「AKB」の新曲『ポニーテールとシュシュ』が「初動50万枚」を超えるのが確実になってきました。
(果たして、「嵐」の今年の最高記録を超えるのでしょうか・・・?)
そんな「国民的」アイドルユニットになった「AKB」について、ゆる~く語りたいと思います・・・。
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
最初は、「外堀」から始めます。
Chapter1:初音ミク
4月の『マグネット』の記念すべき第1回は、「初音ミク」特集でした。
最新(5/31日付)「アルバムランキング」で、ミクのコンピアルバムが「第1位」(枚数は2万枚ちょっとでしたが…)になるほど、じわじわとリアル世界にも進出しつつある「バーチャルアイドル」のヒットの原因を、「尻P」ことSF作家の「野尻抱介」氏は“不老不死のアイドル(歳を取らないアイドル)の誕生”と言い、かつての「バーチャルアイドル」(実態は、リアルでは「売れない」アイドル)にも関わった経験のあるミュージシャンの「戸田誠司」氏は“「自分の声」を持ったバーチャルアイドル”と捉えていました。
そうした、「ミク」ならではの「バーチャル性」も確かに重要ですが、それだけでは説明しきれない部分もあると思います。
「ミク」の誕生とオーバーラップして存在したもう一人の「バーチャルアイドル」に「元気ロケッツ(Genki Rockets)」の「Lumi」がいます。
彼女は2006年に“「2019年生まれ」の「30年後の17歳」”という正にバーチャルな存在として「華々しく」誕生しました。
2007年には、「LIVE EARTH 2007」の日本会場(幕張メッセ)のオープニングアクトで、奇しくも『ミクの日感謝祭』の「ミク」に先んじて「ホログラム出演」を世界に発信したのです・・・。
そんな「クール(カッコイイ)」な「元気ロケッツ」の「Lumi」の、今日の影響力は残念ながらほとんど「ゼロ」と言ってもいいでしょう。
「Lumi」は忘れ去られ「ミク」が愛され続けている理由は、先ほどの2氏の指摘とは別のものであることは、明白です。
やはり、一番の理由は、「ミク」の【本質】にあると思います。
それは、「ミク」は
(上から)与えられたアイドルではなく、(自分たちが)創り上げた(育て上げた)アイドル
であるということだと思います。
どんなに「クール」で「カワイイ」かもしれませんが、「Lumi」ちゃんは「所詮」【プロ】が作った「既製品」であり、わたしたちはそれをヒナのように「親鳥」が与えてくれるのを待っているしかなかったのです。
それは、「従来」のスタイルと全く同じことなのです。
一方の「ミク」は、「2万曲以上」とも言われるように、世界中のソフトのユーザー(「マスター」「調教師」)が次々と(今現在も)新しい作品を生み出しています。
このことは、実はたくさんの重要な「鍵」を含んでいると思うのです。
まず、作り手が「無数」にいるということです。
どんなに「優秀」な「プロ」であっても、ひとりの「能力」には限りがあります。
「テクニック」だけでなく「発想の多様性」にも当てはまると思うのです。
そうした「職人」の中には「プロ」の音楽関係者もいますが、大半は「素人」(職業人でない・専門分野ではない)です。
私は「持論」として、“「素人」こそが「偉大な仕事」をする”と常々思っています。
(この件については、また別の機会に・・・)
私たち「ミク」ファンを含めた「ファン」は、言ってみれば「素人」です。
だから、「職人」さんたちの存在に共感を持ち、その才能を賞賛し、支援さえしたいと思うのです。
そして、一番「重要」な要素は、
自分で「選べる」こと
だと思うのです。
「2万曲以上」の音楽を全て聴くことは現実的ではありません。「熱心さ」には差があるでしょが、自分が「聴いて」“いいなぁ”と思った曲があればそれを「選択」すればいいのです。
もちろん、厳密に言えば「ミク」も(多くの職人から)“与えられた”音楽かもしれませんが、その「膨大」な数の中から“自分で「選べる」”ということ(選択肢が非常に多いということ)が、その意識を「薄めている」と思うのです。
