GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

僕らの街にオリックス・バファローズが、やって来た!!、半分達成(汗)

2022-05-21 23:44:44 | ミックス

 2年越しにようやくオリ二軍が"くら寿司スタジアム堺゛にやって来てでの観戦が実現した訳やったんですが、朝から急に母親が「眼科に行きたい」と言うて来たんで、車で出迎えをする事に・・・ほんまにここと縁が、無いんやな(涙)ただ不幸中の幸で、入院してる場所が球場の近くやから、試合前&試合中の若干の飲酒を断念して、車で行く事に(汗)ただ診察に時間がかかり、"アルコールどころか試合開始にも、間に合わず゛・・・着いたのは、5回表=14:07・・・阪神戦やからな、凄い観客の数!"車での来場は、お控えください"って書いてあったけど、満車になるまで来とるやんけ!僕は公園の駐車場やなくて、隣のイズミヤ(アンディ)に停めたからな、あまりええ客やないわな(汗)ちなみにもしかしたら阪神戦やったからかも分からんが、明日もこのくらスタで試合あるし、深井駅から直行臨時バス(片道¥170)が出てる、気合いの入れようやからな!

 オリは、一軍も もう元のチームに戻ってる&コロナ離脱もあって、誰が二軍に居てもおかしくない状況!ただ来田がファーストで出てたで!外野手登録やけど、このオプションが出来たとしたら、大きい(笑)アッキャマン(神)は相変わらず、口から発する声や呻きは凄い割には、全くスピードが伴ってないけど、実績で7回を無失点に。あんだけしか球威が無いんやったら、振りかぶって投げんでも、コントロール&疲労軽減の為にも、"セットで投げりゃあええのに"・・・前にも書いたけど、「出力は振りかぶって投げてもセットで投げても、一緒」とトンビも言うてるし、きっと科学的にも証明されてるしな・・・

  大下(オ)が、最後の打者・・・「鼓舞将軍」の声がベンチから聞こえんのは、一軍とは気合いの入れ方が違うし、二軍の試合やからか?・・・両チーム共に言える事やが、"もっとスケールの大きな育成法や選手起用をして欲しい"かな(汗)まだ今週の頭ぐらいの新聞を読んでる段階やから、頭が追い着いておらずベニー(オ)はまだまだ一軍のショートのつもりでおったけど、ベニーも下におったし・・・オリックス●0ー3○阪神(二軍)。

 Wi-Fiを使いすぎたんか 、PCがネットに繋がりません(号泣)したがって慣れんスマホで更新しました・・・

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無題

2022-05-19 23:06:23 | 野球

 ドカベンプロ野球編にも絵は無かったですが、文字として名前が挙がった山本雅夫(南海―巨人―近鉄)氏が、3月に亡くなってたのを知りませんでした(謝)!山本氏は、1971年オフのドラフト6位で南海に入団。二軍暮らしが続いたが1980年から頭角をあらわし、翌年には主にファーストとして101試合に出場、規定打席には届かなかったものの打率.288、13本塁打の好成績をあげた。長打力があり左殺し、その後も左腕先発時にはスタメンに名を連ねる事が多かった。1984年に巨人に移籍。右の代打の切り札として2年連続3割以上の打率を残し、存在感を発揮した。しかし1986年には打撃不振で出場機会が減り、同年オフに自由契約となり近鉄にテスト入団。1年で現役引退。引退後は不動産会社に入社。同社の軟式野球チームで4番を打ち、RBA野球大会で活躍を見せた。その後、兵庫県内で中古車販売店に勤務しました。他には、ピッチングマシーンの練習やとよく打つし、飛距離も出るんで南海時代はあだ名が"山本マシン夫"と名付けられた一因は、変化球が苦手やったそうですね(大汗)通算成績は、試534 率.262 37本139点 安287 でした。お悔やみ申し上げます(涙)

 あと知らないかたでしたが、足木敏郎(中日)氏が、亡くなりました。足木氏は、1953年に名古屋に入団。左投げ左打ちの外野手、現役生活は、2年でした。その後は、トレーナー・マネージャー・広報・助っ人の渉外担当を歴任。ケン・モッカ(中日)・アロンゾ・パウエルを獲得!2013年に中日を退団しました。通算成績は、試0 0勝0敗 防0.00/試1率.000 0本0点 安0 でした。投手としての出場は無く、打席にも立ってなく、1試合に外野守備に就いたのみです(大汗)しかも本人に非は無く、球団の手違いで未登録での出場となってしまい、セの連盟から厳重注意処分を受けました(涙)お悔やみ申し上げます・・・

