少し反抗的、政治的な香りもする言葉のようである。場所は、多摩川は立川市と日野市の間にある立日橋下の河原。初めて行ったのだが、とてつもなくだだっ広くて、空も広くて解放感があることこの上ない場所である。近くに民家もないので騒音の心配もない、特に誰に許可を取るわけでもないゲリラ的な集まりだった。

 この河原に住み着いた若者達がいた。都会の小さなアパートの片隅で暮らしていた自分にとっては、衝撃的なライフスタイル。祭もやっていた。しかし野宿者の人達共々追い出されてしまう。それから月日は経ち、こうして当時のことを知っている人達も知らない人達も、音楽に関心ある人や政治に関心ある人や、「丁度良い混ざり具合」の空間が、その日出現した。

 こんな感じで、橋の下。多い時で150人くらいはいたのではないだろうか。





 一歩引いてみるとこんな感じ。



 さらに川縁まで行くとこんな感じ。



 夕陽が美しすぎて、いつまでも見とれていた。





 会いたいと思っていた友人達と再会を果たせた素晴らしい一時であった。
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雨の動物園

2010-04-17 11:06:00 | 街歩き
 タイトルの通りだが、4月12日(月)、冷たい雨の降りしきる中、連れ合いと初めて多摩動物公園に行ってみた。インドサイの飼育係の人と友達で、「この日、行くから」と約束していたので行ったのだが、平日でこの天気、当然人はいない。多摩動物公園は、里山を利用して作られた動物園で起伏に富んでいて、かなり広い。しかし、この日出会ったのは10人位? 自分たちも含めてだが、物好きな人もいるものである。

 雨なので、ゆっくり見るには館内展示がよいとの友人のアドバイスで、昆虫館へ。これはびっくり、沢山の蝶が放し飼いにされている。いやぁ、しかしこんなタランチュラも。





 トノサマバッタ大集合。



 海外のゴキブリ。暗い所で活動するため、こんな灯りでの展示になっている。



 今回、一番びっくりしたのは中南米のハキリアリ。この様に葉っぱを切り取って巣に運んでいくのだが。



 それは幼虫の餌のためではなく、その葉っぱに茸を生やして、その茸を幼虫の餌にする、つまり菌床を作るためなのである。ある意味農業?! これには非常に驚いた。この白い部分が茸。 



 これは、擬態という奴。



 昆虫館だけでかなりの時間を取ってしまい、また雨のため、ライオン、象、狼などをちょこっと見るだけで閉園に。多摩動物公園は、その地形的特性を生かして、野生状態に近いように展示を工夫している印象を受けた。正直、雨で寒いので余り期待していなかったのだけれど、かなり面白かった。また天気の良い時にゆっくり来ようと思う。
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成田山新勝寺

2010-04-17 10:24:00 | 街歩き
 先週末は、千葉で農家をやっている友人宅に遊びに行っていたのだが、帰りに成田山新勝寺に寄ってみた。
 新勝寺自体は訪れるのは初めてなのだが、実は私の出身地である大阪府寝屋川市にはこの成田山の別院があり、父親の仕事の関係で、車でしょっちゅう傍を連れられて通っていた思い出がある。

 さて、改めて訪れてみた成田山新勝寺は、真言宗智山派の大本山で、関東一円のお寺の中でもかなり大きい方ではないだろうか。丁度桜の時期で、太鼓のイベントも催されていて、大変な賑わいだった。本堂では護摩焚きの始まる時間で、大勢の人が参加していた。

 手前が三重塔で、奥がコンクリート作りの本堂。



 一切経堂の天井。



 これは額堂。新勝寺の開山は940年で、一千年以上の伝統がある。江戸時代には成田詣でが盛んになり、沢山の額が奉納されたようで、この様に額だけを飾ったお堂まで作られた。



 新勝寺は、現世利益を中心に押し出しているようで、良くも悪くも庶民的な雰囲気が漂っている。特に、風格ある店の建ち並ぶ参道は見事である。ある意味、参道の方が面白くてお詣りに来る人も多いのではないだろうか。お詣りをして良い気分になって、おいしい物を食べて、珍しいものを買って帰るという見事なサイクルが現代に至るまで続いている。
 
 鰻を捌くの段。





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