8日(金)
チャットビン中学校は、2年前の訪問のときの写真で見ていた校舎と比べて、とっても新しくてきれいな2階建てだ。
校庭には小さな赤い椅子が並べられ、校舎の2階から、生徒たちが手を振っている。
←今年の校舎
出迎えの校長の案内で、1階のいちばん端の部屋へ案内された。
校長は、去年変わったばかりで、みな初対面。
まずお茶を、と勧められるが、挨拶もそこそこに、時間が遅れているので、すぐに奨学金授与式を始めることになった。
すでに全校生徒が、校庭の椅子に腰掛けて、待っている。太陽の陽射しがきつい。
司会の女性教師から、
「FUJI奨学金の授与式のために日本から来た皆さんへの歓迎」
の言葉と、
「チャットビン中学は1975年に創立し、みなさんの暖かい援助をいただいてやってきました。
こうして、日本からみなさんをお迎えして、うれしく思います。……」
という挨拶があった。
つづいて、キムソン県人民政府代表のヘンさんから、挨拶。
「FUJI教育基金の支援に感謝している。
奨学金をいただき9年間になる。生徒たちもがんばり、30人が進学できた。
FUJIの援助は、生徒たちにとって、精神的援助ともなっている。
次の世代に引き継いでいきたい。」
FUJI教育基金から私が挨拶したが、スピーカーが故障で、声がとどかない。
すぐに授与式に移り、奨学生が10人ずつ前に出て、FUJI教育基金から授与証を手渡した。
授与式はすぐに終わり、校長、来賓たちと、昼食を食べながらの懇談会となる。
懇談会の準備のあいだに、40人の奨学生に別の教室に集まってもらい、用意したアンケートに記入してもらう。
アンケートは以前に南部の学校で行ったことがあり、その経験もふまえて、生徒たちの勉学・生活環境が記入しやすいように工夫して準備した。
数えたら、男子学生は8人だった。
家族の人数を記入してもらうとき、その数に本人を入れるのか入れないのか等、生徒によって解釈がちがわないように、FUJI基金のベトナム人、チャットビン中学の先生たちが生徒たちに説明しながら行った。
生徒たちはみな、まじめに、一生懸命記入してくれていた。
懇談会は、カーさんの挨拶で始まる。
教育委員会のナンさんから、
「毎年、生徒たちは、よく勉強しています。
国境を越えて来てくれた皆さんの心を受け取ることは名誉です。
生徒たちが安心して学校に行けるよう、教育委員会としても生徒たちのために努力してがんばらねばと思います。
皆さんの心は私たちにも励みとなっています。」と挨拶。
料理を食べながら、ミンさんたちに通訳してもらい、懇談。
懇談会の最後に、教員の会会長が、用意していた原稿を読みながら挨拶。
「夢のはばたき。勉強したい気持ちに火をつける。
第二次世界大戦で日本は破壊されたが、教育があって、その後の発展をみた。
私たちは、FUJIの援助で火をつけたい。
子どもたちへの援助に感謝したい。
さらに、高校に援助をできないだろうか。
ここで4年間成績のいい子が高校へ行ければ、大学へ進学する機会を与えることができるのだが。」
学校を去るとき、2年前に贈呈したPCを見てきた。
これで、学校との連絡がスムーズにできるようになった。
学校の校舎は、2年前に訪問したときと変わり、2階建てに新築されていたが、これは、支援者の保証で借金をして建て替えたとのことだった。
政府による設備更新を待っていてはいつまでたっても教育環境が整わないために、こうした手法で新築し、毎年借金を返していくそうだ。
校門のところでマイクロバスに乗るとき、学校帰りらしい小学生が、興味深げに私たちを見ていた。
チャットビン中学校は、2年前の訪問のときの写真で見ていた校舎と比べて、とっても新しくてきれいな2階建てだ。
校庭には小さな赤い椅子が並べられ、校舎の2階から、生徒たちが手を振っている。
←今年の校舎
2年前訪問時の校舎→
出迎えの校長の案内で、1階のいちばん端の部屋へ案内された。
校長は、去年変わったばかりで、みな初対面。
まずお茶を、と勧められるが、挨拶もそこそこに、時間が遅れているので、すぐに奨学金授与式を始めることになった。
すでに全校生徒が、校庭の椅子に腰掛けて、待っている。太陽の陽射しがきつい。
司会の女性教師から、
「FUJI奨学金の授与式のために日本から来た皆さんへの歓迎」
の言葉と、
「チャットビン中学は1975年に創立し、みなさんの暖かい援助をいただいてやってきました。
こうして、日本からみなさんをお迎えして、うれしく思います。……」
という挨拶があった。
つづいて、キムソン県人民政府代表のヘンさんから、挨拶。
「FUJI教育基金の支援に感謝している。
奨学金をいただき9年間になる。生徒たちもがんばり、30人が進学できた。
FUJIの援助は、生徒たちにとって、精神的援助ともなっている。
次の世代に引き継いでいきたい。」
FUJI教育基金から私が挨拶したが、スピーカーが故障で、声がとどかない。
すぐに授与式に移り、奨学生が10人ずつ前に出て、FUJI教育基金から授与証を手渡した。
授与式はすぐに終わり、校長、来賓たちと、昼食を食べながらの懇談会となる。
懇談会の準備のあいだに、40人の奨学生に別の教室に集まってもらい、用意したアンケートに記入してもらう。
アンケートは以前に南部の学校で行ったことがあり、その経験もふまえて、生徒たちの勉学・生活環境が記入しやすいように工夫して準備した。
数えたら、男子学生は8人だった。
家族の人数を記入してもらうとき、その数に本人を入れるのか入れないのか等、生徒によって解釈がちがわないように、FUJI基金のベトナム人、チャットビン中学の先生たちが生徒たちに説明しながら行った。
生徒たちはみな、まじめに、一生懸命記入してくれていた。
懇談会は、カーさんの挨拶で始まる。
教育委員会のナンさんから、
「毎年、生徒たちは、よく勉強しています。
国境を越えて来てくれた皆さんの心を受け取ることは名誉です。
生徒たちが安心して学校に行けるよう、教育委員会としても生徒たちのために努力してがんばらねばと思います。
皆さんの心は私たちにも励みとなっています。」と挨拶。
料理を食べながら、ミンさんたちに通訳してもらい、懇談。
懇談会の最後に、教員の会会長が、用意していた原稿を読みながら挨拶。
「夢のはばたき。勉強したい気持ちに火をつける。
第二次世界大戦で日本は破壊されたが、教育があって、その後の発展をみた。
私たちは、FUJIの援助で火をつけたい。
子どもたちへの援助に感謝したい。
さらに、高校に援助をできないだろうか。
ここで4年間成績のいい子が高校へ行ければ、大学へ進学する機会を与えることができるのだが。」
学校を去るとき、2年前に贈呈したPCを見てきた。
これで、学校との連絡がスムーズにできるようになった。
学校の校舎は、2年前に訪問したときと変わり、2階建てに新築されていたが、これは、支援者の保証で借金をして建て替えたとのことだった。
政府による設備更新を待っていてはいつまでたっても教育環境が整わないために、こうした手法で新築し、毎年借金を返していくそうだ。
校門のところでマイクロバスに乗るとき、学校帰りらしい小学生が、興味深げに私たちを見ていた。
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