回遊草(KAI YU SO)

さすらいの乙男妄想オヤジの妄想ブログ。あらゆるジャンルのカワイイを中心に浮気中?でも、惚れてるのはやっぱり「ミク」かな?

よく聞く裏話

2007-12-20 20:54:59 | my favorite(お気に入り)
芸能界の「裏話」としてよく聞くもののひとつに、人気アイドル・アーティストの「裏」の姿というものがある。

たとえば、「表」では愛嬌たっぷりで、とても愛想がいいのに、「裏」では全く逆だというような・・・。

現場では、わがままで気に入らないと撮影が進まないとか、スタッフさんに文句ばっかり言ってるとか・・・。

そういう「裏話」はいわゆる「噂」として伝わってくる程度なので、「真偽」のほどは分からない。初めから、そうした「裏表」のある「性格」だったら、話は別だが…。


かつての「あやや」は、どんな現場でも文句ひとつ言わずに、予定が延びても逆にスタッフを盛り上げようとする、とか極めて「優等生」として知らされてきた。

「倖田來未」のPV撮影は1日以上なんてのも珍しくなかったし、それでもがんばって120%の力を出していた・・・。

そういう話は、もちろんファンとしては嬉しい限りだが、でも、最近は別の気持ちも生まれてきた。



それは、冒頭に挙げた「わがまま」と言える行動・態度も、だからと言って、「非難」できるかなってこと。

アイドル・アーティストは、私たち一般人とは比べものにならない「ストレス」に曝されている。

「スケジュール」も時間・分単位で管理され、「恋愛」だって自由に出来るとは限らない。

「愛の歌」を歌い、「笑顔」を振りまいていても、本人が「幸せ」とは限らない。
もちろん、アイドル・アーティストとしての、一般人では味わえない「幸せ」はあるだろうが、それはあくまでも「表(公式)」であって、限りなく少ないプライベートの「個人」に戻る時間が「満たされて」いるとは限らない。

そんな「不満」は、もちろん「表」では出せないだろうから、いつか、どこかで「裏」のスタッフさんとかに、ぶつけてしまうこともあるんじゃないだろうか?


もし、そうした不満が表に現れてしまっては、ファンだけでなくいろいろな所から非難されてしまう。(「エリカ様」騒動など・・・)

でも、そうでないなら、そのアイドル・アーティストが私たちに「喜び」を与えてくれるささやかな「代償」として、目をつぶってあげてもいいのではないだろうか・・・?


日出(いずる)国の「野球」の黄昏(たそがれ)

2007-12-18 19:56:47 | my favorite(お気に入り)
今年のオフも、少なからぬ日本のプロ野球のスター選手がメジャーリーグへと移籍していった。広島カープの黒田投手は、3年で約40億円という途方も無い契約で、単年ではあの「100億円男」の松坂投手をも上回るという・・・。

メジャーのことは別の機会にまた取り上げるとして、今日は日本の「野球」について言いたいことを言う。

スター選手が毎年のように抜けてしまった日本の「野球」は、それでもまだ「アジアNo.1」である。それだけ、日本人選手のレベルは、依然として高い。
まだまだ、「メジャー流失」は止まりそうもない。

といっても、現実問題として、今年はセリーグ優勝の瞬間すらTV放映がなかった。それだけ、ファンから「ソッポ」を向かれたのである。
セリーグ、突き詰めれば「巨人」の野球がつまらなくなったからである。
「スター選手」がいないからだけではない。「巨人の野球」がつまらないからである。

巨人の野球をつまらなくした、ひいては「日本の野球」をつまらなくした、「三悪人」は、「渡辺恒雄」、「徳光和夫」、そして一番は「長嶋茂雄」である。

「長嶋」は、「冷酷非情」な指揮官であった。他チームの主力選手を親会社の読売グループの資金力にものを言わせてかき集め、「働くのがプロ」と断じて調子を落とせばすぐ放出した。そして、また新しい「主力」をおねだりした。




“「強すぎて」つまらない”とまで言われた、往年の「打撃の神様」こと「川上哲治」氏が率いた「V9巨人(9年連続日本一)」は、それはそれは「理に適った」チームであった。

もちろん、チームの中心は「世界のホームラン王」の「王貞治」と「チャンスに強い男」の「長嶋茂雄」であったが、「俊足巧打(スイッチヒッターの先駆)」の「柴田勲」、「初代バントの名手:いぶし銀」の「土井正三」・・・などなど、1番から9番まで、ピッチャーからライトまで、打順・守備位置に応じて「個性」豊かな選手が揃っていた。(集めた?!)

