GRの戯れ言日記2

途中まで元々閉鎖された別会社のブログを引用して来た物。2017年2月から本格始動。それ以前は、はてなブログに書いてます。

売れてても、売れてなくても悩みはあるものなんか?

2022-05-12 21:29:29 | お笑い考

 「一番自死から縁遠そうな存在」と上原美憂 氏の訃報を報じた際に宮根誠司が発した言葉と一緒で勝手に僕が、そう思ってた上島竜兵(竜ちゃん) 氏が、亡くなりました(涙)ダチョウ倶楽部は、当初、(のちに脱退する)南部虎弾(現:電撃ネットワーク)も含むカルテットで始動。その前に俳優志望であった竜ちゃんは、寺門ジモンとコンビを組んでいたが、全く手応えがなく肥後克広の加入で何とか形になる。『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』でブレイク。『スーパージョッキー』の「THEガンバルマン」(熱湯コマーシャル)のコーナーでは、身体を張った芸で奮闘してましたね!最初はたけしの庇護の下におったけど、のちに志村さんファミリーになっていった感じを受けた。たけしは、軍団を大事にしてたから、若干よそ者のダチョウとは距離を置いてたんかも知れないけど、それが良かったんかも知れんな!最後まで信頼関係が、築かれるから。2000年に関西ローカルで、『関西出身だけどイメージは無く、関西を捨てた芸能人』か何かのなるみ司会の特番で、出てた記憶がめっちゃあるわ!その時に竜ちゃんと林家ぺー(林家ぺー・パー子)とあと1人出てたんやけど、思い出せん(謝)この時に初めて竜ちゃんが関西出身て初めて知ったし、「普段からめちゃめちゃ標準語上手いやん」って思ってました。ただケンミンショーでの「事例は突然に」のコーナーの兵庫県編では、久々に関西弁を話してましたが、新鮮に感じただけでなく、やっぱり地はしっかりしてたんか自然で上手な関西弁やったな!志村さんとの接点は、1996年にバカ殿からの出演オファーがあり、結果も出したか?志村さんに気に入られたかで本格的に番組に関わって行くようになっていく!ケンちゃんのオーマイゴッド!・だいじょうぶだぁの特番、関東ローカルの深夜やプライムタイムのフジテレビの30分枠の志村さんのコント番組では、変なおじさんTV~志村劇場と長期に渡りレギュラー出演。一旦離れるもののやはり仕事がやり易かったり波長が合ったり笑いへの価値観が合うからか志村座から呼び戻しましたからね!トリオだけのネタは、熱湯風呂やおでん芸の際に"リーダー「じゃあ俺がやるよ」、ジモン「いや俺がやるよ!」、竜ちゃん「じゃあ!俺がやるよ」、リーダー・ジモン「どうぞ、どうぞ」、竜ちゃん「何だよそれ!」とか「やかましいわ!」"の一連の流れ、「もしもゲームセンターみたいな〇〇屋さんがあったら?」の「もしもネタ」、ブリーフで行動、プライベートでも愛用してたんやないかな?ギャガ―としての一面もあり3人のギャグでは「ヤー!」・「聞いてないよー!」(1993年の流行語受賞)・「ムッシュムラムラ」・「ムッシュムラムラ、ヤ―!」・「ツカミはオッケー」・「和気あいあい」・「ハハハハハ、バカだな~!」・「訴えてやるっ!」・竜ちゃんの1人芸は、帽子が脱げ・落下したのを拾い直して帽子を被る際に「くるりんぱ」と言う・片足を地面に叩きつけ、それが合図となり周辺の人間が一斉に同時に「ジャンプ」する、出川哲朗との殴り合いのけんかをすると見せかけて、キスをする「緊張と緩和の笑い」などのお馴染みのネタが、ありましたな。

 若手が出る様な番組にも積極的に出演し、アメトーークなどにも出演するだけでなく、元々俳優志望なだけにドラマの出演などにも幅を広げる!つい最近では、J:COMのCMにも出てて、「まだまだ現役やなぁ」と思ってた矢先の出来事でした・・・偏見かも知れんけど、お笑い芸人は立場上そういう振る舞いはしづらく自死が、少ない気がするんやけど、パッと浮かぶのって初代Wヤングの中田軍治・桂枝雀・桂三木助(4代目)・平川ジローぐらいしか浮かばんもんな・・・

 意外性が少なくお約束が多いという意味では、吉本新喜劇に近く(そういう意味では関西っぽさがあったかも知れん、出身地がバラバラやったけど、リーダーは沖縄、ジモンは兵庫・大阪・東京)好きなタイプの笑いではなかったけど、出川とのキス芸やもしもネタは思わず笑ってしまう時もありましたから。紳助も必要な存在と言ってましたし。あまりファンが多いイメージは無いかも知れんけど、少なくとも僕が人生で出会った中で2人は「一番好きな芸人、尊敬する芸人」と言ってた人が、居たで(燃)!奥様は、もの真似タレントの広川ひかる。結婚してからあまり見掛けんようになったけど、昼の情報番組の『ベストタイム』のレポーターのイメージ。ところでそれでも売れてる人の方が、売れてない人より恵まれてる気がするけどなぁ(大汗)「一生この芸風でやり続ける!」っておっしゃってたけど、心のどこかで"やはり10年後・20年後までは、無理・・・出来ない・・・"と思ってたんかなぁ?それとも志村さんに会いたいと思ってしまったんやろうか?・・・真相・原因は分からんけど、一番近い答えは、"ダチョウの芸・ネタは、コロナ禍では活きない・キスオチといい蜜だからお笑いが、やり辛い"から、先行きに不安を覚えてたって声が、周辺の人間には聞こえて来てたみたいやな(涙)お悔やみ申し上げます(涙)・・・

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