年内で育児休業は終わりとなる。今年も残すところあと1日。育児休業中は、かけがえのない時間を過ごさせて貰ったと思っている。そして、子どもが全てに優先し、家から余り出ることもないので、私は太ってしまった。仕事に復帰すればまた元の体調に戻るだろうが、肩慣らしということで、登山という程ではないが、家から行ける山登りルートを開拓してみた。
自宅より、日野経由で落合の陣馬山登山口より一ノ尾根経由で山頂へ。そこから高尾山方面へ、明王峠で相模湖方面に下り、矢の音を踏んで、奈良本林道経由で帰宅するというルートである。登山口までは60分、登山口から山頂までは100分、山頂から明王峠までは40分、明王峠から矢の音までは30分、矢の音から自宅までは70分であった。
一ノ尾根の登り口。
特に厳しい箇所もなく、淡々と登っているといつの間にか山頂(854.8m)へ。本日は、かなりの人である。茶屋が1軒開いていた。
まあ晴れてはいたが、富士山はこの通り霞の中。風が強くて、ラーメンを作るのが大変であった。
明王峠。私は、今まで「めいおう」と読んでいたのだが、「みょうおう」であった。
つまり、不動明王が祀られている峠だからである。
相模湖方面へ下ると。妙な塚が。
由来を読むと、様々なことが分かった。まず、明王峠は、武田と北条が争っている時代、武田不動尊を祀った場所であること。この石塚は、石投げ地蔵嬢ヶ塚と言い、戦国時代、甲斐武田氏の一姫君が常陸の国佐竹氏に嫁いだが離縁となり、幼女を残して甲斐の国に戻る。幼女が成長して、実母への思念が募り、願い出て甲斐の国への困難な旅に出て、明王峠で病に倒れ、それを葬ったのがこの地である。地元の人達がここを通る度に石を投げたので、いつの間にかこのような石塚となったとのことである。 さらに下ると矢の音(633m)。ここも、武田と北条の合戦の際に矢が飛び交った場所であるという言い伝えがある。
陣馬山までは何の変哲もない山登りだったが、明王峠からは思いもかけぬ歴史探訪の旅となった。この道も、古の人が踏みしめたのかと思いつつ、下山した。
自宅より、日野経由で落合の陣馬山登山口より一ノ尾根経由で山頂へ。そこから高尾山方面へ、明王峠で相模湖方面に下り、矢の音を踏んで、奈良本林道経由で帰宅するというルートである。登山口までは60分、登山口から山頂までは100分、山頂から明王峠までは40分、明王峠から矢の音までは30分、矢の音から自宅までは70分であった。
一ノ尾根の登り口。
特に厳しい箇所もなく、淡々と登っているといつの間にか山頂(854.8m)へ。本日は、かなりの人である。茶屋が1軒開いていた。
まあ晴れてはいたが、富士山はこの通り霞の中。風が強くて、ラーメンを作るのが大変であった。
明王峠。私は、今まで「めいおう」と読んでいたのだが、「みょうおう」であった。
つまり、不動明王が祀られている峠だからである。
相模湖方面へ下ると。妙な塚が。
由来を読むと、様々なことが分かった。まず、明王峠は、武田と北条が争っている時代、武田不動尊を祀った場所であること。この石塚は、石投げ地蔵嬢ヶ塚と言い、戦国時代、甲斐武田氏の一姫君が常陸の国佐竹氏に嫁いだが離縁となり、幼女を残して甲斐の国に戻る。幼女が成長して、実母への思念が募り、願い出て甲斐の国への困難な旅に出て、明王峠で病に倒れ、それを葬ったのがこの地である。地元の人達がここを通る度に石を投げたので、いつの間にかこのような石塚となったとのことである。 さらに下ると矢の音(633m)。ここも、武田と北条の合戦の際に矢が飛び交った場所であるという言い伝えがある。
陣馬山までは何の変哲もない山登りだったが、明王峠からは思いもかけぬ歴史探訪の旅となった。この道も、古の人が踏みしめたのかと思いつつ、下山した。