いつの間にか冬が忍び寄ってきているのを感じる昨今、紅葉最後のチャンスかと、久々に連れ合いと山登り。目指すは、家から毎日眺めている相模川対岸の金剛山(419.8m)~峯山(423m)~日連山~宝山(374.2m)のプチ縦走コース。連れ合いが登るのは初めてだが、私は確か5回目。短いながら縦走気分を味わえて、眺めのよいところも有るし、藤野の地形を知る入門コースでもある。
金剛山は、山頂に火伏せの古峯神社を祀り、登山道は昔からの山道を辿っている。途中に「○○丁目」という石碑が現れてくる。山頂の神社裏手に杉の大木が立っているのだが、この焦げ目、私は「不届き者の火の不始末か」と思っていたのだが、連れ合いの推測では「雷が落ちたんではないか」と。確かに良く見ると、根元の方は余り焦げていないし、ある枝だけが死んでいて、その付け根から焦げ目が始まっている。
ちなみに、晩秋の紅葉はこんな感じ、なぜか春先に咲くはずの躑躅(つつじ)も咲いていた。
宝山から、さぁ下山というその途中、篠原の方に目をやると、何と最近問題になっている篠原の残土処分場の現場が丸見えになっていた。残土というのは、建築現場で出る土砂のことで、法令による規制も無い(産業廃棄物に相当する物が混入している場合は産業廃棄物となる)。一体どこから出たどういう土砂なのか分からないものが、毎日ダンプで運ばれてきて、谷に埋められていく。藤野に限らず、全国どこでも問題になっている。各自治体では残土条例を制定して一定の規制をかけていて、藤野町時代にも条例があったのだが、相模原市には盛土条例という、残土そのものを対象にしたのではない不十分な条例しか無く、特に合併以降、藤野各地で残土処分場の問題が聞かれるようになった。残土自体も問題だし、ダンプが狭い山道をひっきりなしに通るので、地域住民の平穏な生活も脅かされている。
この写真を見ると、かなり広範囲に埋め立てているのが分かる。連れ合いによると、工事の現状を知る貴重な写真だとのこと。山を歩いていると、普段は分からないこんな情報を得ることも出来る。
下山して、帰宅途中にある日連(ひづれ)神社にて。日連は、私達の住んでいる小渕(おぶち)とは、相模川を挟んで対岸にある集落である。楓と銀杏が見事だった。昔から大切にされてきたのだろう。
金剛山は、山頂に火伏せの古峯神社を祀り、登山道は昔からの山道を辿っている。途中に「○○丁目」という石碑が現れてくる。山頂の神社裏手に杉の大木が立っているのだが、この焦げ目、私は「不届き者の火の不始末か」と思っていたのだが、連れ合いの推測では「雷が落ちたんではないか」と。確かに良く見ると、根元の方は余り焦げていないし、ある枝だけが死んでいて、その付け根から焦げ目が始まっている。
ちなみに、晩秋の紅葉はこんな感じ、なぜか春先に咲くはずの躑躅(つつじ)も咲いていた。
宝山から、さぁ下山というその途中、篠原の方に目をやると、何と最近問題になっている篠原の残土処分場の現場が丸見えになっていた。残土というのは、建築現場で出る土砂のことで、法令による規制も無い(産業廃棄物に相当する物が混入している場合は産業廃棄物となる)。一体どこから出たどういう土砂なのか分からないものが、毎日ダンプで運ばれてきて、谷に埋められていく。藤野に限らず、全国どこでも問題になっている。各自治体では残土条例を制定して一定の規制をかけていて、藤野町時代にも条例があったのだが、相模原市には盛土条例という、残土そのものを対象にしたのではない不十分な条例しか無く、特に合併以降、藤野各地で残土処分場の問題が聞かれるようになった。残土自体も問題だし、ダンプが狭い山道をひっきりなしに通るので、地域住民の平穏な生活も脅かされている。
この写真を見ると、かなり広範囲に埋め立てているのが分かる。連れ合いによると、工事の現状を知る貴重な写真だとのこと。山を歩いていると、普段は分からないこんな情報を得ることも出来る。
下山して、帰宅途中にある日連(ひづれ)神社にて。日連は、私達の住んでいる小渕(おぶち)とは、相模川を挟んで対岸にある集落である。楓と銀杏が見事だった。昔から大切にされてきたのだろう。