3月に東京の高校をリタイアして、ここ伊豆の山奥で文人生活もどきを始めた。いつしか、俳句を詠むこころのゆとりを失って世界情勢を語る自分がいた。世界が今にも破滅するのではないかという危機感に迫られていたのは正直なところで、この点が明治・大正時代の文豪たちとの違いを分かつところであろう。本当ならば、川端康成のように天城の山道を歩いて手を振る踊り子たちの姿に目を細めたいところである。今日、9月10日は夏を思わせる陽ざしの中で蝉の鳴き声が続いている。これまでは、夏が終わるとそれきり鳴き声が聞こえなかったおーしんつくつくがまだまだ「わが世の”夏”」の勢いである。季節の移り変わりを静かに感じ取る「こころのゆとりを失うなよ」という天の声であるのかもしれない。
寒蝉鳴 楽しむわが世は 過ぎたれど <蛇庵>
(画像:筆ペン名人)
寒蝉鳴 楽しむわが世は 過ぎたれど <蛇庵>
(画像:筆ペン名人)