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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):1(2010年10月7日)

2010-11-05 | CB(チャット・ビン)中学校
 私にとっては、9年ぶりのベトナム、ハノイで、チャットビン中学は初めての訪問。
 ベトナムと日本の文化に精通し、痒い所をかきむしってしまうほど、いろいろな解説をしてくれる日本に在住しているベトナム人のMr.ルーンさん、Mr.カーさん、Ms.ミンさん、さらにルーンさんの会社・ビロタスのベトナム人スタッフMs.バンさん、Ms.カンさん、それに日本に留学していたMr.フンさんと一緒にニンビン省・チャットビン中学に行くのだから、こんな豪華な旅はない。

10月7日(木)

 09:00成田空港集合。
 待合室に、あれっ?どこかで見たような人が一人で座っていた。
 元首相の村山さん。
 ルーンさんが挨拶をしていた。

 搭乗の案内があって、いよいよ飛行機に乗り込もうとしたとき、メンバーの一人がボーディング・パスをなくしたことに気づいた。
 だれかが拾って、空港係員のところに届けてくれていて、無事、搭乗。
 機内は9割近い乗客で埋まっている。

 11:00一行8名が乗ったVN955便は成田空港のエプロンを定刻で離れ、11:24離陸。
 飛行機は瀬戸内海から九州を抜け、上海市へまっすぐ飛び、そのまま広州市上空を通過して中国領空をハノイに向かって一直線に飛び続ける。
 ひと昔前は、台湾上空を飛んだり、中国沿海を飛んでいたような記憶がある。

 私の隣の隣に座っていた酒飲みのMs.M1さんは、ドリンクサービスで、まず白ワインとビールを同時に頼み、そのあとスコッチウイスキーのロック・ダブルを3回お替りしていた。 
 私は、スコッチウイスキーのロック・ダブルと月桂冠1合にとどめた。
 通常のダブルは2オンス(約60ml)だが、客室乗務員はコップにミニチュアボトルを2本空けていたので、このダブルは50ml×2=100mlある。
 機内食をつまみに、飲み出がある。


 私の隣の席のMs.Aさんは、ベトナム戦争のまっただなかのサイゴンを訪れている。
 Aさんは当時、学生でベトナム語に興味があってベトナム留学生に習い、卒業後、財団法人アジア学生文化協会の「新星学寮」に入り、そこで、今回の旅に同行のMs.ミンさんと同室だったとのこと。
 ミンさんは、この寮で生活していたベトナム人はもとより、日本人たちの憧れの的だったそうだ。
 
 Aさんからは、ご家庭の様子もうかがう。
 いままで、どこに旅行するときも家族一緒で、今回のように一人で長いあいだ旅をするのは結婚後はじめてとのこと。
 ご主人はルールに厳格で、赤信号で道路を渡る人を見かけたり、約束の時間に遅れてきた人がいると、「殺してやる!」「わけわかんない!」と叫ぶそうだ。

 この言葉「殺してやる!」「死刑!」と、それに対する「死刑反対」が、これからの旅の中で、集合に遅れたりしたとき飛び交うことになる。

 ハノイ・ノイバイ空港へは14:35着陸し、エプロンには14:40に着く。
 イミグレーションの手前に村山さんがいた。
 M1さんは名刺を交換して、お話していた。
 M1さんがもらった村山さんの名刺には、「日本ベトナム平和友好連絡会議会長」とあった。
 村山さんは特別ゲートを、出迎えの花束をもった女性たちとともに出て行った。
 翌々日ニンビンから戻ってきたハノイのホテルで、一行の一人が、会議に出席している村山さんの姿をテレビで見たそうだ。

 我々の荷物はなかなか出てこない。
 やっと取り出せたのは15:35になっていた。


 13:30に到着していた関西空港発の神戸・奈良・名古屋からの4人、現地合流のミンさん、ルーンさんの会社のバンさん、カンさんと合流する。


 これで13名がそろい、マイクロバスで15:50出発。

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