おそらく「100人」のミクファンがいれば、「100通り」の“俺のミク(ミクの曲)”があるのは間違いないでしょう・・・。
それは、数多くの作品を発表している「アーティスト」にも言えることではありますが、「ミク」の場合は更に「バラエティ】は豊になることは想像に難くありません。
そして、「ミク」には「バーチャルアイドル」ならではの特別な性格があるのです。
ミクは「フリー」なのです。
必要最小限の「設定」さえクリアすれば、「ミク」なのです。(それすらも、かなり「ユルイ」ですが・・・)
「ミク」には、様々な「派生キャラ」がいます。
「はちゅね」「亞北ネル」「弱音ハク」「・・・」。
それらは、全て「ミク」であると同時に、それを「選ばない」ことも可能なのです。
「リアル」な(人間の)場合は、そうはいきません。
一例を挙げれば、「羊水発言」は「倖田來未」にとっては一生付いて回る問題です。
(もちろん、それが「済んだ」とかは別問題としてですが)
「ミク」の「2次創作」の中には、同人誌などの「エロまんが(動画)」や「エロゲー」(ある?)などもあります。
それは、「男の欲望」の表れとして「必要悪」だと思います。
だからと言って、ミクが「汚れた(汚された)」とは考えません。(中には、憤慨するピュアなファンもいるかもしれませんが・・・)
それは、“「私」のミクではない”と割り切れるからです。
もしこれが、「清純派アイドル」の「AV出演」とかだったら、「大騒ぎ」になることでしょう・・・。
「バーチャル」だからこそ、リアルな束縛から解き放たれることが可能なのです。
不幸なことに、私は今まで「ミクファン」と「交流」したことがありません。
もし出逢えたら、もちろん「ミク」について“熱く”語り合うことでしょう・・・w
その中で「共通」の「お気に入り」があれば盛り上がるでしょうし、逆の場合(私が好きなのに、相手が嫌い・好きでないとか)があっても、お互いに“そうなの?!”くらいで無理に「押し付ける」ことはしないと思うのです。
「ミク」というのは、それくらい「大きな」存在なのです。
(ちっぽけな違いなんか、気にしないのです。)
私が考える「初音ミク」のヒットの最大の原因は、自分で「選べる」ということだと思うのです。
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
Chapter2:ハロプロ
私がいい年こいて「亜弥ヲタ(あややヲタ)」だった時、そのことを言われるよりも不快だったのが「ハロヲタ(ハロプロ・ヲタ)」と「混同」されることでした。
「あまぞん」でさえ、お得意様の私への“おすすめ商品”として、「モー娘。」などを紹介していました。
それが、嫌で嫌でたまらなく、ついに「メール」で“お断り”したことがありました・・・w
だって、2年半の間、1枚も買っていないのに、
“あややファンだから、「ハロプロ」も買うだろう・・・”
みたいに見られているようで、耐えられませんでした。
偶然のきっかけで彼女のキャラや才能に惚れて「あややファン」になったけど、その他の「ハロプロ」メンバーには全く興味がなかったし、むしろ「嫌悪感」さえ感じていました。
「彼女たち」のキャラや才能が私の「規格外」だったことが一番の理由でしたが、ファンたちの多くが「DD」と呼ばれていたことも大きかったです。
“(若い子なら)誰(D)でも、大(D)好き”
という姿勢は、まるで犬や猫などの「動物の赤ちゃん」感覚だと思ったからです。
才能や性格とかは関係なく「若い」「新しい」から好き(ファンになる)というのは、「失礼」だと思うからです。
そのせいかどうかはわかりませんが、「モー娘。」の「人気の維持」の手段のために(集団の中での「競争心」を煽るために)、「卒業」という手段をとりました。
「DD」を飽きさせないために、「新人」を入れることで「目先」の新しさを狙っていたのでしょうか・・・?
