藤野から世界へ

神奈川県の北端、藤野町に住み始めた夫婦が山里の暮らしの中で感じたり、考えたりしたことをつれづれに綴ります。

今年一番の大雪

2012-02-29 22:25:00 | 藤野歩き
 29日未明からの雪が降り積もり、朝起きてみると大変な雪景色になっていた。間違いなく今年一番だし、私たちが藤野に来てからでも一番かも知れない。家近辺で30cm位か。



 愛車。



 藤野駅近くの踏み切り。



 国道413号線(道志みち)青野原辺り。この辺りだと40cm位?



 青根の道志ダム。



 今年は雪が多い気がする。昨年、雨が多かったので、日本は亜熱帯化しているのかと思っていたのだが、この気候を見ると寒冷化? というより、今までの常識が通用しない段階に入っているのかも知れない。最後は、青根の杉の植林。


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久々の山登り

2012-02-21 18:38:00 | 山登り
 気が付いたら山登りから遠ざかっていた。相変わらず、自然相手に色々することは好きなのだが、そのジャンルは移り変わっていく。あんまり認めたくないのだが、年齢のせい?もあるかも知れない。

 しかし久々に友人達とどこか山に出掛けようと話しをしていて、最初は大月の岩殿山に行こうと考えていたのだが、岩殿山から先、深城ダムや葛野川ダムを越えて、小菅村との境にある松姫峠まで行き、そこからどうするかはその時考えるという、極めて行き当たりばったりな計画を立てた。車道だが、なかなかの山道。そして、道路には少し雪が残っており、途中の温度計では-3℃を表示していた。

 松姫峠に着くと、20cm程度の積雪があったが、登山地図によると奈良倉山山頂直下まで林道が通じており、この林道歩きであればある程度山登りが楽しめるのではないかということになった。

 そして登山道にしては緩やかな、車道にしては少し厳し目の道を30分ちょい行き、最後は10分程登るといきなり奈良倉山山頂。



 拍子抜けだったが、何気に1349mもある。

 そして、富士山天望所からの富士山及び富士吉田市外の眺め。



 この写真ではよく分からないが、市街地がきらきら光っていて、眩しい事この上なかった。奈良倉山は、大月市の秀麗富岳12景の1つであるのだが、中々の眺めで、友人達としばし時間と寒さを忘れた。
 忘れていた山登りの楽しさを再確認した、お手軽な雪山ハイキングだった。




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甲斐の善光寺

2012-02-12 21:59:00 | 山梨県
 甲府に出掛けたついでに、前々から行きたかった甲斐善光寺に行ってみることにした。甲斐善光寺とは通称で、正式には定額山浄智院善光寺と言い、浄土宗に属している。その歴史は、1558(永禄元)年、川中島の合戦の折に、信濃の善光寺消失を恐れた武田信玄が、ご本尊の釈迦如来像を始め、諸仏寺宝類を持ち出してここに奉ったことに始まる。金堂は、文化財指定木造建築物としては日本でも十指に入るくらい巨大なもので、天井には巨大な鳴き龍が描かれ、地下には戒壇巡りがある。

 これが金堂で、確かに威風堂々としている。



 境内には大仏もある。



 金堂に入ると、まず鳴き龍があり、龍の顔の下で手を叩くと反響する。次に、本尊の裏側に回ると戒壇巡りになっている。そこに至るまで、古い仏像が沢山立ち並んでいる。戒壇巡りは「心の字」の形になっているらしい。信濃善光寺と同じく、暗闇の中に鍵があり、それをうまく触ると、本尊と法縁を結べたということになる。

 立派な寺なのだが、ちょっと引っかかる点が無きにしも非ず。戦国時代のこととは故、信濃善光寺の消失を恐れて甲斐に持ってきたというのだが、これは信濃の側から見れば「略奪された」と映っているのではないだろうか。善光寺の本尊は、日本最初の仏像とされていて、確かに大変貴重なものである。焼失したら確かに大変なのだが、それが理由というよりは、やはり戦局を有利に導くためという計算もあったのではないだろうか。

 また、これは現在の気になる点なのだが、金堂の中で、善光寺の説明をするアナウンスがずっと流れていて、戒壇巡りをしていても聞こえてしまうのが頂けない。「ちょっと観光地化しちゃったなぁ」というのが正直な感想である。

 以上、辛口の評価をしたが、境内をゆっくり巡ると、歴史ある仏像寺宝の数々に出会え、このお寺がとても大切にされてきたことが窺える。 
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