フォンテーヌの家  わたしのつぶやき

横浜市南区で趣味の会[フォンテーヌの家」 

大晦日

2009-12-31 22:49:59 | 日記
12月31日 木曜日 晴れ

大晦日です。風が強かったのですが良いお天気でした。
お陰でバスマットもトイレマットも気持ちよく乾いてくれました。良かったです。
ただこの所雨が降っていませんから、午前中にたっぷり水まきをしておきました。

お水を蒔いた時、ついでに庭から水仙や榊を切ってきました。
お花や榊は昨日変えるつもりでしたが、母の事で一杯一杯になってお花を生ける気持ちになれませんでした。

ピンクの百合は先日わたしの幼友達があるじへのプレゼントと言ってお持ち下さったのです。
水仙は庭から切ってきました。わたしはこの水仙が大好きです。
先日模様替えをしてあるじの御霊社の前に文机を置きましたので、花瓶を並べられます。

 百合  水仙

2色の千両は裏のお宅から戴きました。
大きくなりすぎて困っていると言われましたので、年末に下さいとお願いしていました。
水仙は重たくなり過ぎ折れている物を切ってきました。食堂のテーブルに置いています。

 千両  テーブル

玄関にも千両と水仙でいけてみました。ネコのぬいぐるみが側で寝ころんでいます。
以前から壊れた椅子を置いていたのですが、その椅子がいよいよ酷くなり明るい軽い椅子にしました。
あるじが何時もウォーキングの時履いていました黒い靴も一緒に並んでいます。

 玄関

あるじが逝ってしまってからお正月の飾りは一切していませんでした。今年は寅年。
階段の下に何故か虎のぬいぐるみが3つもありましたので、飾り棚に並べてみました。
わたしが絵本やら玩具が好きなので、何となくプレゼントで戴き増えています。(笑い)

 虎虎 

この絵、何処かで見た覚えがあると思いますが・・・。
多分虎猫だと思うのですが、その独特の縞柄がなんとピアノの鍵盤なのです。
それに目が何とも魅惑的なのです。虎猫の上の子猫も可愛いのですが、
それ以上に赤い洋服を着ている人の表情がとっても長閑で平和を感じました。

この絵は週刊新潮の表紙なのです。先日、先生の名前が出ているというので買って来ました。
先生の事が書かれた文章もさることながら、この表紙の絵を見た瞬間「良い」と思ったのです。

 虎

マットなど厚地の物を取り込みむ時、東の空の雲がとっても素敵でした。
今年最後の雲の写真を記念に撮したくなりました。
午後3時40分の東の空と太陽が傾きかかった西の空の写真です。

 東  西

今年も後何時間かでお終いです。ありがとうございます。
わたしのブログを読んで下さるわたしの友人たちに感謝しています。

来年こそはわたしの人生を楽しめるような、そんな風になりたいと思っています。
独りの生活を楽しめるようになりたいと思っています。どうぞ今年同様、応援して下さいね。

次女の婿殿が田作りが好物ですので作ったり、筑前煮も作って見ました。
椎茸の含め煮やら、キンピラやら次々と作りたくなって、どんどん増えてしまいました。
こんなに作ってどうするのでしょうね。お正月は友人達も忙しいのに・・・。

でもお正月の準備をする気になった自分に驚いていますし、とても嬉しいです。
来年はきっと良い年になる・・・・、そう思えるようになっています。
毎日このブログに気持ちを書くことで、救われていました。本当に感謝しています。
お互い、健康で良い年にしましょうね。
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暮れの忙しい日にポチ袋作り・・・とは。

2009-12-30 20:23:03 | 日記
12月30日 水曜日 晴れ

母が2階のいつものベットを使っての昨夜は、何となく落ち着きませんでした。
トイレまでの距離は無いのですが、富士宮では、ベットの隣にポータブルを置いています。
歩けるように洗面所の電気を付けたり、立ち上がる時の台の代わりに椅子を置いたり・・・。
一緒の部屋で寝ることは母が却下、独りで寝ていますから落ち着かないようです。

「10時ぐらいに朝食が出来るようにしましょう」と約束して、お布団を掛けて下へ降りてきました。
11時過ぎまで頑張って下にいましたから、起きられるかどうか心配していましたら、
9時20分頃下に降りてきましたので驚きました。それに昨日の疲れが残っていないようです。

やはり母の体力はあるのですね。炊きたてのご飯を完食、ヨーグルトに柚子ジャムをたっぷり入れ、
更にプロテインを加えて、それも完食。
昨夜も焼き鳥やら、マグロの尾を焼いた物などを完食しています。わたしより食欲旺盛ですね。

わたしは母の要求通り動いていますと、食事をする気力が無くなってしまい、
なにか軽く戴いてお終いにしてしまいますから・・・。

お昼過ぎ、弟の車で大森の自分の家に帰っていきました。
大阪に住む姪家族が28日から泊まっていますので、曾孫にも会えますから嬉しいようです。
彼らと一緒に箱根駅伝を応援をするのです。第一京浜に面している建物ですから母でも応援出来ます。

昨日、母がなかなかやって来ない、落ち着かない時間にポチ袋作っていました。
母が来たら途中で辞められる事を探しての仕事です。
包装紙の色や柄の良い物をわたしは捨てずに取って置いています。ポチ袋を作ります。

いろいろな型紙を作って持っています。普通の縦長で小振りのポチ袋は市販の物を分解して使います。
ちょっと変わったポチ袋(?)の型紙です。左は一筆箋を半分に折って入るサイズのものです。
宅急便のときちょっと言葉を添えたりする時に便利です。
右のはお札を半分に折って丁度入るポチ袋(?)の型紙です。ちょっとお洒落で気に入っています。