そのために、人気のあるメンバーを辞めさせることになったのですが、その主導権は「事務所」が持っていたのです。
それは、「DD」でない「推しメン」のいたファンを無視したものでした。
その結果、真っ当な「音楽ファン(パンピー)」の支持を急激に失っていきました。
「モー娘。」は一気に「国民的アイドルユニット」の座から転げ落ちて、「(DD)ヲタク」たちに飲み込まれていったのでした・・・。
「DD」は、常に「新人」を心待ちにして、現在のメンバーがいるにも拘らず、「上の空」状態になっていたのではないでしょうか・・・?
その新人も「若さ」を求めるあまり、次第に「低年齢化」していきました。
ギリギリ「中学生」くらいまでで、「小学生」にまで行ったら「犯罪」だと思うのです・・・w
参考までに、『めざまし』で「K-POP」の音楽イベントを取材していましたが、韓国でも「ガールズ・ユニット」が日本以上に人気でしたが、「中身」は日本とは大きく違っていました。
韓国では、「少女」というより「大人の女性」(日本で言えば「MAX」みたいなw)のユニットで、「ファン」も「中高生」が中心でした。
つまり、韓国では「大人の女性ユニットのセクシー」さに「少年・少女」が憧れるという図式のようでした。
日本では、「少女ユニットのカワイさ」に「大人の男」が「萌える」という構図と言えるでしょう。
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
Chapter3:総選挙という踏み絵
「AKB」誕生のいきさつは知りませんが、ブレイクのひとつの「キッカケ」が{総選挙」と呼ばれる人気投票にあったと思うのです。
(「握手会」とかの効果も絶大でしょうが・・・!)
当然「AKB」にも「DD」はいることでしょうが、「人気投票」という【踏み絵】を踏まされることで、「推しメン」を決めざるを得なくなったと思うのです。
「推しメン」が出来ることによって、メンバーの個性(キャラ・才能・性格)を知り、より深く愛する(ファンとして)ことになると思うのです。
この「総選挙」で重要なことは、「ファンが選ぶ」という点です。
「ハロプロ」では、「事務所」が勝手に突然に発表していたものを、ファンたちが自分たちで選ぶことが出来るのです。
つまり、
自分で「選べる」
のです。
しかも、「AKB総選挙」ではメンバーは入れ替わりがありますが、「卒業」はしないのです。
よく分かりませんが、「一軍落ち」しても「二軍」「三軍」に所属して「AKBチーム」の一員であり続けるのです。
今やっている「第2回総選挙」で、「帰り咲き」することも可能です。(逆も当然あるでしょう)
「メンバー内での競争意識」を高める手段であることは間違いないことで、その結果は握手会の列と同様に「人気のあるなし」が一目瞭然で“可哀そう”と言う意見もあるでしょうが、メンバーたちはそれを「承知」であの世界に入っていると思います。
(もちろん、それに耐えられらなくなれば、「辞める」ことも可能なのです。)
そうした「健気さ」も、彼女たちが「男の子たちw」を惹きつける魅力のひとつだと思うのです。
「AKB総選挙」という「踏み絵」システムによって「推しメン」を選択せざるを得なくなった「AKBファン」には、それぞれ
“俺の「AKB48」”
がある(いる)と言えるのではないでしょうか・・・?
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
Chapter4:青春の幻影~俺の恋人
「初音ミク」の成功の、もうひとつの重要な要素は「少女」であることを忘れてはいけないでしょう。
「VOCALOID」には「MEIKO」「鏡音リン・レン」など、年齢・性別の異なるタイプがあります。
その中で、「ミク」は大人でもない(MEIKO)、子どもでもない(リン・レン)、思春期の「少女」という絶妙なキャラ設定なのです。
“子どもから、大人の女へ”
への架け橋的な存在であり、
“こどもでもない、大人でもない”
「微妙」な存在であると同時に
“子どもでも、大人でも、どちらも”
存在しているとも言えるのです。
私も含めて、“少女に萌える”ヲタたちは、おそらく「思春期」にはあまりモテなかったと思うのです。
「萌える」とは、実りなく過ぎ去った「思春期」への憧れの「妄想」であると思うのです。
「ミク」や「AKB」という「美少女キャラ」に、モテない(モテなかった)男たちは「夢」を見るのです・・・。
「俺のミク」や「俺のAKB」に、かつて得られなかった【俺の恋人】の妄想を重ねているのではないでしょうか・・・?
