回遊草(KAI YU SO)

さすらいの乙男妄想オヤジの妄想ブログ。あらゆるジャンルのカワイイを中心に浮気中?でも、惚れてるのはやっぱり「ミク」かな?

久しぶりの歌番組のあやや

2007-12-08 11:20:17 | 「あやや」と松浦亜弥
『FNS歌謡祭』は、録画をサラッと見ただけ。なんせ4時間もあるから、編集も大変・・・。

そういえば、ハロプロ10周年の中で、久々にTVで『LOVE涙色』を聴いた。
あの右手を突き上げるポーズが懐かしかった・・・。


ただ、あの「衣装(ファッション)」が微妙だなぁ・・・。

アイドルでもなく・・・、昔の「ジュリー(沢田研二)」みたいな・・・。といっても、今の人は知らないだろうし・・・。 今なら、親友の「BoA」ちゃんが似合いそうだった・・・。

ふつうのシンプルな方が似合うのだろうけど、ハロプロぐるみじゃ凝った感じになるのは仕方ないところか・・・。そういえば、「移籍」した「ゴマキ(後藤真希ちゃん)」は(身内の不祥事もあったし)現れなかったけれど、どんな「姿」で現れるのかは、注目するところ。


どうして神は作られたのか

2007-12-08 00:30:21 | 愛と世界平和と神の存在について
今では、小学生でさえ「雷」の正体や、「地震」、「台風」、「火山の噴火」の仕組みなどを知っている。「科学」が解明したからである。

大昔の人々にとって、そんな人間の力をはるかに超える「自然」の脅威に対して「神」という存在を考えるのは、ごく当たり前の流れであろう。

世界中のどの民族も、それぞれの「神」や「神話」を持っている。

強大な力だけでなく、ごく身近な「生命」(生まれ、成長し、老い、そして死…)の神秘にも「神」の存在を見たことだろう。

私は、こうした「神」の存在を否定しない。そこにある謙虚な「畏れ」のこころは、大切にしたいと思う。
古いドキュメンタリーで、猟師がその年の最初の猟に入る時に、「山ノ神」にお神酒を供える場面を見たことがある。
かつて、同じような光景は様々な職業でも、見られていた・・・。


ところで、「宗教」はどうして生まれたのだろうか?

人間は、悪いこととは知りながら、物を盗んだり、人を傷つけたり、時には命を奪うことさえある。
「社会」の中では許されることではない。そこで、罰するための決まりが作られた。

しかし、それは「結果」に対してのものである。そこで、こころある「賢者」は、未然に防ぐ手立てを考えた。人として正しく生きるためには、どうすればよいかということを考えた。

それが、「宗教」であり、「哲学」であると思う。

この二つは、どちらも“人は、どう生きればよいか”という「手引き」である。違いは、「神」の存在を利用するかしないかである。

その違いは、なぜ生じたのだろうか?

それは、それぞれが生まれた「社会」の環境の違いであると思う。

古代のギリシアや中国では、既に成熟した社会が発達していた。賢者は、自らの思想を書物にして、学校で教えることができた。「先生」として尊敬され、権威をもって思想を広めることができた。

“ソクラテスは、こう考えた”とか“孔子が、こう言っている”・・・とか。


一方、「イエス」や「シッダールタ」や「ムハンマド」の生きた時代は、どうであったのだろうか?

「戦乱」に明け暮れ、生きていくのが精一杯ではなかっただろうか?

「シッダールタ」は「王子」だというが、今の日本に置き換えると「県知事」の息子くらいか・・・? 今を時めく「東国原:宮崎県知事」本人ならいざしらず、たとえば我が「石川嘉延:静岡県知事」は立派な方であるが、他県の人はどれだけごぞんじだろうか?ましてや、その息子さんといえば、私だって「お子さん」は知りっこない・・・w

ましてや、「イエス」など貧しい「大工」の息子である。どんな「真理」を説いたとしても、それだけでは誰も耳を貸してくれない。

だから、生きていたときは勿論、「創始者」の死後は「神」の権威にすがるしかなかったのは、容易に想像がつく・・・。

基本的に、「宗教」は人としての行き方の「規範」を示そうとするものであり、それ自体は尊重すべきである。

ただ、当時の「世界観」や「社会観」に問題がある。

交通手段も限られていた時代だから、極めて「ローカル」な思想でしかない。

荒っぽい言い方をすれば、「ユダヤ教」「キリスト教」「イスラム教」「仏教」・・・など全ての「神(仏)」は、日本で言えば【氏神】みたいなものである。「部族」「種族」「民族」程度の【守り神】でしかない。

当時は、「人類」という「概念」などなかったに違いない。

だから、平気で「他国民」「邪教徒」である「エジプト国民」の何の罪もない「初子」を無慈悲に殺してしまい、それを「神の威光」であると喜んでいるのである。

それは、まるで「ガキ大将」が“うちの「とうちゃん」は、こんなにも強いんだぞぉ~!”と威張っているようなものである。