フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

有川浩著「明日の子供たち」を読み、今までに無いほどの衝撃を受け、反省…。

2018-10-24 23:03:09 | 読書会

朝の内は何となくにわか雨がありそうで、気になっていましたが一日中小雨もありませんでした。
久し振りに図書館からお借りしての読書会で、有川浩著「明日の子供たち」を読みました。

親からの虐待を受けて保護された子供、親に育児放棄された子どもたちが生活する「あしたの家」。
幼児から高校生までの子供が共同生活をしているけど、中卒で就職した子は施設に住めなくなる。
高校を卒業すれば当然施設を出て、自活しなくてはならない。

大学に進みたい子供は、親からの支援は望めないので、アルバイトをして費用を貯め、
奨学金を戴きながら学業を続けて居るのが普通とか、我が身の幸せを改めて感じました。

作品の途中までは、施設の子ども達と教師の話ですが、施設を出てからの受け皿の「日だまり」が、
予算の都合から無くなる事を知り、子ども達が立ち上がり住民の前で必要性を演説します。

その場面を読むとき、涙無しには読めませんでした。
幼い子供を小学校にも通わせず、家事をさせて、時には罰として食事も与えられ無かったり、
暴力を受けていた子供たちは、施設では学校にも行かれ割り当てられる仕事はあるけれど
ご飯も食べられお風呂にも入れて、良い事ばかりだ、と言うのです。

住民は「可哀想な子供たち」と言う視線で見ているけれど、「自分たちは幸せ」と言い、
更に養護施設を出た後、困ったことが出たとき、「日だまり」に行けば話を聞いてくれる…。
「明日の家」の先生達は忙しいので話を聞いて貰う時間が無い、
相談出来る親がいない自分たちには「大切な場所」と、高3の女子が言います。


読書会で読んだ本のあらすじをここまで詳しく書いたことがありません。始めてです。
恥ずかしいですが、わたし自身、この様な事に関心を持たず、全く無知でした。
大学生の頃、養護施設へボランティアで伺って居ましたが、運動会等のイベントのお手伝い位で、

その養護施設は先天的に身体に異常のある子供たちでしたから、状況は全く違いましたが…。
学生でしたから、内情を知ろうともせず、表面だけしか見ていなかった…、恥ずかしいです。

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