(果たして、「嵐」の今年の最高記録を超えるのでしょうか・・・?)
そんな「国民的」アイドルユニットになった「AKB」について、ゆる~く語りたいと思います・・・。
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
最初は、「外堀」から始めます。
Chapter1:初音ミク
4月の『マグネット』の記念すべき第1回は、「初音ミク」特集でした。
最新(5/31日付)「アルバムランキング」で、ミクのコンピアルバムが「第1位」(枚数は2万枚ちょっとでしたが…)になるほど、じわじわとリアル世界にも進出しつつある「バーチャルアイドル」のヒットの原因を、「尻P」ことSF作家の「野尻抱介」氏は“不老不死のアイドル(歳を取らないアイドル)の誕生”と言い、かつての「バーチャルアイドル」(実態は、リアルでは「売れない」アイドル)にも関わった経験のあるミュージシャンの「戸田誠司」氏は“「自分の声」を持ったバーチャルアイドル”と捉えていました。
そうした、「ミク」ならではの「バーチャル性」も確かに重要ですが、それだけでは説明しきれない部分もあると思います。
「ミク」の誕生とオーバーラップして存在したもう一人の「バーチャルアイドル」に「元気ロケッツ(Genki Rockets)」の「Lumi」がいます。
彼女は2006年に“「2019年生まれ」の「30年後の17歳」”という正にバーチャルな存在として「華々しく」誕生しました。
2007年には、「LIVE EARTH 2007」の日本会場(幕張メッセ)のオープニングアクトで、奇しくも『ミクの日感謝祭』の「ミク」に先んじて「ホログラム出演」を世界に発信したのです・・・。
そんな「クール(カッコイイ)」な「元気ロケッツ」の「Lumi」の、今日の影響力は残念ながらほとんど「ゼロ」と言ってもいいでしょう。
「Lumi」は忘れ去られ「ミク」が愛され続けている理由は、先ほどの2氏の指摘とは別のものであることは、明白です。
やはり、一番の理由は、「ミク」の【本質】にあると思います。
それは、「ミク」は
(上から)与えられたアイドルではなく、(自分たちが)創り上げた(育て上げた)アイドル
であるということだと思います。
どんなに「クール」で「カワイイ」かもしれませんが、「Lumi」ちゃんは「所詮」【プロ】が作った「既製品」であり、わたしたちはそれをヒナのように「親鳥」が与えてくれるのを待っているしかなかったのです。
それは、「従来」のスタイルと全く同じことなのです。
一方の「ミク」は、「2万曲以上」とも言われるように、世界中のソフトのユーザー(「マスター」「調教師」)が次々と(今現在も)新しい作品を生み出しています。
このことは、実はたくさんの重要な「鍵」を含んでいると思うのです。
まず、作り手が「無数」にいるということです。
どんなに「優秀」な「プロ」であっても、ひとりの「能力」には限りがあります。
「テクニック」だけでなく「発想の多様性」にも当てはまると思うのです。
そうした「職人」の中には「プロ」の音楽関係者もいますが、大半は「素人」(職業人でない・専門分野ではない)です。
私は「持論」として、“「素人」こそが「偉大な仕事」をする”と常々思っています。
(この件については、また別の機会に・・・)
私たち「ミク」ファンを含めた「ファン」は、言ってみれば「素人」です。
だから、「職人」さんたちの存在に共感を持ち、その才能を賞賛し、支援さえしたいと思うのです。
そして、一番「重要」な要素は、
自分で「選べる」こと
だと思うのです。
「2万曲以上」の音楽を全て聴くことは現実的ではありません。「熱心さ」には差があるでしょが、自分が「聴いて」“いいなぁ”と思った曲があればそれを「選択」すればいいのです。
もちろん、厳密に言えば「ミク」も(多くの職人から)“与えられた”音楽かもしれませんが、その「膨大」な数の中から“自分で「選べる」”ということ(選択肢が非常に多いということ)が、その意識を「薄めている」と思うのです。
おそらく「100人」のミクファンがいれば、「100通り」の“俺のミク(ミクの曲)”があるのは間違いないでしょう・・・。
