12月31日 水曜日 晴れ
朝から良いお天気だったのに、目覚めても起き上がれない…。
夜中の2時半に目覚めてしまい、それから何度も目覚めてしまう。
時計を見ては、起き上がらず目を閉じてベッドに横になっていた。
気怠くて起き上がる気力が無いのには参った…。
今日は大晦日なので、寝ているわけには行かない。頑張って起き上がりそのまま浴室に。
お風呂に入れば、元気に動けるようになるのは何時ものこと。
10年前の今日、脱サラして始めたケーキと手作りパンの店「フォンテーヌ」を閉店にした。
「店を閉めて10年」と言うことが意識にあるからか、今年の暮れは何時もとは違っていた。
当時を思い出したり、これからの自分の事を考えたり…。10年間は長いが振り返って見ると短い。
そしてあるじが亡くなって8年間。振り返って見るとあっという間のような気がする。
あの頃の忙しさは、言葉にならない。1分2分が貴重だった…。
低血圧で上が80前後で下が50前後、酷いときは74の44だったりした。朝の動きは悪い。
店の開店は午前6時。それまでにサンドイッチを作るのがわたしの仕事だった。
血圧が低くても、そんなことを言っては居られない。
解決策にお風呂に入ることにした。冬でも前の晩のお風呂の湯はそれほど冷めていない。
仕度をしている内に何とか入れるようになる。ただ、湯冷めに気を遣って居た…。
今のような、のんびりした時間が過ごせる事など、当時は夢にも考えられなかった。
掃除機を掛けているときも、洗面所の鏡を拭いているときもずっとそのことが頭から離れない。
自由な時間を欲しがっていたわたしが、今はそれを手に入れられたのに一体何をしているのだろう。
いつもその自問自答をして居る。
リコーダーも洋裁も料理も、もしかしたら時間つぶしなのかも。
わたしが当面しなくてはいけないことが無い、好きな事をしているだけ。
それでよいのだろうか…。
10年という節目からか、悩みながらの大晦日になっている。
高1の時、BCGで陽転しその年から3年間、体育の時間も見学させられる身体になり、
頑張っても人の8割動ければ上々、と言われていたわたしだ。
それでも、パン屋の女将さんを足かけ20年続けた。
その間に、2人の娘は結婚をし2人ずつ子どもを産み、母親役とおばあちゃん役があり、
更に、あるじの母を亡くし、わたしの父が亡くなった…。
店は一度も臨時休業をして居ない。結婚式も葬儀も休んでいない。
姑が亡くなった時など、店を離れられないあるじの代わりに娘と3人で式場へ。
まだ運転をしていなかった娘たちを乗せ、黒の紋付きを着てハンドルを握り葬儀場へ…。
こんな風に昔の事を思い出すのは、歳をとった証拠なのかもしれない。
明日から新しい年になる。昔の事は脇に置いて前に進むように努力しないと…。
何故か、今年の大晦日は沈んでしまっている。
明日からの新年を、良い年と思えるようにしたい。頑張るしかない。命ある限り前進あるのみ。
朝から良いお天気だったのに、目覚めても起き上がれない…。
夜中の2時半に目覚めてしまい、それから何度も目覚めてしまう。
時計を見ては、起き上がらず目を閉じてベッドに横になっていた。
気怠くて起き上がる気力が無いのには参った…。
今日は大晦日なので、寝ているわけには行かない。頑張って起き上がりそのまま浴室に。
お風呂に入れば、元気に動けるようになるのは何時ものこと。
10年前の今日、脱サラして始めたケーキと手作りパンの店「フォンテーヌ」を閉店にした。
「店を閉めて10年」と言うことが意識にあるからか、今年の暮れは何時もとは違っていた。
当時を思い出したり、これからの自分の事を考えたり…。10年間は長いが振り返って見ると短い。
そしてあるじが亡くなって8年間。振り返って見るとあっという間のような気がする。
あの頃の忙しさは、言葉にならない。1分2分が貴重だった…。
低血圧で上が80前後で下が50前後、酷いときは74の44だったりした。朝の動きは悪い。
店の開店は午前6時。それまでにサンドイッチを作るのがわたしの仕事だった。
血圧が低くても、そんなことを言っては居られない。
解決策にお風呂に入ることにした。冬でも前の晩のお風呂の湯はそれほど冷めていない。
仕度をしている内に何とか入れるようになる。ただ、湯冷めに気を遣って居た…。
今のような、のんびりした時間が過ごせる事など、当時は夢にも考えられなかった。
掃除機を掛けているときも、洗面所の鏡を拭いているときもずっとそのことが頭から離れない。
自由な時間を欲しがっていたわたしが、今はそれを手に入れられたのに一体何をしているのだろう。
いつもその自問自答をして居る。
リコーダーも洋裁も料理も、もしかしたら時間つぶしなのかも。
わたしが当面しなくてはいけないことが無い、好きな事をしているだけ。
それでよいのだろうか…。
10年という節目からか、悩みながらの大晦日になっている。
高1の時、BCGで陽転しその年から3年間、体育の時間も見学させられる身体になり、
頑張っても人の8割動ければ上々、と言われていたわたしだ。
それでも、パン屋の女将さんを足かけ20年続けた。
その間に、2人の娘は結婚をし2人ずつ子どもを産み、母親役とおばあちゃん役があり、
更に、あるじの母を亡くし、わたしの父が亡くなった…。
店は一度も臨時休業をして居ない。結婚式も葬儀も休んでいない。
姑が亡くなった時など、店を離れられないあるじの代わりに娘と3人で式場へ。
まだ運転をしていなかった娘たちを乗せ、黒の紋付きを着てハンドルを握り葬儀場へ…。
こんな風に昔の事を思い出すのは、歳をとった証拠なのかもしれない。
明日から新しい年になる。昔の事は脇に置いて前に進むように努力しないと…。
何故か、今年の大晦日は沈んでしまっている。
明日からの新年を、良い年と思えるようにしたい。頑張るしかない。命ある限り前進あるのみ。