ベトナムの子どもたちに奨学金を――FUJI教育基金

ベトナム南部・北部の中学・高校生、大学生に奨学金を贈って勉学の支援をしています。

2010年奨学金授与の旅(ベトナム南部):8(10月13日~15日)

2010-11-14 | ベンチェ
10月13日~15日

 今年度のFUJIの旅参加者のうち2名が、13日朝からホーチミン経由ベンチェにゆき、16日朝、無事帰りました。

 ベンチェには、ルーンさんの姪ごさんのトウ・フオンさんと通訳、それにホーチミン師範大学3年のハーさんとその友人のベンチェ省出身のタオさんが同行してくれました。
 
 

 13日夜は、刺繍クラスの生徒20人 “ベンチェ貧困患者と障害者を支援する会”会長レ・フインさん、副会長ゴックさん、刺繍クラスの世話をしているデイエップさんがホテルへ来て、全員で会食。
 生徒達たちもよく食べ、楽しい時間を過ごしました。
 
 

 「みんなの今後の希望は?」と聞くと、
 「一緒に刺繍をしたい!」ということでした。
 北部のハロン湾へ行く途中で見た
 
のような刺繍施設は南部にはなく、あのようなものがあればいいと思いました。

 14日、学校へ行き、もういちど生徒たちに会いました。
 
 

 

 
 
 
 

 特別支援児学校校舎は現在の敷地の後に建設中、基礎部分まで進んでいました。
 
 

 工事用の車両は学校敷地を通らずに入ることができ、教室は壊さずに済みました。
 新しい校舎は少し小さくなり、生徒数は今と同じ200人の予定だそうです。

 ハーさんとタオさんは生徒たちに、折り紙で羽を動かす鳥を上手に教えてくれました。

 15日、ホーチミンでツーズー病院のドクさんの双児、フシちゃんとアン・ダオちゃんの1歳のお祝いに参加しました。
 
 

 2人は日本の子供にくらべずっと小柄でしたが、元気で賢そうに見えました
 お祝いには、南蕃カラスウリで染めた伝統のお赤飯が出ました。
(宮本・記)

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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):7(10月13日)

2010-11-14 | CB(チャット・ビン)中学校
10月13日

 AM6:30 M2さん、M3さんの二人はベンチェへ

 ホテルでの朝食を早い時間に取った方の話ですが、中国人団体客が大勢で、バイキング式なのに、食べるものがほとんどなかったそうです。
 フォークもなく、フォーをナイフで食べた方がいたらしく、よっぽど、お腹すいていたのですね。
 手で食べなくて良かった・・・

 朝食後、タンロン・ハノイ城王宮跡を見学。
 11世紀から18世紀までの古代ベトナムの都であるタンロン都の、最も重要な部分であった。
 ここでは東洋と世界の文化の交流が行われたから、これは1000年にわたり、ベトナムの政治、文化の中心地であるのだ。
 フェステバルはタンロン・ハノイ城王の歴史の式典であった。

 ブンピオー大学、昔の国士舘すなわちエリート中のエリートしか合格できない大学。
 合格者の名前が石に刻まれているのですが、はるか昔の歴史を感じるくらい、名前が読み取れない。
 ここで、3人の女子大生(4年経済学部といっていましたが)、なぜか日本語が堪能。
 「日本人ですか?」
 「そうです」と返事すると、「嬉しい!! キャー!!」と私に寄ってきて、「宿題、宿題」と興奮気味。
 落ち着いて聞いてみると、「日本人と写真を撮ってくるように」とか。
 何の理由なのか分からなかったのですが、礼儀正しくお願いされたので4人で写真を撮る。
 

 私達の騒がしさに、HUJI奨学金のグループも集まり、皆で記念写真。
 

 そこで3人に私の名刺を・・・

 その後、お土産の買い物スーパーへ。
 コーヒー、インスタントのフォー、ベトナムしかない調味料等など・・

 ホテルに戻り、チェックアウトのため、荷物の整理を終えロビー集合。
 皆さん荷物を再確認して夕食のレストランへ。
 お料理は、キノコ鍋。
 美味しいのは、モチロンのこと。
 カーさんのお知り合いのMr. NGUYEN CHI TUYENが加わる。
 赤十字関係にかかわられていた方で、今は、老人問題の研究者としてご活躍されている。
 

 宴もたけなわ。
 最後の夕食とあって、皆さん楽しく和気藹々で終わる。

 空港へと約1名は酔っ払いながら、成田組6人(S2さん、Oさんご夫妻、M4さん、Aさん、M1)、関空組2人(Kさん、S1さん)、それぞれ思いを馳せながらノイバイ空港を出発し、14日早朝、無事、成田、関空に到着。
 本当にご苦労様でした。