その陰には、「牧野茂」という「武田信玄」に例えれば「山本勘介」に当たる「名参謀(軍師)」がいた。

実は、牧野は巨人ではなく「中日」の選手・コーチであったが、かれの「巨人批判」を読んで感銘を受けた川上が、巨人史上初めて「外部」から招いたコーチであった。かれは、メジャーリーグの「ドジャース戦法」と呼ばれる今で言うなら「スモールベースベースボール」つまり、組織的に戦う戦法を日本に紹介し、それが「V9」につながったのである。

そんなスター中のスター「スーパースター」の「王」や「長嶋」だって、スターになる前の「苦節」の時があった。

東京6大学の当時のホームラン記録を引っ提げて鳴り物入りで入団した「長嶋」は、オープン戦でも好成績を挙げていた。

その鼻っ柱を「4打席4三振」と、完膚なきまでにへし折ったのが「400勝投手」の「金田正一」であった。

しかし、それで一念発起した「長嶋」は、練習と研究を重ね、終わってみれば見事その年「3割(リーグ2位)」を打って、「ホームラン王」と「打点王」のあわや「三冠」という成績で「新人賞」に輝いたのである。「選手」としては、まちがいなく「偉大」であった。

「選抜」の「優勝投手」として巨人入りした「王」は、結局投手では通用せず打者に転向した。最初の年は「1割台」の打率で「三振王」と罵声を浴びたこともあった。
やがて、運命の人「荒川博:打撃コーチ」と巡りあい、あの「一本足打法」を生み出したのであった。
真剣(本物の刀)を使い、コーチの家の畳が擦り切れるほど何度も「素振り」を繰り返し、子どもが腕にぶら下がってもビクともしない安定した「打撃フォーム」を完成させた。

こうした、挫折を乗り越えて「夢」を掴んだ「伝説」を聞きながら、当時の「野球少年」たちはTVに釘付けになっていたのである・・・。

「V9」の流れを汲むのが、「広岡」、「森」、そして「古葉」であった・・・。

そんな中、「監督」として登場した「長嶋」は最初は挫折したが、復活してからは例の「ドンチャン野球?」をやった。選手の「個性」なんて“そんなの関係ねぇ~!”とばかりに「4番」バッターをズラリと並べて、「空中戦」へ・・・。

勝てば「ハデ」だが、「確率」が高いはずがない。それでも、選手は「商売」だから自分のためにがんばって「ミラクル」を起こす時もある。でも、めったに起こらないから、「ミラクル」なんだってば・・・。
そんな「長嶋野球」を「絶賛」したのは、稀代の「タイコ持ち:徳光和夫」と野球を知らない「おばさん」たちである・・・w(おばさんの恐怖www)



実は、おそらく世間的にはほとんど知られていないか、無視されている「事実」がある。

長嶋が、ドラマティックに引退した直後に『Number』というスポーツ誌の中で「衝撃」の告白をしていた。

それは、いわゆる「野生のカン」は「ウソ」だったのである。というか、彼の「作戦」であったのだ。

バッターは、ピッチャーの投球を予測する。ただ、漫然と次の球を待っていたのでは、打てない。だから、ある程度、球種やコースなどを「予測」する。ピッチャーは、その予測の「裏」をかこうとしたり、時には敢えて相手が待っているであろう球を投げ込む。それが、バッターとピッチャーの駆け引きである。
その駆け引きを楽しむのも、野球の魅力のひとつである。

現役時代の長嶋「選手」は、「野生のカン」の持ち主と言われた。

例えば、ホームランを打った時、“どんな球でしたか?”とアナウンサーに訊かれると、

“さぁ、どんな球だったか憶えてません。・・・ただ、来た球をバーッと振っただけですよ。”

とか

“配球?いやぁ~。そんなことは考えてないですよ。まぁひとつのw「野生のカン」とでもいいましょうか?打つ瞬間に、なんとなくひらめいたんですよ。”

みたいに答えていた。そうなると、ピッチャーも“野生のカン」じゃあしょうがないなぁ。あんまり、難しい配球を考えても無駄か・・・”と半ば、諦めたようで、「単調」な投球になったようである。

