この数週間、連れ合いが仕事で海外へ、デジタルカメラも持って行ったので、写真が撮れず、ブログの更新が滞りがちだったが、久々に。
だいぶ春めいてきて、畑の桃も満開になっていた。今日は、甲府盆地の東の方へドライブした。旧甲州街道を通って甲府盆地に入るには笹子峠を越えなければならないが、道沿いに山梨県天然記念物にも指定されている矢立の杉という巨木がある。
名前の由来は、武士が出陣にあたって、この杉に矢を打ち立てて武運を祈ったところから来ている。根回り15mで推定樹齢1000年。なかなか威風堂々としているが高さ22mの所で折れている。しかも、
なんと中が空洞になっているのだ。外側の薄い皮の様な部分だけで生きている。それにしては樹勢は旺盛である。
余談ながら、杉良太郎が、ここを「運命の地」と感じて、自分で作詞・作曲をして「矢立の杉」という歌を作り、さらには身代わり両面地蔵菩薩も建立している。新たな観光名所か? 訪れた時には私のみだったが。
さて、今日の目当ては笛吹市にある釈迦堂遺跡博物館。中央自動車道を走っていると釈迦堂PAがあるが、PAからも歩いて行ける。何の遺跡なのかというと、縄文遺跡なのである。
釈迦堂遺跡は、中央自動車道建設に先立って発見され、のべ2万人もの手によって発掘された、日本有数の縄文遺跡である。収蔵点数は約6000点。土偶は1116点で、何と日本で現在出土している土偶の1割に当たる。その多くは縄文時代中期(4800~4050年程前)のものである。釈迦堂PAも、実は遺跡の上に建設されているのだ。
保存状態も見事な縄文時代中期の水煙文土器。
胴下半部に人体文画様のある人体文土器。
これは、幼くして亡くなった子の遺体を入れて家の近くに埋めたと推測される土器。命の再生を祈ってか。
そして、夥しい数の土偶。土偶の殆どはバラバラにされた状態で出土している。無理矢理に壊されて方々にばらまかれたらしい。その理由は謎だが、インドネシアには、「体から食べ物を吐き出してくれた女神が殺されて、バラバラにされた断片を別々の場所に埋めたところ、そこから作物の芽が出た」という神話がある。土偶の扱われ方によく似ているので、縄文時代は単純に狩猟と採集だけの時代ではなくて、ある程度の農耕を行っていたとの説もある。
釈迦堂ムラは、2500年前の縄文時代晩期には255軒の家があったという。