 3人の女子大生の1人Miss Tuyen Nguyen Chiから早速メールが届いています。
 「皆さんに敬意と感謝をします。」
 そのような感じでした・・・
 2度ほどそれからメールがきています。
 Chiさんは、「東京とハノイでのメールが出来てとっても嬉しい」と、そのような感じでした・・・

 私の Field work レポート お・し・ま・い。
By 松永


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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):6(10月12日)

2010-11-14 | CB(チャット・ビン)中学校
10月12日

 ベトナム随一の景勝地といわれるハロン湾の面積は約1600K㎡。
 いち早く観光地化が進み、深い翡翠色の海に無数の岩が林立する水墨画のような眺めが中国の景勝地にたとえられ、海の桂林とも言われる。
 ユネスコの世界遺産、地層の世界遺産の2つに指定された幻想的な風景を漂わせている。
 

 しかし、昨今リゾート化し、カジノもあり、ホテルラッシュである。
 クルージング専用船に乗り、鍾乳洞を30分見学。
 自然の宝物であり、自然の恵み。
 “竜が降り立った場所”、まさに、その言葉どおりの自然界である。

 その後、海水浴場へと向かう。
 ナイスバデー、その他もろもろ、ご想像にお任せします……。
 しかし皆さん、泳ぎは本当に上手でした。
 30分で上がり、クルージング専用船で昼食後、ホテルに戻る。

 まもなくサイゴンホテル出発、ハノイへ・・・・・・
 移動中、新しい橋がいくつも建てられ、高度成長の勢いが垣間見た。
 金利は、いまや10パーセントとか。
 日本とは、えらい違い・・・・・

 コン・ドアン・ホテルに夕方PM6:30着。

 夕食は、ルーンさんのお知り合いのコンさん、島田たか子さんを迎え、バイキングレストランでの会食。  (松永・記)


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2010年奨学金授与の旅(ベトナム北部):5(10月11日)

2010-11-14 | CB(チャット・ビン)中学校
10月11日

 “コン・ドアン ホテル”をAM7:15出発。
 1000年の歴史を持つ古都ハノイは、ベトナムの政治・文化の中心地。
 緑が生い茂る街路樹やホアンキエム湖とタイ湖の大きな湖もあり、自然にも恵まれ街の中は、昨日はさらにイルミネーションが華やかで、美しいフェステバル一色であったが、今日は打って変わり、街の中は穏やかな雰囲気。
 ただし、相変わらずバイクが朝から追い越し、お構いなしの騒々しいエネルギーシュなベトナムの人々を見ながら、ハロン湾めざして、あとにした。

 途中休憩タイム。
 “テフェンミ”により15分が45分、トイレよりお土産に熱中する女性特有の買い物好き。
 また、女性軍のなかで値切り屋M1がいて、交渉係。
 お店としては、厄介客であるに違いない。(間違いなし・・・)
 何人の方には、お役に立てたのでは(自画自賛!)。
 しかし、専用車で待っている男性軍は、文句の二言五言も言いたい。カーさんが言って いるのを引用すると、“ワガママ・キママ・ソノママ”。

 ホンガイ石炭の町を通り、ハノイからハロン湾まで約3時間(170km)。
 スピード制限40km、“サイゴンホテル”着後、トウアン・チャウ島に3200mのリゾート雰囲気漂う橋をスポーツカー(専用車)で風をきって走る。
 最高・・・・ホテルから10km(15分)。

 この島は、ディズニーランド風な感じでもなく、ただ広い。
 国営化と思いきや、何と資産家の個人の“アイランド“らしい。
 島と言えない、何故ならを感じたから……。
 間違っても、私の遠い親戚の“叔父”ではない。

 ここで“イルカショウ”を子供に帰ったつもりで見学。
 

 イルカ調教師の笛を無視して曲芸をしない“ワガママ・キママ・ソノママ”のイルカ。
 

 ルーンさんが、いつも私たちの集合のときに使う、首に掛けている“ピー”の笛を、気を利かせて吹いていたらきっと、すぐ素直に曲芸したと思う。
 ルーンさん、いつか機会があったら、お願いします。
 調教師の方が助かると思いますヨ。

 また、アザラシが曲芸が良くできると餌をその都度あげる調教師のしぐさを、“ある方”が実にアザラシ以上に表現が面白く、笑える。
 あそこに残して、お客さんに見せたかった。
 毎日満員御礼、しかも“アオザイ”を着てアザラシより高く料金が徴収できると思う、間違いない。 (松永・記)


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