それは、数多くの作品を発表している「アーティスト」にも言えることではありますが、「ミク」の場合は更に「バラエティ】は豊になることは想像に難くありません。
そして、「ミク」には「バーチャルアイドル」ならではの特別な性格があるのです。
ミクは「フリー」なのです。
必要最小限の「設定」さえクリアすれば、「ミク」なのです。(それすらも、かなり「ユルイ」ですが・・・)
「ミク」には、様々な「派生キャラ」がいます。
「はちゅね」「亞北ネル」「弱音ハク」「・・・」。
それらは、全て「ミク」であると同時に、それを「選ばない」ことも可能なのです。
「リアル」な(人間の)場合は、そうはいきません。
一例を挙げれば、「羊水発言」は「倖田來未」にとっては一生付いて回る問題です。
(もちろん、それが「済んだ」とかは別問題としてですが)
「ミク」の「2次創作」の中には、同人誌などの「エロまんが(動画)」や「エロゲー」(ある?)などもあります。
それは、「男の欲望」の表れとして「必要悪」だと思います。
だからと言って、ミクが「汚れた(汚された)」とは考えません。(中には、憤慨するピュアなファンもいるかもしれませんが・・・)
それは、“「私」のミクではない”と割り切れるからです。
もしこれが、「清純派アイドル」の「AV出演」とかだったら、「大騒ぎ」になることでしょう・・・。
「バーチャル」だからこそ、リアルな束縛から解き放たれることが可能なのです。
不幸なことに、私は今まで「ミクファン」と「交流」したことがありません。
もし出逢えたら、もちろん「ミク」について“熱く”語り合うことでしょう・・・w
その中で「共通」の「お気に入り」があれば盛り上がるでしょうし、逆の場合(私が好きなのに、相手が嫌い・好きでないとか)があっても、お互いに“そうなの?!”くらいで無理に「押し付ける」ことはしないと思うのです。
「ミク」というのは、それくらい「大きな」存在なのです。
(ちっぽけな違いなんか、気にしないのです。)
私が考える「初音ミク」のヒットの最大の原因は、自分で「選べる」ということだと思うのです。
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
Chapter2:ハロプロ
私がいい年こいて「亜弥ヲタ(あややヲタ)」だった時、そのことを言われるよりも不快だったのが「ハロヲタ(ハロプロ・ヲタ)」と「混同」されることでした。
「あまぞん」でさえ、お得意様の私への“おすすめ商品”として、「モー娘。」などを紹介していました。
それが、嫌で嫌でたまらなく、ついに「メール」で“お断り”したことがありました・・・w
だって、2年半の間、1枚も買っていないのに、
“あややファンだから、「ハロプロ」も買うだろう・・・”
みたいに見られているようで、耐えられませんでした。
偶然のきっかけで彼女のキャラや才能に惚れて「あややファン」になったけど、その他の「ハロプロ」メンバーには全く興味がなかったし、むしろ「嫌悪感」さえ感じていました。
「彼女たち」のキャラや才能が私の「規格外」だったことが一番の理由でしたが、ファンたちの多くが「DD」と呼ばれていたことも大きかったです。
“(若い子なら)誰(D)でも、大(D)好き”
という姿勢は、まるで犬や猫などの「動物の赤ちゃん」感覚だと思ったからです。
才能や性格とかは関係なく「若い」「新しい」から好き(ファンになる)というのは、「失礼」だと思うからです。
そのせいかどうかはわかりませんが、「モー娘。」の「人気の維持」の手段のために(集団の中での「競争心」を煽るために)、「卒業」という手段をとりました。
「DD」を飽きさせないために、「新人」を入れることで「目先」の新しさを狙っていたのでしょうか・・・?
そのために、人気のあるメンバーを辞めさせることになったのですが、その主導権は「事務所」が持っていたのです。
それは、「DD」でない「推しメン」のいたファンを無視したものでした。
その結果、真っ当な「音楽ファン(パンピー)」の支持を急激に失っていきました。
「モー娘。」は一気に「国民的アイドルユニット」の座から転げ落ちて、「(DD)ヲタク」たちに飲み込まれていったのでした・・・。
「DD」は、常に「新人」を心待ちにして、現在のメンバーがいるにも拘らず、「上の空」状態になっていたのではないでしょうか・・・?