それが、実は彼の「ウソ(作戦)」であったのだ。彼も、きちんと「予測」したが、わざと上のように答えたのである。
見事、その作戦は「大成功」したのである。

彼の「偉大」なところは、その事実を「引退」するまで、つまり、もはや必要でなくなるまで、「秘密」にしておいたのである。
もし、その秘密を「墓場」まで持って行ってたら、もっと凄いけど、彼も人の子であったのだ・・・。
彼は、意外なほど「冷徹」「計算高い」のである・・・。もちろん、「自己中心」である。


現役時代の秘密は別にしても、監督(指揮官)としての彼のやったことは、ただ選手を「集めた」だけである。
「勝って当然」のチームを率いて、「優勝」すれば「監督の采配」、そうでなければ「選手の責任」では、たいていの「スター選手」でもやっていられない・・・。
お茶の間や飲み屋でTV観戦する「サラリーマン」には、そんな夢のない「現実(巨人戦)」なんか見ていて、面白かろうはずがない。

「原監督」の野球も見事に「長嶋」野球を継いでいる、不幸なことに・・・。


それが、やがて、様々な要因とも重なって、日本の「野球」を捨てて、「メジャーリーグベースボール」への流出という「大きな流れ」になっていったのである。

「小島よしお」は生き残るか

2007-12-16 17:25:22 | my favorite(お気に入り)
「小島よしお」を初めて見たのは、「ナイナイ(ナインティナイン)」の番組の中の「おもしろ荘」という、ブレイク前の「若手芸人」を紹介するコーナーであった。

なんでも、「賛否両論」で支持しているのは「小学生」なのだと矢部クンが言っていた。

正直、「いえぇ~い!」とか言いながら、海パン1丁で迫ってくるギャグには、“引くよなぁ~!”と思っていたが、あれよあれよという間にブレイクして「そんなの関係ねぇ~!」は「新語・流行語」トップ10にも選ばれた。

その「新語・流行語」に選ばれると「消える!」という「ジンクス」があるらしい。

「ゲッツ!」の「ダンディ坂野」、「・・・って言うじゃない?・・・残念!○○斬り!」の「波田陽区」、「なんでだろ~」の「テツandトモ」、「フォー!」の「レイザーラモンHG」などである。

なんでも、その最初は「だっちゅーの!」の「パイレーツ」らしい。

グラビア・アイドルだったと思っていたが、調べてみたら「お笑い」も兼ねていたらしい。

さて、その「ジンクス」だが、「ネタ(ギャグ)」よいうより、その「人」によるのだろう。

「パイレーツ」なんて、「お笑い」をやってるところを見たことなかったし、当時チラッと見た感じでは、とても「バラエティ」に使えるような力はなかったと思う。

それと比べて、「星野あき」ちゃんなどは30になっても20と言っても通用するくらい「若々しい」し、明るく頭の回転も速そうだ・・・。



では、「小島よしお」はどうだろうか?

あの衣装?は、インパクトありすぎだが、本人はけっこう融通が効きそうな気がする。
そういえば、この前見た「波田陽区」は「侍」でもなく、「ギター」も持ってなかったが、まだいちおう生きていた・・・w


「織田裕二」の『椿三十郎』

2007-12-16 15:15:02 | my favorite(お気に入り)
今日も「宣伝番組」があった。「三船敏郎」主演の「黒澤」作品は、一度だけビデオで観たことはある・・・。

別に、敢えて「世界」の黒澤作品のリメイクをするなというわけではないが、主演は「織田裕二」でよいのか? というか、違うだろう!と思う。

彼は、あまりにもマスクが「甘すぎる」。「素浪人」に見えないし、全然「迫力」を感じない。どう見ても「若造」にしか、見えない。

演出とか、演技とか言う前に、ビジュアル的に「リアリティ」を感じない。

「木村拓哉」の『武士の一分』でも、同じような印象を受けたが、「織田裕二」ほどの「違和感」ではない。

ちなみに、どちらも実際に作品は観ていない。

神はなぜ生き残ったのか・・・①

2007-12-16 09:53:10 | 愛と世界平和と神の存在について
古代の人々が人知を超えた自然の脅威に「神」を見出したのはともかくとして、これだけ「科学」が発達した現代においても「宗教」やそれに付随する「神」が生き残っているのはどうしてだろうか?