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さらに書き加える事が、あるとすれば

2022-05-17 23:17:03 | 野球

佐々木朗希の2試合連続打者凡退だけやったら(1試合目のオリ戦、27人。2試合目のハム戦、24人。3試合目のオリ戦の最初の打者で記録は、途切れる)2試合合計の連続打者凡退は、51人やけど、その前(オリ戦の完全試合)の西武戦の8回裏のスリーアウト目をアウトにしてる(多分この日は、ホームの試合でロッテが9回表の時点で勝ってたから、9回裏の攻撃が無く、8イニングで終了してたんでしょう)んで、52人連続打者凡退が、「正しい記録」です。

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この事も何が正解か判らんけど、ケースバイケースやな・・・

2022-05-14 21:52:24 | 野球

いつも極論やけど(爆)東浜巨(ソ)が、先日の対西武戦でノーノーを達成しました!受けた捕手も大変めでたいですし、未だ達成者は100人にも満たんですが、こうも続くと若干価値が下がって来る気も・・・未だ90歳を越えてもキャンプで臨時コーチを務める杉下茂 氏は、めちゃくちゃ昔の人間やけど、フォークボールの神様でもあり昔の人の割には、"そこまで根性論や近年の科学的トレーニングに否定的ではない"かたですが、"投手やエースとしての在り方には、不満を持ってる"ようで・・・2000年代後半のインタビューでは、"いつから捕手主導の配球になった?、投手は、打者をよく洞察・観察して殆ど自分で配球を考えて投球出来なきゃ、投手ではないぞ。"や"(二軍クラスの捕手が受けてても)誰が捕手でも同じ投球をしなきゃダメだ!いつも受けてくれる・リードしてくれる捕手が他の誰かに代わったから投げられないというのは、投手じゃないぞ!"とも証言してましたからね。確かに今に限らずここ40年ぐらいは、投手主導のリードは殆ど観た事がないですし、配球まで投手が考えてやれば、ほんまに格好ええですよねっ!だから確かに僕も、少しは捕手だけやなく投手がリードする野球も観てみたいし、やるべきやと思ってます!ただ野球のデータが複雑化し、打者の技術も上がってる為、そう簡単にはイカンのは重々承知してますが(汗)昔は投手のステータスが高かったし、プライドも高く投手がボールを投げなきゃ始まらんから、一番偉いポジションとされてたからな。捕手の重要性やリードが重視され出し、捕手のステータスや地位・評価が上がったんは、リーグ優勝・日本一に貢献して来たノムさん・森祇昌(昌彦)の活躍からですね。換言すれば、捕手が脚光を浴びるようになったのは、「捕手主導の時代の始まり」でもあったわな。確かに捕手は縁の下の力持ちですし、立派ではありますわな!だから"投手と捕手とで、どっちが偉いとかどっちがリードすべきか"という事ではなく、どうするかは選手・投手の性格や場面によってのケースバイケースやな・・・