その新人も「若さ」を求めるあまり、次第に「低年齢化」していきました。
ギリギリ「中学生」くらいまでで、「小学生」にまで行ったら「犯罪」だと思うのです・・・w
参考までに、『めざまし』で「K-POP」の音楽イベントを取材していましたが、韓国でも「ガールズ・ユニット」が日本以上に人気でしたが、「中身」は日本とは大きく違っていました。
韓国では、「少女」というより「大人の女性」(日本で言えば「MAX」みたいなw)のユニットで、「ファン」も「中高生」が中心でした。
つまり、韓国では「大人の女性ユニットのセクシー」さに「少年・少女」が憧れるという図式のようでした。
日本では、「少女ユニットのカワイさ」に「大人の男」が「萌える」という構図と言えるでしょう。
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
Chapter3:総選挙という踏み絵
「AKB」誕生のいきさつは知りませんが、ブレイクのひとつの「キッカケ」が{総選挙」と呼ばれる人気投票にあったと思うのです。
(「握手会」とかの効果も絶大でしょうが・・・!)
当然「AKB」にも「DD」はいることでしょうが、「人気投票」という【踏み絵】を踏まされることで、「推しメン」を決めざるを得なくなったと思うのです。
「推しメン」が出来ることによって、メンバーの個性(キャラ・才能・性格)を知り、より深く愛する(ファンとして)ことになると思うのです。
この「総選挙」で重要なことは、「ファンが選ぶ」という点です。
「ハロプロ」では、「事務所」が勝手に突然に発表していたものを、ファンたちが自分たちで選ぶことが出来るのです。
つまり、
自分で「選べる」
のです。
しかも、「AKB総選挙」ではメンバーは入れ替わりがありますが、「卒業」はしないのです。
よく分かりませんが、「一軍落ち」しても「二軍」「三軍」に所属して「AKBチーム」の一員であり続けるのです。
今やっている「第2回総選挙」で、「帰り咲き」することも可能です。(逆も当然あるでしょう)
「メンバー内での競争意識」を高める手段であることは間違いないことで、その結果は握手会の列と同様に「人気のあるなし」が一目瞭然で“可哀そう”と言う意見もあるでしょうが、メンバーたちはそれを「承知」であの世界に入っていると思います。
(もちろん、それに耐えられらなくなれば、「辞める」ことも可能なのです。)
そうした「健気さ」も、彼女たちが「男の子たちw」を惹きつける魅力のひとつだと思うのです。
「AKB総選挙」という「踏み絵」システムによって「推しメン」を選択せざるを得なくなった「AKBファン」には、それぞれ
“俺の「AKB48」”
がある(いる)と言えるのではないでしょうか・・・?
・・・☆・・・☆・・・☆・・・
Chapter4:青春の幻影~俺の恋人
「初音ミク」の成功の、もうひとつの重要な要素は「少女」であることを忘れてはいけないでしょう。
「VOCALOID」には「MEIKO」「鏡音リン・レン」など、年齢・性別の異なるタイプがあります。
その中で、「ミク」は大人でもない(MEIKO)、子どもでもない(リン・レン)、思春期の「少女」という絶妙なキャラ設定なのです。
“子どもから、大人の女へ”
への架け橋的な存在であり、
“こどもでもない、大人でもない”
「微妙」な存在であると同時に
“子どもでも、大人でも、どちらも”
存在しているとも言えるのです。
私も含めて、“少女に萌える”ヲタたちは、おそらく「思春期」にはあまりモテなかったと思うのです。
「萌える」とは、実りなく過ぎ去った「思春期」への憧れの「妄想」であると思うのです。
「ミク」や「AKB」という「美少女キャラ」に、モテない(モテなかった)男たちは「夢」を見るのです・・・。
「俺のミク」や「俺のAKB」に、かつて得られなかった【俺の恋人】の妄想を重ねているのではないでしょうか・・・?