その答えを出す前に、「人間」は(例えば「ユダヤ教」が生まれた3000年前)今日まで残る世界的な宗教が作られた時も、21世紀の現代も、もちろんその間中もずっと(「キリスト教」や「イスラム教」や「仏教」が作られたが)、まったく「同じ」行動をしているということを思い出して欲しい。

宗教は、人間の「善」ではない行動、(殺人、姦淫、窃盗、妬み、・・・)を「原罪」などと呼び、不必要な「罪悪感」を煽っている。

しかし、人間もこの地球上に生息する他の「野生動物」の一種であることを考えれば、それは「個体維持(生きる)」ための「本能」であることが分かる。

例えば、ここに二頭の腹をすかした「ライオン」とその間に「肉」があるとする。
当然、生き残るためには「肉」を食べなくてはならない。
そのためには、「相手」を「傷つけたり」時には「命を奪う」ことも必要である。それは、生物としての「本能」であり、人間も持っている。

「緊急避難」という言葉がある。

例えば、船が沈没して海に投げ出された時に、二人の間にかろうじて「ひとり」がつかまれるような「板」があったとする。この時、もし相手を突き飛ばして自分ひとりが助かったとしても、「犯罪」とはならないのである。

「姦淫」そのものは、「不道徳」な性行為であるが、「性行為」そのものは生物としての「種の保存(次の世代に、子孫を残す)」のための重要な行為である。


「殺人(傷害も含む)」「姦淫」「窃盗」「妬み」・・・は、もちろん「社会的」にみて「悪」であり、当然してはいけない行為であり、もししてしまったなら「法」によって裁かれるものである。「人間」は、ひとりで生きているのではなく、多くの仲間と「社会」の中で生きているからである。

しかし、まだ「社会」が出来ていなかった頃、「人間」は一匹の野生動物として、数々の外敵(自分よりも強い)や自然の脅威の中で、必死に生き延びてきたのである。

その時の生き延びるための「知恵」だったのが、「本能」だったのである。今も、誰もが、その「本能」を持っている。

大切なのは、「社会」の中ではそれを「コントロール」することである。

それを可能にするのは、「生まれてから」社会生活の中で「学習(身につける)」した「経験」であり、そうして生まれた「理性」である。

様々な「衝動」が起こるのは「本能」のなせることであり、決して自らを恥じたり、罪の意識にさいなまされる必要はない。

大切なことは、その衝動を「理性」でコントロールして、「行動」に移さないことである。それができなくなった時に、「犯罪」が生まれる。

「犯罪」を抑止するのは、「神」ではない。自らの「理性」である。

・・・もし、これを行ったら、社会からどんな罰を受けるのか? 家族は、どんな苦難を味わうのか? 友人や恋人は?・・・

様々な「葛藤」の末、「行動」を思い止まることもあろう・・・。

不幸にして、「実行」に走ってしまうこともある。


「犯罪者」は、なぜ「犯罪」を「隠そう」とするのか? 様々な「隠ぺい工作」をするのは、なぜか?

「神」には、そんなものは「通用」しないのに・・・w 神は「犯罪抑止力」にはならない。

「テロリスト」ほど、残虐行為を「見せ付ける」のは、なぜか?

彼らは、「神」が「残虐行為」を好むことを知っているからである。「力の誇示」は神の「得意技」なんだから・・・。


「オバサン」の恐怖

2007-12-15 16:48:26 | 倖田來未(くぅちゃん)
自分ではフェミニストのつもりだが、どうしても「遠慮」してしまうのが「オバサン」たちである。

昔「オバタリアン」というのがあって、自分勝手の象徴みたいな存在だった。
今なら、「綾小路きみまろ」さんの漫談の主役であるの「中高年」ということになるであろう・・・w
きみまろさんファンの「中高年」なら、自虐の笑いを楽しむバイタリティーに、むしろ敬意を払いたいくらいだが、私の言うのは別の「ファン」である。

去年、ヤマピーこと「山下智久」クンが『抱いてセニョリータ』をリリースした時に、くぅちゃんも出た『HEY!x③』に出演した。

スタジオに、ヤマピーファンが集まったんだけど、けっこう「オバサン」がいた・・・。

その中の一人が“私のような年輩のファンをどう思うか?”みたいな質問をした。
ちなみに、私も50を越えて「あやや」や「くぅちゃん」のファンをやってるけど、本人へそんな質問はしない。別に、そんなこと気にしてないから・・・。

ところが、その「オバサン」、(見た目はごく普通の、そのままスーパーへでも買い物に行きそうな普通の格好だし、どこから見てもいかにも「オバサン」)の質問の「意味」が予想外だった。
ダウンタウンのフォローで分かったのは、その質問の「真意」は“私のようなオバサンでも「抱いて」くれますか?”ということだった・・・!