 ポチ袋型紙

お札を半分に折って丁度入ります。右が完成品で左は糊で貼り合わせる前の状態です。
和服をしまう時に使う畳紙のようなタイプのポチ袋です。

 ポチ袋1

上の型紙の一部分を削除した物です。袋状にして作ります。
お札と小銭の両方を入れる時などはこれが最適です。

 ポチ袋2

右の細型のポチ袋は、標準タイプの物です。下の小さい正方形の物は紙の不足で出来た物です。
小銭だけの時などに使えると思います。
左の2つが一筆箋を半分に折り宅急便の時などに重宝に使っています。

 ポチ袋3

母が家に帰ってしまい緊張が取れたからでしょうか、気力が無くなってしまいぼんやりしていました。
珍しく炬燵に入ってテレビを見ながら、昨日のポチ袋作りをしていました。

 ポチ袋全て

数えていませんが随分作りました。後はのり付けするだけです。
暮れの30日に、こんなにものんびりした時間を過ごしたことは今まで無かったです。
生まれて初めての経験です。これも良しと出来るわたしの今は幸せですね。

あるじに「時間が欲しいと」と言っていましたわたしが、今はたっぷりの時間を手に入れています。
出来ることなら、あるじと一緒に、こののんびり出来る時間が過ごせたら・・・。
そうであればもっともっと幸せでしたのにね・・・。
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母親って何なのでしょう・・・。

2009-12-29 22:00:45 | 日記
12月29日 火曜日 晴れ

母が富士宮からやって来ました。
弟が今朝一番で出掛け、母を病院に連れて行き検査の結果、肺の中の水は抜けていたそうです。
医師からの許可も出て大いばりで我が家にやってきました。大正生まれは気丈ですね。

午前中、病院に行き検査を受けたりしただけでも疲れたと思うのですが、
驚いたことにそのまま畑に出て大根やら小松菜を抜いてきたというのです。
弟は畑の脇で車から母を降ろして車を止めに行ったそうです。

畑で一仕事をしてから帰りがけ買ってきたお弁当で昼食を済ませ、荷物の準備にかかったとか・・・。
冷蔵庫の中身を全部持ってきていました。弟が発泡スチロールのケースを準備したようです。
お陰で我が家の冷蔵庫が満杯になってしまいました。

4時には着くようにすると弟が電話してきましたのに、4時に再度電話がありまだ母の家とのこと。
母の悪い癖で常に予定は未定、母を急かしたような言葉を言えばそこで嵐がやって来ます。

暗雲が立ちこめ先に進めなくなるのが常ですから誰もが何も言わないようになっています。
弟はこのようなことを想定してしていたからなのでしょうか、わたしの同行を却下していました。
「行けば疲れるだけだよ。迎えに行くだけなのだから良いよ」と言う弟に従いました。

母からは「あなたは来る気がないのね。来てくれれば楽なのに」と昨夜電話で嫌みを言われました。
なんと言って良いのか返事に窮しましたね。

母を迎えるにはお風呂も部屋も母好みにしておかないとご機嫌が悪くなりますから、
わたしの家ですることが沢山あるのです。
なんと言いましても数日泊まるだけなのに、トイレのタオルの掛け方から注意されます。
兄や弟が奥さんを母の所へ近づけない気持ちも理解出来ます。その分、弟や兄が頑張っているのですが。

胸水が貯まっている間も母はサワーを飲んでいたそうですから、我が家にはありませんので、
弟にサワーを買うように頼みましたが、車から降ろさず帰って行ってしまったのです。
仕方がないので、お酒の販売機を探したのですが見つからず、酒屋さんに走りました。

珍しく「美味しい、美味しい」と言いながら飲んでいましたね。
塩分やカリュームを控えなくてはいけないし、糖尿なのでカロリーも控えるようにしますと、
母が喜ぶようなお肴は難しいですね。困ってしまいました。

この頃の母の煮物は味が濃すぎて、わたしはあまり食べられないことがあります。
母は歳のせいで少し味覚音痴になっているのかもしれません。
弟は「このお正月が最後だと思うよ」と淡々と言いましたが、食欲もありますし、
ガッツもありますし、もう数年大丈夫のような気がしています。

我が儘な母親でも、やはり何時までもいて欲しいと思っています。
母親という存在は何なのでしょう・・・。
わたしの娘達は彼女たちの母親タルわたしをどう思っているのでしょうね・・・。
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焼夷弾で紅色に染まった空を思い出しました。

2009-12-28 20:26:00 | 日記
12月28日 月曜日 曇りのち晴れ

朝方雨が降ったようで、デッキが濡れていました。
予報通り早めに太陽が少し出てきましたので、暖かくなって来ました。
今日は1時から徒然草の講座があります。年の暮れに迫っての講座は少々迷惑な感じですが、
今年最後の講座ですし、先生にご挨拶もしないといけませんから出掛けていきました。

昨日淋しくなって、学生時代のあるじの写真を探そうとアルバムを眺めて居ましたら、
中世文学研究会の合宿の写真が貼ってありました。わたしが転科試験を受けて、国文科に移った年です。
妙高高原で合宿しました。宅急便が無い時代ですから、資料をザックに入れて背負って行きました。

「尊卑分脈」という大学の講座では見られないような文献も持って行き、毎日8時間勉強でした。
7泊8日だったと思います。初めて研究とはこういう事なのか・・・と知りましたね。
国文でも多少統計学的なことも研究途中ですることがあるのにも驚きました。

理科系のわたしでしたから、初めての体験を市ながら好奇心一杯、楽しかったです。
写真の先生がお若くてずっとスマートなのには驚きましたね。
当然ですがわたしも若かったです。(笑い)

古いアルバムから外して、先生にお見せしました。
カルチャーでの先生しか知らない友人お2人はびっくりされていましたね。
半世紀も前の写真でずっと昔のことを思い出し、先生もニコニコされていました。

習慣新潮に先生の名前が出ていると、元教え子から連絡があったと言うことで、
帰りがけ有隣堂へ御一緒して買って帰ってきました。
わたしは先生の事が書かれた原稿もですが、それ以上に表紙が気に入りました。
綺麗にカットして、額に入れてみようと思いました。魅力的な虎さんが描かれています。
一目で気に入りました。