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何が正しくて正解なんかは、分らんし

2022-05-14 08:47:34 | お笑い考

特に芸能界は(汗)昔、トミーズ雅がとある場所と人達に対して"この世界に正解・不正解は、無いからなぁ"と言ったのは、正しいと思うわ。それだけでなく、このかたのカメラが回ってない状況での、立ち居振る舞いなんて、状況やケースバイケースなんやろうし、色んな情報が錯綜してますが(大汗)訃報はそのかたの功績を称える為とかで書くけど、引退に関してはめったな事では書きたくないんやけど、この機会を逃したら、もう書く機会が無い可能性が高いと思うから、ちょこっとだけ・・・清水圭が、芸人や芸能界を引退する模様です!最近はとんと見掛けなくなってたけどなぁ(汗)圭は、同志社大学で同級生の和泉修とコンビを結成(清水圭・和泉修)し(時に圭・修と略称で呼ばれる事が殆ど)、吉本入り。確か吉本に入った直後には、会社の戦略やろうけど、まだ共に関西で活動していたダウンタウンと圭・修やったけど、"圭・修は、無理矢理ダウンタウンのライバルポジションにさせられた!"んやわ・・・多分松本氏の遺書か松本の中で"ポストダウンタウンやライバルっていう謳い文句である番組に同時に出たけど、客ウケ量が明らかにダウンタウンの方が上やったのに、オンエアを観たら一緒ぐらいになっとった!いやはや恐ろしい世界やな。ポストは普通赤い物であって、彼らはあまりにも青い!青すぎる!"って言ってたんは、恐らく圭・修の事やなかったんやないかな(汗)?・・・それに圭・修自身も"ダウンタウンのライバルなんておこがましい、会社が勝手にそういう存在にさせただけ!はなから勝負は見えてたし恐れ多いし、持って生まれた才能・車に積んでるエンジンの馬力が違う!"とナンバ壱番館で証言してたからな。ただかつてのWikiによると、かと言ってダウンタウンと不仲でもなく、松本氏も"こないだ圭と遊んだ"と平気で口にしてたようやし。そのナンバ壱番館では、圭は"空気読みの天才"と称されました。だから一般のかたにはどう思われるか判らんけど、芸人の間では"面白い面白くないは別にして、空気読みの天才"という見方をされてたようやわ。その辺は、奥の深い京都出身らしさも出てるな。最初からそういう計算高いというか賢いというか要領の良さの一面が見られるエピソードとして、一般の観客を入れてでのオーディションに参加した際に、もちろん主催者側には内緒で、事前に友人数名をサクラとして観客の中にこっそり忍び込ませ、客ウケを増加させたという戦略をもってオーディションを勝ち抜いたっていうのが、あるぐらいやからな!1993年頃から共にピン芸人としても、活動。特に圭は、東京を中心に活動。しかもブレイクを果たす!1994~98年ぐらいの清水圭は、"バラエティー番組で観ない日は、無い"というぐらい怖いもの知らずの状態やったなぁ。関西でも、ナイトスクープにも出てたし。関西だけやったら、1993~1996年ぐらいまでは、ぜんじろうも同じ様に怖いもの知らずの状況でしたが。この「観ない日はない」の状況って、たまにあるよなぁ。僕の勝手なイメージでは、芸人やないけどかつてのほしのあき・中川翔子・ふなっしーが、そんなイメージやったなぁ、「どんだけ出てんねん!また出てる!」と・・・今は、その存在は朝日奈央か。売れる時ってそんなもんなんやろうな・・・この頃の圭は、僕も好きでしたね。何か嫌な感じを受けないというか。ただ舞台やコントや漫才といった芸や芸人として活動したい相方の修と色んな番組に出るタレントとして活動したい圭とで、コンビとしての方向性の違い(不仲ではない)により、2001年に圭・修のコンビは、解散。圭も1999年ぐらいから、徐々にレギュラー番組などが失くなって行き、存在感が薄れて行く。2015年に旅番組で夫婦で出てたのを観たのが、僕は最後。2019年の吉本の闇営業&恫喝問題で、「久々に名前が出て来たな」と思ったら、暴露話やったけど、"『明日があるさ』の映画は、マネージャーが熱心にかけあってなければ、清水圭は出演出来なかったんですよ!と強く言われた"という事を暴露して、マイナスイメージというか落ちるとこまで落ちたな という余計に売名に近く世間に負のイメージを与えた格好になってしもたな・・・まぁそれでも一時だけでも、売れただけでも立派やったと思いますよ!ヤフコメでは、カメラが回ってない所でも、愛想が良く写真撮影にも気軽に応じてたり、「(カメラが回ってる所ではあんな事言うたけど)さっきは失礼な事言うてごめんな」とアフターフォローも忘れてないという話もあったかと思えば、あさってさんは"昔、ABC朝日放送の近くで清水圭を見た事あるけど、肩で風切って歩いてた"と言ってましたが、どっちが本性か判りませんし、タイミングとかもあったり、その辺は空気読みの天才やから、恐らくそんな後者みたいな振る舞いは殆どせん(自身がどう見られるかぐらいは、解ってるやろうから)やろうし、前者の方の態度の方が、多かったんやないでしょうか。まぁ彼は実業家でもあるし、別にこの芸能界でなくても、生きて行けるんでしょう。

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