それは、私にとっては「衝撃的」ともいえる展開だった。

ぶっちゃけ、その「オバサン」はどう見ても平均以下の容姿だったが、あの厚かましさに驚いた訳ではない。

オバサン「達」は、どうやら同じような目で、若いアイドルたちを見ているらしい。その発想に驚いてしまった。

私の場合、アーティストとの間にはしっかりとした「境界」が存在する。

「かわいい」というのもファンになる重要な要素だが、もちろん、私は「ファン(ヲタ)」で向こうは「アーティスト」である。その一線を越えることはないし、越えたいと思わない。彼女たちの歌が好きで、だから聴くのが楽しい。
彼女たちの「パフォーマンス」が好きで(だから、楽しんでいる)、スタイル(生き方)が好き(だから、応援している)のであって、現実のひとりの「女」として見ているわけではない。
目の前にいたら握手ぐらいしてもらうかもしれないけれど、“ファンです。これからもがんばってください。”という言うくらいしかない。
ステージで歌っている(&踊っている)時がいちばん輝いていると思うし、その時がいちばん好き・・・。

それに、その「オバサン」は全国放送のTVの前で、平気でそんなことが言えるのが「不思議」である。恥を知らないのかな?

逆の立場だったら、どうなると思う・・・?


実は、それからしばらくして別の番組でも同じような「オバサン」を目撃した。

『徹子の部屋』に出た「うつみ宮土理」である。彼女は、いわゆる「韓流スター」の「ファン」であった。「イ・ビョンホン」か「チャン・ドンゴン」か誰だったか忘れたが、「ヨン様」ではなかったことは確かである・・・。
ファンになったキッカケを訊かれた時の答えが、こうだ。

“(わたしがファンになった当時は)まだ、日本での人気がブレイクしてなかったので、わたしにも「チャンス」があるかと思ったから・・・”

えっ?!これにも、二の句が継げなかった・・・。・・・そんなのが「理由」・・・???!!!


実際、彼女は「語学留学」とかで韓国へ滞在してたとか・・・?


「韓流ブーム」の中心は「奥様方」のようだが、「ご主人」はいらっしゃるのだろうか?

独身の女性なら、別にとやかく言うつもりはないが、もしそうでないなら、「ご主人」を放っておいて、韓国へまで「追っかけ」をやっちゃってるのはいかがなものか?

それは、れっきとした「不倫」ではないのか?



「男」は、(若いうちは「血気盛ん」だが)年齢を重ねると、けっこう「ロマンチスト」になると思う。自分で言うのも、なんだが・・・w

「女性」は、なぜか、「リアリスト」になっていくような気がする。







久しぶりの休日感・・・その2

2007-12-15 10:55:43 | my favorite(お気に入り)
久しぶりに「朝風呂」に入った。ゆうべの「沸かし直し」だけど、我家の受験生二人はずっと勉強中だったし、奥さんは夜勤だったから、あんまり汚れていないと思うし・・・w

先週は「休日出勤」で忙(せわ)しなかったし、先々週は「ドーム」だったし、久しぶりにのんびりとした休日に浸ることができそう・・・。
やっぱり、日曜より土曜の方が、もっと言うと「土曜の午前中」の方が、気分がゆったりできる。

風呂の前後に「洗たく」と「布団干し」をする。「太陽大好き」人間なので、こんな青天は放っておけない。「乾燥機&布団乾燥機」などは無くても、田舎の新鮮な空気と何より暖かい太陽があればいい・・・。
あの「ふんわり感」と「お日様の匂い」がたまらない。「匂い」の方は、たんなる仕上げ剤の香なのかもしれないけど・・・。

「洗たく」と「布団干し」が好き、というか楽しい。私にとっては、「癒し」だと思う。安上がりなものだ。「趣味」と「実益」を備えている、というヤツかな?

「洗たく」と「布団干し」は好きだが、「掃除」はあまりやらない。「嫌い」というほどではないが、あんまり気にならない・・・w
「眼」が悪いから、細かいゴミとかホコリとかが「見えない」から・・・w
元々「近眼」だった上に、「老眼」がひどいから。最近では、パソコンの文字もよく見えない・・・orz

昔の言葉で、美人に見える条件として「夜目、遠目、傘の内」というのがある。
要は、よく「見えない」ということだ・・・。だから、想像(妄想w)力をたくましくして、「美人」に「見える」ということらしい・・・www

眼が悪いのも、悪くない・・・?