虎ではありませんが先日、飾ってありました蛙の写真を撮してきていました。
呉服屋さんの展示棚の隅に座っていました。
わたしも同じような蛙を持っていますが、雰囲気が違うのです。
何が違うか、よく見てみましたら、飾られている蛙さんの目の位置が違っているのです。

   

面白いと思って、お店の方に押さえて頂き写真を撮らせて頂きました。
我が家にあるのは目が背中側にあります。その為に蛙を置く時、腹這い状態なのです。
店に飾ってありました蛙の目は、お腹側に目を付けているのです。それでお座りだったのですね。

 

蛙の型紙は背中側もお腹側も同じ物を使っていると思います。
絣の生地を使っているところが呉服屋さんですね。とっても可愛かったです。

カルチャーの帰り道、西の空が今までになく紅色になっていました。
写真を撮りたかったのですが、家の屋根しか写らないと思い諦めました。
気味の悪いほど紅色が綺麗で、ずっと昔見ました、焼夷弾で燃えさかる空の色を思い出しました。

何とも嫌な物を連想してしまった・・・とちょっと悔やみながら、
だんだん紅色が薄くなっていく西の空を見ながら歩いていました。
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反面教師の母親です。

2009-12-27 17:16:48 | 日記
12月27日 日曜日 晴れ

朝からお洗濯をしようと頑張りました。
シーツを洗うのはもう少し後、出来れば30日ぐらいが良いのですが、ひとまず洗濯しました。
2階に母が使うベットが1本と、隣の部屋にわたしとあるじのベットが2本並んでいます。

このベットの上にどうしても物を置いてしまい時々片づけないと手に負えなくなる、そんな感じです。
わたしのベットと2階の3本のベットのお布団を干して、真冬バージョンの寝具に変えるつもりです。
母の1本だけは完全に終了させましたが、後の2本は途中でギブアップしてしまいました。疲れました。

母のベットを作りながら、ずっと母が今どんな気持ちでいるのか、頭から離れませんでした。
胸水は心臓か腎臓か、どちらが原因なのでしょう・・・、医師は検査のデーターで解っているはずですが。
心臓に10㎝の動脈瘤があると判りながら、独りで別荘にするつもりで建てた家に住み続けています。

糖尿から来たのだと思うのですが、腎臓も良くないようです。
塩分、カリュウムの多い物を禁止されているのですが、「もう充分生きたから良いの」と言って無視。
医師も「それならそれでよいでしょう」と言われたとか・・・。ケアマネさんからお聞きしました。

そんなことを言っていても、今回のような症状になりますと母がどう思っているのか・・・。
母は不満だったようですが、今年の春から夏にかけて、弟に頼んで仏壇を1階に下ろして貰ったり、
1階のベットを使うように数種類の枕などをセットし、強引に移動して貰っていました。

「手すりに捕まっていくから大丈夫なのに」と言い続けていましたが、有無を言わさない状態で強行。
ただ、富士宮の家で独りで住むことを禁止することは出来ませんでした。
わたしが一人で母を看ることは不可能、我が儘過ぎる母の世話は兄弟の力を借りてもやっとです。

今も母は、一人で夕食時にサワーを飲んでいると言います。
胸水が貯まった身体でも、平常の生活を継続し無いと居られない、わたしが側に居たら勿論却下です。
そうされるのが嫌で、富士宮で独りで頑張っているのです。困った人です。

でも本心、今はとっても淋しいと思っているのではないのかしら・・・と気を揉むのですが、
わたしの心配はよそに、電話の声も大分元気になってきています。気丈ですね。
毎年、新年は大森の自宅で迎えています。箱根駅伝を応援するために帰ってくるのです。

テレビを見ながら、鈴ヶ森まで選手が来ていると報道されますとエレベーターで下りていきます。
旗を戴いて、声を出して応援したり手を叩いて応援したり、とっても気が若いのです。
今年はどうなりますか・・・。もしこちらへ来る許可が出なかったら、私たちが富士宮でお正月です。

ただ、母の今の状態で私たちが逗留しますと、母の我が儘気質がその継続を主張すると思います。
それは無理なのです。母が大森なりわたしの家にやって来ての同居ならともかく・・・です。
私たち兄弟は育ったところでは無いのですから、友人もいませんし富士宮で住むのは厳しいですね。

この数日、富士宮の母の事を想いますと熟睡出来ません。電話の子機を側に置いて寝ています。
母の生き方を反面教師にして、わたしは娘達に此処まで心配をかけないようにしたいですね。
本当に辛いですね。母の気持ちを理解出来ないでいます。
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幼馴染みとのふれ合いに感謝。

2009-12-26 18:21:08 | 日記
12月26日 土曜日 曇りのち晴れ

朝の内は曇っていましたが、予報通り晴れて良いお天気になりました。
12月の始めの頃、友人が「26日(土)に行くわね」と言っていましたが、その後連絡全くなし。
きっと忘れてしまったと思って、下駄箱の整理をしていました。

あるじの靴がまだ沢山並んでいます。捨てようか・・・と思いながらやはり捨てられませんでした。
下駄箱の一番上に乗せました。あるじのスペースをわたしが使いたいと思いました。
ゴルフシューズやダンスシューズが数足あり、それらも捨てきれず並べて置くことにしました。

わたしの派手になった草履や下駄も整理して、使いやすいように配置換えもしました。
整理整頓が出来たのは良いのですが、捨てきれない靴もありますので、驚くほど数がありました。
草履と靴と両方とはいえ、かなり大きな下駄箱を一人で占領して一杯になるとは・・・。

「朝飯前の一仕事」が長引いて、朝食は11時過ぎてしまっていました。
庭のお水まきもしましたし、段ボールなどの紙ゴミも片づけたりしましたから遅くなっていました。
朝食の後かたづけをして、年賀状を書いていましたら電話が鳴りました。

