今カミュの『ペスト』を読んでいるため、
更新が遅れそうなのでちょっと場つなぎを。
子どものころコバルト文庫といえば、新井素子や氷室冴子だった。
中学生になるとみんな読み出したが、私が読んでいたのは小学生の時。
それは非常に“NOW”であり、「わたしって、オトナじゃ~ん」という気分をもたらしてくれたのだった。
ただ、本屋に行くと、いつも気になることがあった。
コバルトのコーナーに、一人の男性作家の本が、まるで本棚を占領するかのごとく、
ものすごい数並んでいるのだ。
しかもタイトルがやたらロマンチックなのに、作家の名前はおじさんっぽい。
これはいったい何の本なのか?
詩集か?
売れているのか?
そもそも男の人に、愛だの恋だのわかるものか!
そんな疑惑を持つと同時に、なぜか、
「これは高校生くらいのおねえさんが読む本だから、小学生が手にとってはいけない」と思っていた。
“むずかしい”本なのだろうと感じたのだ。だから理解できないのだろうと。
加えてなぜかうちの親は、マイバースディとか女の子向けのお姉さん本には厳しく
(『まことちゃん』とか読ませていたくせに)、
怒られる恐怖を感じて手に取ることはなかった。
さて中学生になると、コバルトではオトナな自分を誇示しきれず、
阿部公房やランボー、心理学の本などを読み、かっこつけだした。
ただコバルトのコーナーはのぞいていた。
それは「私の性体験」みたいなシリーズがあったから。
買う勇気はないので、本屋で誰もいないのをみはからい、コソコソ立ち読みしていた。
しかしあいかわらず、「謎の男性作家」の本は並んでいる。
わけのわからなさに、時にはなぜか怒りすら感じた(ひどい)。
そのころになると、古本、中古レコード屋まわりをはじめていたので、
ちょっとは度胸がついていた。
そして、なぜか「私の性体験」よりも敷居が高かったそれらのなかの一冊に手を伸ばした。
…
「ああーー!!!こういうことだったのか!!!」
中をぱらぱらめくり、私は納得した。
確かキス以上のことはしていたと思う。
私の好奇心はめちゃくちゃ刺激されたが、買うにはいたらなかった。
1冊に一箇所、胸を触るくらいの描写では満足いかなかったのだ。
そして父親が買ってくる「日刊ゲンダイ」のあのマンガや、
「あたし、○○なんですぅ」てな文体の、あの作家の小説をコソコソ読む少女になったとさ。
(ポストも買っていたから『女人追憶』も読んでいたかもしれない)
「謎の男性作家」の名前も、そんなことも忘れていたが、
それから20年以上も経って思わぬ再会をしたというわけだ。
今コバルトのコーナーに行くと、作家もすっかり様変わりし、奇妙な気持ちになる。
私の中ではあのまんまなのに…なんでどこにも売っていないんだろう…。
あんなに売ってたじゃないか…。
当然だ。それだけ時は過ぎているのだ。
「もう中学生じゃないのよ」って自分に言い聞かせてみた。
おわり
更新が遅れそうなのでちょっと場つなぎを。
子どものころコバルト文庫といえば、新井素子や氷室冴子だった。
中学生になるとみんな読み出したが、私が読んでいたのは小学生の時。
それは非常に“NOW”であり、「わたしって、オトナじゃ~ん」という気分をもたらしてくれたのだった。
ただ、本屋に行くと、いつも気になることがあった。
コバルトのコーナーに、一人の男性作家の本が、まるで本棚を占領するかのごとく、
ものすごい数並んでいるのだ。
しかもタイトルがやたらロマンチックなのに、作家の名前はおじさんっぽい。
これはいったい何の本なのか?
詩集か?
売れているのか?
そもそも男の人に、愛だの恋だのわかるものか!
そんな疑惑を持つと同時に、なぜか、
「これは高校生くらいのおねえさんが読む本だから、小学生が手にとってはいけない」と思っていた。
“むずかしい”本なのだろうと感じたのだ。だから理解できないのだろうと。
加えてなぜかうちの親は、マイバースディとか女の子向けのお姉さん本には厳しく
(『まことちゃん』とか読ませていたくせに)、
怒られる恐怖を感じて手に取ることはなかった。
さて中学生になると、コバルトではオトナな自分を誇示しきれず、
阿部公房やランボー、心理学の本などを読み、かっこつけだした。
ただコバルトのコーナーはのぞいていた。
それは「私の性体験」みたいなシリーズがあったから。
買う勇気はないので、本屋で誰もいないのをみはからい、コソコソ立ち読みしていた。
しかしあいかわらず、「謎の男性作家」の本は並んでいる。
わけのわからなさに、時にはなぜか怒りすら感じた(ひどい)。
そのころになると、古本、中古レコード屋まわりをはじめていたので、
ちょっとは度胸がついていた。
そして、なぜか「私の性体験」よりも敷居が高かったそれらのなかの一冊に手を伸ばした。
…
「ああーー!!!こういうことだったのか!!!」
中をぱらぱらめくり、私は納得した。
確かキス以上のことはしていたと思う。
私の好奇心はめちゃくちゃ刺激されたが、買うにはいたらなかった。
1冊に一箇所、胸を触るくらいの描写では満足いかなかったのだ。
そして父親が買ってくる「日刊ゲンダイ」のあのマンガや、
「あたし、○○なんですぅ」てな文体の、あの作家の小説をコソコソ読む少女になったとさ。
(ポストも買っていたから『女人追憶』も読んでいたかもしれない)
「謎の男性作家」の名前も、そんなことも忘れていたが、
それから20年以上も経って思わぬ再会をしたというわけだ。
今コバルトのコーナーに行くと、作家もすっかり様変わりし、奇妙な気持ちになる。
私の中ではあのまんまなのに…なんでどこにも売っていないんだろう…。
あんなに売ってたじゃないか…。
当然だ。それだけ時は過ぎているのだ。
「もう中学生じゃないのよ」って自分に言い聞かせてみた。
おわり
これは、赤松光夫先生編のヤングラブノートシリーズでは…!?
赤松光夫のコメントが印象的で、大好きです。
今読んでも感動します。
「ひげの男にスポイトで…」というのがわすれられません。大人顔負けの乱交で、確か仲間が中絶してやめるんでしたよね。こわかったー。本棚のかげに隠れて読んでました。
あーこれはたぶん赤松先生ではないと思います。
他にも何人かの方が編者となって出ているんですよね。なぜか私は当時から赤松一筋でした。
ところでついでにここで…
夫がアニメ好きで、私が本を読んでいるはたで
見ているので音だけ聞こえるんですが、「おさな妻」といせりふがあったんです。
茂吉か健夫か…後者なら脚本を書いた人が、原作を読んでいてくれたならなあと思いました。
単に、もはや中・高校生妻という意味で名詞化しているのかもしれませんが。
埋もれて欲しくないなあ…特に、『生命の山河』や『心に王冠を』のような作品は…
スポイトひげ男は違うのですか!まあ、これが意味するところは伏せておきましょう(笑)
私は「おさな妻」って言葉があるもんだと思っていました。20くらいのときに16歳上の男性と付き合っていましたが、しきりに私のことを「おさな妻おさな妻」と言ってましたっけ。全然おさなくないんですが…。余計な話でした。
「生命の山河」読んでないんですよね。重要な作品を読めとの指摘もありますが、しばらくは「女人」を…(5部まだ読み終わってないし)。