顧客満足度

2007-12-14 23:58:13 | 倖田來未(くぅちゃん)
我ながら、「変」なファンだと思う。

かなり「のめり込ん」でいると思っているのだが、「何処までも付いていく!」とは思わないし、前にも書いた通り「くぅちゃん、最高!」とは言えない・・・。

「倖田來未」の「スタイル(生き方)」が好きで、「声」が好きで、「歌が上手い」のも好きで、いちおう「ビジュアル」も好きで、「すっぴん」のくぅもまぁまぁ好きで、「太ってる」くぅはどちらかというと「スッキリした」くぅの方が好きなんだけど・・・。


それらは、私の「価値観」と一致してるから「好き」なので、時にそれが「ズレてる」と感じる時は、遠慮なく言ってしまう。

さっき、「RUMCHIRO」に「音楽賞獲り」についての、やや批判的とも言える書き込みをしてきた。

もしかしたら、「ここは、くぅちゃんを応援するためのファンサイトなんだから、いかがなもんか」みたいに書かれるかもしれない。

それは、確かにそうかもしれないが、さて、「応援」とはなんだろう?

「がんばれ、がんばれ!」

も、確かに「応援」だが、

「どうした、しっかりしろ!」

という、「応援」もあってもいいじゃないか・・・。

「叱咤」は、大きな声で「叱る」ことだが、「叱咤激励」となると大きな声で「応援」する、とある。


それに、ファンだからといって、ただ「アーティスト」に従うとは限らないと思う。

「ファン」と「アーティスト」の関係を、少し角度を変えて考えてみた。

「アーティスト」を「エンターティンメント」という「サービス」を提供する「商品」と考えると、CDやDVDや写真集、ライブのチケットや、ライブグッズなどを「買っている」私たち「ファン」は、アーティストから見れば「顧客」ということになる。

つまり、お金を払って「商品」を購入しているのだから、その「品質」について「不満」があれば「クレーム」を言う権利があると思う。

「クレーマー」は困り者だが、「企業」にとっていちばん怖いのは「何も言わずに、二度と買ってくれない」人たちだろう・・・。

何処へ行くの・・・?

2007-12-13 23:24:34 | 倖田來未(くぅちゃん)
今年の春ごろ、

“去年は多くの人たちから好まれるような曲を歌ったけど、今年は「倖田來未」ならではの、「倖田來未」にしかできないような、曲を歌っていきたい。”


みたいな事を言っていたと記憶している。事実、『BUT』『FREAKY』と「ライオンテイスト」溢れた「倖田來未」ならではの曲をリリースした。

ところが、『愛のうた』では一転して「うさぎ:くぅちゃん」全開、それも今までの「倖田來未=白黒ハッキリして!」だったのが、なんとも中途半端というか「未練がましい」までの「グレー」な愛の歌ですとぉ・・・!

「音楽祭・音楽賞」出ずっぱりでがんばってるんだけど、正直言って2分少々の「TVバージョン」ばかり何度も繰り返し聴かされても、“またか・・・?!”とテンション下がるばかり・・・。

『愛のうた』は、「賞」狙い? 「宇多田ヒカル」は、今年もレコ大を「辞退」したとか。 


今日、遅ればせながらオフィで『anytime』のダイジェストを聴いた。「ジャケ写」どおりの「かわいい」うさぎタイプ。「倖田來未」より、「あやや」に歌ってもらいたいような曲。「大塚愛」ちゃんや「aiko」さんになりたいの?

この「ジャケ写」もそうだが、このところTVで見るのは「少女マンガ」のような「瞳キラキラ」のくぅちゃんスマイルばかり・・・。

自虐的かもしれないが、Mだから・・・?w、「エリカ様」のような「コワイ」くらいの「ライオン:倖田來未」に逢いたい!

「倖田來未」らしい 「倖田來未」ならではの 「倖田來未」にしかできない

は、何処へ行ってしまったの?