連絡の無かった友人がわたしの家の方に向かって歩いているというのです。
彼女は何度やって来ても迷子になる人です。わたし以上に方向音痴です。
小学生の頃からの友人ですから、この家を建てた頃(38年前)からやって来ていますのに・・・。
数回続けて来ていれば覚えるとか、今までストレートに来られたことがない・・・。(笑い)

新興住宅地で迷子になって電話で居場所を知らせても、わたしが場所を察知出来ま無いのです。
携帯が無い頃などは住宅地の中に公衆電話もないし・・・。

少し家で待ちましたが、気になってきましたので外に出てみました。
わたしが角まで行った時彼女が前方を通り過ぎて行く姿を見ましたので、声をかけました。危う所でした。
良く此処まで迷わずに来られたと、彼女自身が自分を褒め、感心していましたので、思わず大笑い。

「お茶は何が良い?」と聞きましたら「いらない」と言うので、まずはリンゴで一息。
でも彼女の前が「リンゴ」では落ち着かないのです。彼女はあるじの良いのみ仲間でしたから・・・。
お酒の肴を用意していませんでしたが、不思議に何かかにかあるものなのです。
あり合わせの摘みを並べ、エイヒレを焼いたり・・・。
彼女が笑いながら「いつでも居酒屋が出来るわね」ですって。わたしは飲まないのにね・・・。

以前あるじが彼女に「今度二人だけで飲もうよ」とか言ったりしていましたね。
「わたしは酒の肴は作れないわよ」と言う彼女の言葉で「仕方がない。3人で飲むか」ですって。
その時も大笑いしましたね。本当にふざけたあるじでした・・・。

そんな思い出話に今日も華が咲きました。良い一時でした。
彼女からのあるじへのプレゼントはピンク色の百合の花束でした。とっても良い香りです。
年末で仕事を辞めるとかで、来年、彼女もリコーダーにチャレンジするそうです。

ジョイント演奏が出来れば最高です。頑張って欲しいですね。
京都に行く時も、日時を決めただけで1ヶ月以上も連絡無し、打ち合わせ無しで東京駅から新幹線に。
わたしは新横浜から乗車。それも自由席なのです。

そのまま京都で2泊3日、のんびり気儘な時間を楽しみました。良い友人です。
彼女とこれからも静かな繋がりを大切にしたいと思っています。わたしは幸せ者です。
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枯れ葉などのゴミ袋がなんと11個でした。

2009-12-25 21:09:59 | 日記
21年12月25日 金曜日 晴れ

起きて直ぐに昨日庭仕事をして良かったと思いました。今朝の方が太陽の陽ざしが弱かったのです。
道路の落ち葉を掃く時も葉が舞い上がって、少々掃きにくかったです。
今日はゴミの収集日でした。

昨日のゴミは孫達がガレージに運んでくれていました。袋の数の多さに驚きましたね。
大きな袋にして8つ、小さな袋が3つありました。
よくぞこんなにゴミを大切に(笑い)取って置いたもの・・・と恥ずかしいですね。

子供のことですから積み上げずに平面に置いていますから、車の出し入れもちょっと大変な感じでした。
1度に出すのは申し訳ないとは思ったのですが、28日が最終のゴミ収集日と聞いていましたので、
本当に申し訳ない気持ちでしたが、全部出させて頂きました。

今日は日本橋まで出掛けることにしていました。久しぶりに呉服屋さんに行くことにしていました。
あるじが初対面で好きになった呉服屋さんのお店の方から電話があったのです。
わたしの様子を気にして下さって、出てこない?と言うお誘いでした。

丁度、30代後半の頃に母が作ってくれた大島の縫い直しを頼みたいと思っていました。
裾回しがもうわたしには派手すぎて、着られなくなっていました。
縫い直しをして、裾回しを変えればまだわたしでも着られると思っていましたが、
その費用も勿体ないと思っていました。

娘達が着てくれればそれでよいと思っていたのです。
でも娘達はわたしほど日常的に着物を着無いと言い、縫い直しをするように言われていました。
もともとわたしが大好きな色と柄いきでしたから、それはそれで嬉しいことです。

お店はいつもよりお客が少なかったので、ゆっくり裾回しを選んだり小物をみていました。
気に入ったバックがありましたので買って来ました。久しぶりなのでちょっと嬉しいです。
ガーゼの寝間着も買って来ました。これもこの所不自由をしていましたのでホッとしました。

母のケアマネさんから連絡が入り、29日の病院へ行くこと、その時家族が立ち会って欲しいとの事。
こちらに帰ってこられるのか、まだ未定ですし、今までのような生活が出来るのかそれも不明です。
元気に我が儘を言っていました母は、これからどうするのか・・・。

本当は母の所へ行った方が気持ち的には楽なのですが、そのままわたしは居続けることになります。
それには弟も妹も反対しています。わたし一人では母を看ることは不可能だからです。
勝手な行動をわたしがして仕舞って、あげくわたしが音を上げてしまう事は明々白々。

離れたところで母を気遣うだけで、何もしてあげられないのは本当に辛いですね。
明日は妹が様子を見に行ってくれることになっていますが・・・。
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あるじがいてくれればどんなに心強いか・・・。

2009-12-24 22:30:08 | 日記
12月24日 木曜日 快晴

今日も良いお天気でした。それに風もなく暖かい一日でした。
庭仕事をする予定にしていました。
ティッシュペーパーと電話の子機などを庭のテーブルの上に置き、携帯ラジオも持ち出しました。

ビニール袋やハサミやら、庭仕事に必要な物をテーブルに置き9時には庭に出て仕事開始。
まずは片づけをしようと思い、整理をしていましたら次女がやって来てくれました。
孫2人とワンちゃん1匹も一緒にやって来てくれたのです。

10時頃からわたしは剪定と草取り片づけに専念することが出来たのです。
次女達が剪定した枝などをゴミ袋に片づけてくれたのです。
娘達家族と一緒にする庭仕事は楽しかったですね。笑い声が絶えませんでした。

