藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

春近づく畑

2010-03-26 13:01:00 | 畑・庭
 今収穫出来るのはのらぼうのみ、という状態の私達の畑だが、のらぼうや桃に花が咲いて、春の訪れを告げている。3月になって今年一番という雪が降ったが、ようやっと暖かくなり始めている。
 畑の準備として、ジャガ芋、小松菜、蕪、隠元、隼人瓜その他を植えてみた。


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縄文ファン必見

2010-03-21 17:55:00 | 山梨県
 この数週間、連れ合いが仕事で海外へ、デジタルカメラも持って行ったので、写真が撮れず、ブログの更新が滞りがちだったが、久々に。

 だいぶ春めいてきて、畑の桃も満開になっていた。今日は、甲府盆地の東の方へドライブした。旧甲州街道を通って甲府盆地に入るには笹子峠を越えなければならないが、道沿いに山梨県天然記念物にも指定されている矢立の杉という巨木がある。



 名前の由来は、武士が出陣にあたって、この杉に矢を打ち立てて武運を祈ったところから来ている。根回り15mで推定樹齢1000年。なかなか威風堂々としているが高さ22mの所で折れている。しかも、



 なんと中が空洞になっているのだ。外側の薄い皮の様な部分だけで生きている。それにしては樹勢は旺盛である。

 余談ながら、杉良太郎が、ここを「運命の地」と感じて、自分で作詞・作曲をして「矢立の杉」という歌を作り、さらには身代わり両面地蔵菩薩も建立している。新たな観光名所か? 訪れた時には私のみだったが。

 さて、今日の目当ては笛吹市にある釈迦堂遺跡博物館。中央自動車道を走っていると釈迦堂PAがあるが、PAからも歩いて行ける。何の遺跡なのかというと、縄文遺跡なのである。
 釈迦堂遺跡は、中央自動車道建設に先立って発見され、のべ2万人もの手によって発掘された、日本有数の縄文遺跡である。収蔵点数は約6000点。土偶は1116点で、何と日本で現在出土している土偶の1割に当たる。その多くは縄文時代中期(4800~4050年程前)のものである。釈迦堂PAも、実は遺跡の上に建設されているのだ。

 保存状態も見事な縄文時代中期の水煙文土器。



 胴下半部に人体文画様のある人体文土器。



 これは、幼くして亡くなった子の遺体を入れて家の近くに埋めたと推測される土器。命の再生を祈ってか。



 そして、夥しい数の土偶。土偶の殆どはバラバラにされた状態で出土している。無理矢理に壊されて方々にばらまかれたらしい。その理由は謎だが、インドネシアには、「体から食べ物を吐き出してくれた女神が殺されて、バラバラにされた断片を別々の場所に埋めたところ、そこから作物の芽が出た」という神話がある。土偶の扱われ方によく似ているので、縄文時代は単純に狩猟と採集だけの時代ではなくて、ある程度の農耕を行っていたとの説もある。
 釈迦堂ムラは、2500年前の縄文時代晩期には255軒の家があったという。


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無生野の大念仏

2010-03-02 21:57:00 | 山梨県
 山梨県上野原市には雛鶴姫の悲しい伝説が伝えられている。以下は、以前書いた日記。

http://wind.ap.teacup.com/fujino/103.html

 雛鶴姫終焉の地、無生野には、国の重要無形文化財にも指定されている「無生野の大念仏」が伝わっている。旧暦1月16日と新暦8月16日の年2回、無生野集会所にて行われるこの大念仏に、友人達と行ってきた(連れ合いがフィリピンに私のデジカメを持って行ってしまっているため、友人の携帯で写真を取って貰った。そのため、今一見にくいかも知れないがご容赦を)。

 行ってみると、無生野地区以外からも、遠くは豊橋、茅ヶ崎、藤沢、三鷹辺りからも参加者が。藤沢の方は、信貴山真言宗深山寺住職で、両部神道湯殿山道場道場主という肩書きも。その他は、民間信仰に関心のある人達のようだ。

 大念仏とは、平安時代末期の天台宗の僧侶良忍が始めた融通念仏が由来とされている。無生野の大念仏は、護良親王の子、綴連王が、戦乱を逃れてこの地に辿り着いた時、護良親王の妃でもある雛鶴姫がここで亡くなったことを知り、因縁を感じてこの地に住み着き、始めたと伝えられている。山梨県下で唯一現在まで伝えられている大念仏である。

 その内容は、鉦や太鼓に合わせて太鼓振り、棒振り、太刀振りが念仏や和讃を唱えながら踊るというもの。鉦や太鼓のリズムは一定で、時に早くなったりして、聞いている内に少し頭がぼーっとしたような感じになる。鐘を打つ者は、頭の上まで楽器を持ち上げて心霊が乗り移ったように打つこともあり、この状況をぶっかぶりという。踊りには一本太刀、二本太刀、ぶっぱらいなどがある。最後のぶっぱらいでは、床に寝床を敷いて伏せっている病人の上を踊り手が飛び越えていき、病気平癒、衰気復活を祈念する。演劇のようでなかなか面白い。

 保存会が中心となって伝えているようだが、中には小さな子供もいた。どうやって伝え続けていくのかが悩みだと語っていた。この地に伝わる雛鶴姫伝説は、「ここが南朝終焉の地である」という様に、地元の人達の心の支えになっているようで、そのことが生き続ける限りは受け継がれていくのではないだろうか。 


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