「倖田來未」は、何処へ行きたいのか、分からない・・・。


「賞を取る」ことよりも、「倖田來未」のオリジナルの代表曲(例えば、「絢香」の『三日月』、「中島美嘉」の『雪の華』みたいな)を作り出すことがいいように思う。
いつまでたっても「倖田來未」といえば『キューティーハニー』でも困る。カバー曲なんだから。


「意志」の力

2007-12-12 21:24:56 | Weblog
私の仕事は、工場での製造機械の「裏方」で、資材を追加したり、製造過程で出る「ロス(ゴミ)」を片付けたりするもので、「体力勝負」であまり「頭」は使わない。それで、「時間潰し」のために「妄想」とかしている時も・・・w

それでも唯一「頭」を使うのは、「逆算」である。これは、「終わり」の時間から逆算して「片付け」の手順を考えることである。

この「逆算」して考えるクセで思いついたことがある。

最近、立て続けにTVで「フクロウは、音を立てずに飛ぶことができる」というのを見た。普通の鳥は、羽ばたく時に「バサバサ」と音を立てる。普通の鳥の羽ばたきの音を「ガード下」くらいだとすると、フクロウは静かな「図書館の中」くらいだという。実際にTVで見たら、音もなく「スーッ」と飛んできた。

だから、静かな夜中でも獲物に気づかれることなく近づくことができる。フクロウの羽根に特別な仕組みがあるらしい。

では、「どのようにして」フクロウは「進化」したのだろうか?

私の学生時代の「進化論」は、確か「自然淘汰」と「突然変異」の組み合わせだったようだが、最近は「DNA」の概念が登場しているのが大きな変化だが、まだよく分かっていないみたい・・・。

さて、フクロウの羽根の仕組みはどのように「進化」したのだろうか?

結果論で言えば、音のしない「翼」は夜に狩りをするフクロウにとっては「最適」な武器である。だが、どのようにしてその「武器」を手に入れることができたのだろうか?

フクロウの先祖も他の鳥のように、「バサバサ」音を立てていたことだろう。それで、何度となく獲物に逃げられた時に、

“あぁ、音を立てずに飛べる「翼」があったならなぁ・・・”  とか

“神様w、どうか音のしない「翼」をください!”  とか、思ったのかもしれない・・・www

これは、「冗談」で言っているのではない。「進化」の「鍵」は、「意志」であると思う。

ウサギの耳が長いのは、弱いウサギにとっては「敵」である獣が近づく音など周囲の「異常」をいち早く感知するためであり、発達した後ろ脚は敵から逃げるためである。

ライオンだって、遠くの音を聞き分ける耳(長い耳)も武器になるだろうけど、彼らが持っているのは「大きな口」「鋭いキバ」「力強い前脚」とか、「攻撃的」なものばかりである。恐らく、彼らは「長い耳」より、そういった直接的な武器を希望したからに違いない! そうでなければ、「耳の長いライオン」がいたっておかしくはないからである・・・。

「意志」は「脳」で生まれるのだが、もしかしたらその「意志」は「細胞」や細胞の中の「DNA」にも伝わっているのではないだろうか?

なぜ、こんなことを考えたかというと、くぅちゃんが「金スマ」で紹介した『水は答えを知っている』という本を思い出したからである。

簡単に説明すると、コップの水を凍らせてある方法で「水の結晶」の写真を撮ると、コップに「キレイ」「好き」「愛」とか【肯定的】な言葉を書いた紙を入れておくと、とても「美しい」結晶ができる。また、「嫌い」「バカ」「死ね」とか【否定的】か言葉を書いておくとグジャグジャな結晶ができるという・・・。

真偽の程は私には不明(否定も肯定もできない)だが、それと同じようなこととして、くぅちゃんは“きれい”とか“かわいい”とか言われると、本当ににきれいになっていくと、自らの体験や「芸能界」での経験から語った。

これも、「きれいになりたい」という「意志」が「細胞」に伝わっていると考えてもいいのではないか。

くぅちゃんと、「あやや」で共通している「話」がある。それは、ふたりとも

“芸能界に入ってから、きれいな「二重」になった!

ということである。「整形」? www たぶん、この二人なら、そんなことはないと思う。要は、「きれいになりたい」と思い続けたから、細胞が変化したのではないだろうか?

だから、本気になって「きれいになりたい」と思い続けていたら、キレイになるんじゃないかな?