ワンちゃんは初めてわたしの家の庭で遊ぶのですから、興奮状態でした。
ミミズを探して食べようとしたと言って孫娘がキャーキャー大騒ぎをしたり・・・。
人の声があるというのは良い物ですね。特に孫達の声を聞きながら仕事が出来るとは楽しかったです。

次女曰く、「お母さんへのクリスマスプレゼント」だそうです。
このようなプレゼントが一番良いと言って、娘達を育ててきましたその成果でしょうか・・・。
今までこんなプレゼントは無かったので次女の気まぐれなのかもしれませんが。

1時に近所の美容にカットの予約をしていましたので、12時半には仕事を中断し美容院でカット。
その後、孫達と一緒に食事をしに行ってきました。先日長女家族と一緒に行った店です。
長女の孫もでしたが、次女の孫達もびっくりするほどよく食べます。大きくなりました。

孫息子にあるじが中国の山に行くために買いそろえましたズボンをプレゼントしました。
丁度良いのです。あっという間に小さくなってしまうのでしょうが少しでもはいて貰いたい・・・。
今日のわたしの庭仕事の衣類も、あるじのウインドブレーカーでした。

わたしはアウトドアー用の衣類は持っていませんから、わたしが着られれば着ています。
赤い帽子を被って、あるじが嬉しそうに着ていた時の顔が目に浮かびます。

あまり大きくしたくない所など、今日は思いきってバサバサ切りました。
あるじがいましたら、大騒ぎになっていたでしょうね・・・。間違いなく怒られましたね。
そんなことを次女と話しながら、楽しく植木の散髪屋さんをしていました。平和でした。幸せでした。

でも庭仕事中に母の体調が悪いと電話が入りました。
今朝わたしのおはようコールの時は割に元気だったのですから、驚きました。
ケヤマネさんから連絡が有り、母の肺に水がたまっているのだそうです。

入院した方が良いと言いながら、病院の空きベットがないそうなのです。
大森の家に帰るとしたら、救急車で・・・と言われたようです。
明日、ケアの方から看護士さんが行って下さり、ドクターとの連絡を取り今後の事を決めることに。

近くにいてくれれば本当に良かったのですが、やはり遠すぎますね。
昼間の幸せ感があっという間に消えてしまいました。93歳でひとりぐらしですから心配です。
こんな時、あるじがいてくれたらどんなにか心強いでしょうに・・・。本当につくづくそう思いました。
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そろそろ「お掃除の虫」の捜索願いを出さないと大変かも。

2009-12-23 18:09:31 | 日記
12月23日 水曜日 快晴

今日も快晴でした。こんなに毎日快晴続き、ひょっとして年末ギリギリの所で雨降りになるのかしら?
年末のお天気が気になってきています。
早い内に、母が使うベットの準備だけはしておかないと・・・、とちょっと焦ってきています。

朝からほのぼの編集会でした。
原稿のチェックは何度読んでも出て来るものなのですね。今日もその作業で追われました。
遅れて届いた原稿もありましたので、それらの入力とテェック、割り付けなど全て終了出来ました。

春、ほのぼの編集員で一番若くて、パソコンに精通していましたメンバーが急逝されてから、
何となく画像処理は私の仕事になっています。
3ヶ月に1度のパソコンワークですから、忘れてしまいその都度四苦八苦しています。
呆け防止になるかと思いながらも、何時も何時も出来なくなって迷う自分が嫌ですね。情け無いですね。

そう言う意味では、お料理などは好きですね。なんと言っても、全て自分の好みで良いのですから。
甘い方が良ければお砂糖を多くすれば良し、薄味が良ければそのように調味料を使えば良いのです。
材料もこれでなくてはいけないと言うことは殆どありません。あり合わせの物で充分楽しめます。

今日も白菜と大根を戴きました。
大根の皮をピラーで剥き、又甘酢に漬けて置こうと思っています。泥付きニンジンもありますから。
ピラーで剥いた残りの大根を茹でてふろふき大根を作ってみます。
夏に作っておきました大葉味噌で戴きますと、これがとっても美味しいのです。

ほのぼの編集のメンバーは忙しい方達ばかりですから、今まで忘年会も新年会も全くしていません。
今日初めて忘年会をしました。お昼に中華料理を戴いてきました。

40号のほのぼの編集の途中でタクシーで出掛け、食事後又メンバー全員、我が家に戻って編集作業。
わたしも紹興酒をちょっと戴いたのが失敗、ほろ酔い加減になり仕事はもう出来ませんでしたね。
でもメンバーが頑張って下さり、無事40号の編集は完了しました。(笑い)

残った仕事は私が印刷用の原稿を打ち出すだけです。
ただカラー印刷しています表紙部分を、私のパソコンでプリントアウトする仕事があります。
発行部数は、約650部ですから時間と労力が必要です。まぁ、新年の仕事にします。

明日が暖かいと予報で言っていますから、庭の落ち葉をまとめたり剪定をしようと思っています。
少しはお掃除をしないといけないのでしょうね。ガラスも汚れています。
わたしに巣くっていましたお掃除の虫が何処かへ行ってしまったかのようです。

そろそろ「お掃除の虫」の捜索を頼まないといけないのかもしれませんね。(大笑い)
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わたしと富士山。

2009-12-22 19:22:23 | 日記
12月22日 火曜日 晴れ

今日も良いお天気でした。
久しぶりに早く目覚めました。日の出までまだまだ時間がありそうです。
突き刺すような冷たい空気を久しぶりに体感、寒いと言うより爽やかに感じました。

午前中は一瓶窯へ伺う事になっています。今年の仕事は今日が最終日になる予定です。
帳簿をチェックしてから、振り込みやお支払いをしに外へ出ました。
紅色のサザンカが川沿いの道に咲いていましたので、携帯カメラで撮してみました。
見えにくいのですが、下の写真の手前右側、丸く剪定されたのがそれです。



川治の道のサザンカの写真を撮ってから、改めてこの川の名前が書いてあることを発見。
「平戸永谷川」と言う名とは知りませんでした。この川がどう流れているのか知りたくなりました。
川沿いをずっと歩いてみるのも面白いかも・・・。

橋の名前

この橋の上から微かに富士山が見えたのですが、写真上では確認出来ませんね。
富士山の形で、どの方向からの富士山か、多少分かるつもりです。
子供時、富士宮からしか富士山を見ていませんでしたので、
横山大観の富士山の絵を見て、この富士山は富士山ではない、インチキと思いましたね。(笑い)

 川

母の案内であちこち運転させられ、結果、時々迷子にさせられます。
自信たっぷりでした母が、「変ね、変ね」が出て来ると、運転手としてはいつも不安になります。
今はナビを付けましたが、ずっと以前はナビはありませんでしたし・・・。

そんな時は富士山の形がナビの代わりをしてくれるのです。
「大澤崩れ」やとか富士山の頂上の形で判断します。
最悪なのは富士山の姿が見え無い時です。
どこをどう走っているのか全く分からないのに、燃料が少なくなった時など心細かったですね。

富士山は子供の頃から見ています。どんな状態の富士山の姿でもホッとさせられます。大好きな山です。
わたしには、懐かしい想い出が一杯詰まっています。
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忘れるのも歳?気力が無いのも歳?

2009-12-21 17:32:22 | 日記
12月21日 月曜日 晴れ

快晴。相変わらず冷たい一日でした。
予報では今日の方が寒いと言っていましたが、わたしは昨日の方が冷たかったような気がします。
今日は車で外に出掛けたからでしょうか・・・。

本当は今日の午前中は、暮れの準備の大仕事、庭の片づけと落ち葉をまとめる予定にしていました。
ところが、19日ポストに引き落としが出来なかったと言う葉書が入っていました。
そんなはず無いのに・・・。そう思いながら通帳を見てびっくり殆どお金が入っていなかったのです。

11月に大きな支払いの間に合わせに、手近な所から下ろしたまま、入金を忘れていました。
支払いをするためにわざわざ車で出掛けたのですが、途中2カ所で道路工事があり大渋滞でした。
年の暮れだから仕方がないと我慢我慢と思いながら、やっと車を駅ビルに入れ、銀行へ。

ATMの前には、長い列が出来ていました。其処でも我慢我慢。
やっとわたしの番になった時に初めて気がつきました。口座番号が書かれた用紙がないのです。
机の上に忘れてきてしまったのです。

自分の間抜けさに腹がたちましたね。本当になんと言って良いのか解らない感情でした。
駐車場に入れるのも大変でしたし・・・。
また出直して来るだけの気力も無くなってしまいただ途方に暮れるだけ。どうしよう・・・。

ともかく帰宅するしかないと思いつき駐車場へ。たった15分止めただけで1時間単位の料金体制とは。
そう言えば来る時信号にもついていなかった・・・、などと頭の中では悔やむことばかりでした。
みんなわたし自身のミスなのに、道路工事や信号にも腹を立てていました。駄目ですね。反省です。(笑い)

迷いましたがやはり支払いをしませんと落ち着きませんから、再度出直しました。
気分も変わると思い、東戸塚へ行ってみる事にしました。
東戸塚は、歩きでも車でも殆ど行ったことが無い場所です。
環状2号線を横切る時、富士山がとても大きく綺麗に見えました。何故かホッとしました。

運転しながらキョロキョロして、あの赤い文字の書かれた三菱UFJを見つけました。
でも駐車場は?と思いながらゆっくり走っていましたら、後続の車からサインが出て仕方なく前進。
一回りして同じ道に戻ってきました。丁度銀行の少し手前で工事をしていた事もあって入れず再度通過。

3回目の正直、今度は駐車場に入庫出来、支払機でしっかり送金完了。
この送金のためになんと2時間以上のロスをしてしまいましたが、
1度も来たことがない東戸塚の駅周辺に、怖々でも車で来られた事で帳消しにしないと・・・。


午後3時から近所の小学校へヨガをしに行ってきました。
いつもの公園は遊んでいる子供もいなくて、初冬の静かな景色でした。
自転車に乗って通過する方が居られました。先日まで絨毯のような落ち葉はもうありませんでした。

   

公園の入り口近くの塀沿いに、紅色の2本のサザンカが満開でした。
このサザンカが通りから見えましたので、公園の中まで入ってきてしまいました。

 サザンカ

今日が21日、今年も後10日しか無いのですが、どうしてでしょうか、
年末という気持ちに、あまりなれないのです。
以前は家中の天井から壁から、全部お掃除をしなくては気が済まなかったのです。

障子を張り替えたり照明器具のお掃除をしたりしたものです。
一人で住んでいるからでしょうか、どうでも良くなってしまっているのでしょうか・・・。
暮れのお料理も今までのように沢山用意する必要も無くなっているようですし・・・。

あるじの「そんなに頑張って掃除しなくてもお正月は来るんだよ」の言葉を思い出します。
晴れ着を着て、新年のご挨拶にでかける間際に車のお掃除をするあるじ、
そんなあるじの言葉に従うことは、当時のわたしには出来ませんでしたね。
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ハーブティーとあるじ

2009-12-20 21:10:10 | 洋裁(リホーム・小物作り・その他)
12月20日 日曜日 快晴

今日も快晴、良いお天気でした。でも風は冷たく寒かったです。
もっともわたしは殆ど家から出ませんでしたから、それ程寒さは感じませんでしたが。
外へ出たのは、お洗濯を干したり仕舞ったり、外の道路を掃いたりした時ぐらいです。