実は、話はこれで終わりではない。

くぅちゃんのもう一つの【口ぐせ】である「夢は叶う。夢を持って!」ということも、根っ子(ルーツ)は同じではないだろうかと思う。

「神田來未子」の「夢」は「歌手になりたい!」であった。

その夢を叶えるための、最初の「ポイント」は、エイベックスのオーディションに合格したことである。その時に、オーディションの「チラシ」に目を留め、“これを最後の挑戦としよう!”と心に決めた・・・。

そのオーディションに合格して「プロ」としてデビューしたものの、全く売れずどのようなアーティストになろうとするのかも分からずに大きな「壁」に突き当たっていた。

そんな時、妹のmisonoがバンドのヴォーカルとして華々しくデビューした。姉として喜びつつも、“やっぱり、かわいくないと売れないのか!”と、妹への「嫉妬心」もなかったわけではない。

母と行ったmisonoのライブの後で楽屋で見た光景が、その後の「倖田來未」の運命を変えた。

そこで、くぅちゃんが見たのは、ライブが終わった直後に次の公演のために「セットリスト」や「衣装」について、「自分の意見」を細かくスタッフに伝えるmisonoの姿だった。

それまでのくぅちゃんは、“自分は歌手だから・・・”と歌うことだけ考えて、衣装や曲作りの細かいことは全てスタッフに任せていた。

misonoに本当の「プロ」の姿勢を教えられてから、「倖田來未」は変わった。「倖田來未」の快進撃の始まりだった。多少の紆余曲折はあるが、この「日」が本当の「倖田來未」の生まれた日と言ってもいいかもしれない。

しかし、もし、この時、同じ光景を見ても

“スタッフさんと打ち合わせをしてるから、邪魔しちゃいけない…”

くらいしか思わなかったら、どうだろうか?

もしかしたら、「倖田來未」は既に「芸能界」から去っていたかもしれない・・・。


じつは、同じような「話」は別の場面でお馴染みであった。

それは、あのNHKの『プロジェクトX』である。

今までにない「画期的」な製品やシステムなどの「開発・発明」の裏話である。

それらの中に、「とんとん拍子」で進んだものなどひとつもない。必ず、大きな「困難」や「壁」があった。

信じられないくらいの「苦労」や「頑張り」があったのはもちろんだが、「困難」や「壁」を乗り越えた時に、必ずといっていいくらい「ひらめき」があった。

それは、一見すると全く関係ないことのようだが、そこに大きなヒントが隠されていた。「プロジェ…」での例は思い出せないけど、「科学」の世界でもよく起こる。

例えば、アルキメデスが「比重」の原理を発見した時の逸話である。

ある時、王が「金の冠」を作らせた。純金を渡して冠を作らせたのだが、「混ぜ物をした」と言う者が現れた。渡した金と冠の重さは同じだが、溶かして調べる訳にはいかない。そこで、王は有名なアルキメデスに頼んだ。
さすがの彼もよい方法が思い浮かばずに、ある時、公衆浴場に行った。(古代ギリシア人は、風呂が好きでそこで考えることも多かった)
湯船に入った時に、あふれる水を見て「物の体積は押しのけた水の容積と等しい」という原理を発見して、冠を壊さずにその体積を測り、そのことから「比重」の違いを調べ、混ぜ物をしたことを見抜いた・・・。
アルキメデスは、公衆浴場での発見の時、興奮のあまり、「エウレカ!(見つけた!)」と叫びながら、裸のまま町に飛び出したという・・・w

もっと、有名なのは「ニュートンのリンゴ」である。リンゴが木から落ちるのを見て、惑星の運動の真理を発見したのである。


さて、話が難しくなったが、要点は「問題を解決したい!」という強い「意志」が
問題を解く『ヒント』に気づいたということである。

misonoのスタッフとの打ち合わせも、風呂から水が溢れることも、リンゴが木から落ちることも「よくある光景」である。(misonoのことは、微妙だが…w)

「天体は、なぜ運動を続けることができるのか?」ということと「リンゴが木から落ちる」ということは、直接には関係がないように見える。

しかし、「問題を解決したい」と考え続けていたニュートンにはとっては、素晴らしい「ヒント」になったのである。

つまり、「こうなりたい」「こうしたい」「この問題を解きたい」という「夢」という「意志」が、本人の「意識(自覚)」とは別のところで、細胞の隅々まで行き渡り、「きっかけ」「ヒント」と出合った時に、あたかも困難という「夜」が明けて「朝(問題解決)」が来たことを「目覚まし時計」のベルのように「知らせる」のではないか・・・!

大事なことは、強い「意志(夢)」を持つことである。

英語の諺に「チャンスは前髪を掴め!」というのがあるが、チャンスの「前髪」が見えるのは「チャンス」を探しているからである・・・。


だから、やっぱり、くぅちゃんの言ってる通り

「夢は叶う!」「夢を持って!」

ということは、ほんとうに「真理」なのである。