一日中、家の中を片づけたり洋裁をして楽しんでいました。
先日から煮ていましたおでんもありますから、食事の仕度もせず、ひたすら楽しみました。

洋裁をなさる友人が訪ねて来て下さいました。
わたしのように中学時代の家庭科だけでは本当に力不足、洋裁を習得なさった友人から、
技術も智恵もアイディアも伝授して頂かないと動きが取れません。

今日も友人の力を戴いて、部屋着に挑戦していました。
30年ぐらい前から押し入れの中にしまい込んでありました古いコート地です。
ダブル幅で3.5メートルもありました。

部屋着の長いスカートと作務衣から袖を取った形のベストを作っています。
部屋着の上下を作った残り布で、普通の長さのスカートとベストを作るつもりです。
スカートは完成してもう着ています。毛布を巻いているような、そんな感じがするほど暖かいのです。

物を作り上げる事の楽しさは、それを経験していない人には分からないでしょうね。
お料理も洋裁もわたしは好きです。作ることが好きなのです。
流行と言って、誰も彼もが同じような洋服を着ているのはつまらないとも思うのです。

お料理もそうです。この材料でこうすると良いと言うことは有ると思いますが、
こうしなければいけないと言うことは無いと思うのです。
作る過程にも材料にも自由がある事が好きです。実験感覚で挑戦するのが好きですね。

一人でお茶をする時もいろいろブレンドをしたりします。実験感覚です。
甜茶とかドクダミとか、プーアル茶など、いろいろ戴き物があります。
それらを麦茶とかコーン茶などの香りのあるお茶とミックスして飲んだりします。

時々配合の具合で、とっても飲めないようなお茶になってしまうことがありますね。(笑い)
でもそれはそれも良しと思いますので、懲りずにまた挑戦したりします。
あるじはわたしのブレンド健康茶の試飲だけは何時も拒否していましたね。(笑い)

麦茶もドクダミも好きでは無い人でしたから、これは仕方がありません。
彼は緑茶かコーヒーが好きでしたね。ノーマルなお茶が好きだったようです。
庭からハーブを採ってきて入れた、フレッシュなハーブティーなども飲みませんでしたね。

ある時、「パンの会」の試食の際、わたしが作ったハーブティーで生徒さんとお茶をしたそうです。
その時「美味しい」と生徒さんが言って下さったとか、その時はあるじも美味しかったそうですが、
我が家でも同じハーブティーのはずなのですが、「まぁまぁだな」と厳しい言葉、何でしょうね。(笑い)

今日もハーブティーを飲みながら、そんなあるじのことを思い出していました。
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ケアプラザの人たちがとても喜んで下さいました。

2009-12-19 21:32:13 | 日記
12月19日 土曜日 晴れ

お天気が良くお日様も出ていましたのに、風が冷たくとても寒い日でした。
ケアプラザでリコーダーとオカリナ演奏をしに行くことになっていました。

権太坂から第一京浜を左折して環状2号線に乗りました。
境木の交差点の所から雪で覆われた真っ白の富士山がとても綺麗に見えました。

写真に撮りたかったのですが運転をしていましたし、それにそこで左折しなくてはいけません。
写真を撮るどころではありませんでした。残念でした・・・。
昨日綿密に地図をネットで見て来ましたがやはり不安でした。でも無事に到着出来ました。

玄関を入った所だけ写真しか残っていません。
わたしのミスでクリスマスツリーなどの写真を削除してしまったのです。
これも残念な事でした。今日は写真に関してはついていない日のようでしたね。



玄関に入ったところにラックが置いてあり、デイケアにやって来た方の荷物などが置いてあります。
履き物もこのようなラックに収めてありました。

ケアプラザでの演奏はとても喜んで下さいました。
ケアのイベント責任者の方が、駄洒落が次から次へと出てきて、私たちが楽しませて頂きました。
聞いて下さったケアの方々も楽しんで下さったようです。嬉しかったです。

ケアプラザの方から違うケアプラザへの言って欲しいと言われ、1月26日に伺う事にしました。
リコーダーで難しい曲の練習もさることながら、ボランティア演奏に良い曲を練習するのも良いです。
演奏する者も楽しみ、聞く人も楽しめる、そんな曲を選び演奏するのが最高かもしれません。

帰宅途中、真っ青な空に綿あめのようなフワフワした白い雲が綺麗でした。
運転しながらはやっぱり写真を撮すのは無理でしたね。
それで家に帰ってきて2階に上がって雲の写真を撮してみました。

 

途中で見た雲の方がもっと夢がありました。
大分太陽が傾いて来ていますから、雲にさす光の状態も違います。

夕方長女家族がやって来ると携帯メールが来ました。
おでんが出来ていますから、それでも良いのです今月以内使用可という食券がありましたので、
それを使って食事をしてきました。お肉が好きな孫息子に会わせましたからわたしには重かったです。

でもこんな時にしかこのようなお店に入りませんし、当然口にすることもありません。
何時もさっぱりと菜食ばかりで毎日を過ごしてしまいます。
4年生と6年生ですから、わたしがびっくりするほど食べましたね。
大きくなったのです。これからもどんどん大きくなりますね。
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自動パン焼き器の孫達のパンは美味しかったです。

2009-12-18 22:04:02 | 日記
21年12月18日 金曜日 晴れ

とっても冷たい一日でした。冷たい風が吹いて、本当に冷たい一日でした。
お洗濯を2階に干す時久しぶりに手が悴みました。
快晴の真っ青な空にお日様が出ているのです。それなのにとっても寒かったです。

昨日母の所からの帰宅も遅くなりましたし、疲れて片づけをしないで寝てしまいました。
朝起きてからどこから手を出したらよいか・・・、そんな感じでしたね。
玄関には母の畑からおろ抜いてきました、小松菜や大根が並べてありますし、
土地の人たちの「農民市場」から、わたしもお野菜を買ってきていました。

そんな状態の我が家に、次女の子供達2人とワンちゃん1匹が朝からやって来ました。
次女が一日留守をするのだそうです。
彼らの試験が終わったら、数ヶ月前に買いましたパン焼き器でパンを焼く約束をしていました。

わたしが一人でパンを焼いてもつまらないので、まだ使っていません。初使いです。
わたしも説明書は一通り読んで、材料の準備はしてあります。
彼らに、「読みながら使ってご覧なさい」とわたしは台所でおでんの準備をしていました。

説明書を理解出来るようにきちんと読むのも勉強です。
「バターが15㌘だって、どの位かな・・・」と中3の孫娘が言いました。
確かに量の検討が着かなくて当たり前、わたしがバターをおおよそで切り分けましたら、
なんと15㌘ピッタリだったようです。
彼らがわたしを褒めてくれましたね。「凄い凄い」と言っていました。

20年間、夫の手作りパンとケーキの店を手伝っていたのですからある程度、当然なのですが、
それでも孫達に褒められて嬉しかったですね。
次に1キロの粉袋から、450㌘をはかる時、スプーンで少しずつボールに取っていました。

そこでまた、この「おばあちゃん」としてのアドバイスです。
1キロの半分弱と思えば、先ずざっと半分弱を入れて、それから少しずつスプーンで入れるのが良いと。
計量をして準備完了。スイッチを入れてひたすら3時間半待てば良いのです。

機械がどの状態か、パンの生地がどうなっているかが、気になるのでしょう。
孫達は機械から離れませんでしたね。とっても楽しみにしなが待っていました。
彼らに全てを任せて良かったと思いました。

次女が5時過ぎに帰宅予定と電話がありました。丁度、パンが焼き上がる時間でした。
待ちかまえていた彼らは直ぐ食べたくて、元プロのわたしがパンきり包丁で4つに切り分けました。
焼きたてののパンはまわりはカリカリして、とても香ばしく美味しく焼けていました。

アツアツのパンにバターをのせて孫達は大喜びでした。
今度、長女の孫達にも作らせてあげたいと思いますね。
彼らの方がもっと喜ぶでしょう。彼らの方が多分食いしん坊ですから。
作ってあげるより、自分たちで作ったパンの味の方がずっと美味しいでしょうから。

パンを食べ終わってから、まだ未完成のおでんで軽く夕食をして帰って行きました。
楽しい一日でした。残念なのは、焼きたてパンの写真を撮れなかったことですね。
熱いパンを食べたくてそれどころでは無かったのです。(笑い)

あるじがいましたらどんな顔をしたでしょうね・・・。
きっと、得意げに能書きを言いながら一緒に楽しんだのでしょうね・・・。
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美しい富士山の姿に魅了されました。

2009-12-17 22:00:49 | 日記
12月17日 木曜日 快晴

良いお天気でした。
介護認定の更新のため、市の方が御出になると言いますので弟と母の家に行ってきました。
寒いという予報を聞いていましたので、こんなに良いお天気になるとは知りませんでした。

素晴らしかったです。
先ず東名を走っていた時、大井松田の手前で富士山が綺麗でした。朝日が昇り始めるところです。
写真には見えませんが淡いあかね色の光が、雲や山の端をうっすら染めていて素晴らしかったです。
まもなく大きくて真っ赤な太陽が昇ってきました。感激でした。

 

母の認定の面接を無事終えてから、父のお墓参りに向かいました。
わたしのあるじも3年前にこの霊園に埋葬しましたので、良く一人でお参りにきたものです。
人気のない霊園でたった一人でお参りする時の寂しさ、
それ以上に、お参りをして帰る時には後ろ髪をひかれる思いで辛かったですね。

娘達の婿殿の意見もあり、この霊園をお返しして今は横浜霊園の霊廟にお預かりして頂いてます。
来年、お花が綺麗な時期に改葬をすることになっています。ホッとしています。

   お墓から

このお墓からの富士山がとても素敵なので、富士山が大好きでした父が自分のお墓と決めていました。
誘われて我が家も妹の家も一緒に買っていました。あるじは山が好きでしたから良かったのでしょうね。
ただこのお墓へはバスもありませんから、困るのではと言うのが婿殿の意見だったのです。確かです。

お墓からの帰り道、富士山の裾野までしっかり写せるところがありましたので、車を止めて貰いました。
真っ青な空に雲がポカリポカリと浮いていて素晴らしい富士山でした。久しぶりに見ました。

 お墓からの帰り道

昼食は、父の好きな五平餅とラーメンを頂きました。クルミみそ味で美味しかったです。
霊園の近くにあります小さな食堂の、手作りの五平餅とラーメンが好きでした。

お店のご主人も奥様も父と親しく、家にも遊びに御出になったことがあったようです。

 五平餅の店近辺

母の畑でカボスや小松菜などを採ってきました。母も陣頭指揮にたって頑張っていました。
弟は畑のまわりの草が生えないような工夫をしながら、何か蒔いていましたね。
太陽の光を受けて、下草が黄金色になっていました。午後3時頃の富士山です。
この写真の左側の影を作っている向こうに母の家が建っています。

 母の畑から

畑仕事の途中で、総監督の母が「もうじき赤富士になるかもしれない」と声をかけてきました。
こ充分わたしには赤富士でした。雲が多すぎるのが気に入りませんが仕方ないです。
雲のシルエットが、富士山に影を作って居るのも良いと思いましたし、
富士山の下の方は、すでに日が傾き陽の光が当たっていません。
多分、真っ赤な赤富士にはならないでしょう。

 母の畑から赤富士

わたしの予想通り、赤富士はこの写真の頃がピークでした。
直ぐにグレーの富士山になってしまいました。それからあっという間に薄暗くなって来ました。

お墓参りをしてから、母と並んだ写真を弟に撮って貰いました。
いつまでこうして歩いてこられのか、本当にもう分かりません。
わたしの右腕に母の左手を絡ませて、右手には杖を持ちやっとの思いで歩いています。

我が儘な母ですがやっぱり何時までも元気でいて欲しいと思いますね。
妹も弟も母は100歳まで大丈夫と言いますが・・・・。
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