惜っしい惜っしい、広島~。に行ってまいりました。
ということで、「ニウツ姫の島」で紹介した邇保姫神社を再訪。前回、まだ復興中だった社殿はさすがにほとんど完成していた。あれから約2年経っているからな。
前回、参詣時(2011年5月)
復興が完了した拝殿
ただし、本殿の周囲などまだビニール・シートに覆われていて、工事が残っているもよう。
本殿の状況
仕上げの段階というところか
最初、見たときはびっくりした社地をめぐる打放しコンクリートの垂直擁壁。今回も強烈なインパクトを受けたが、しかし、このアングルで見るとまるで現代建築みたいな感じがする。
まるで安藤忠雄
上の画像は前回、撮影したもので
現在は石柵が追加されている
私は鉄筋コンクリート造の社殿が苦手だが、ここの擁壁は意外と違和感なく受け容れられる。普通のコンクリート・ブロックより清潔感があって良い感じする程だ。総じて、打放しコンクリートのようなモダニズムっぽい建築語彙は神社と相性が良い。伊勢神宮をパルテノン神殿と並べて評価したブルーノ・タウトという人だって、モダニズム系の人だろう。
ペット手水というものがあった。(^o^)
今回、社殿が完成して気がついたのは当社の本殿が平野部のほうを背にして、台地の縁に建っていることだ。邇保姫神社が載っている高台はかつては仁保島という島であったというから、しゅうへんの平野部はその頃、海だったはずである。
台地の縁で平野部を背にして建つ社殿
これをみていて、八十島の神を祀る摂津の生国魂神社も台地の縁で海の方角にむかって建っているのを連想させられた。当社のもともとの鎮座地は大阪城内にあったようだが、現在の立地もその頃のものを踏襲しているのではないか。生国魂神社の祭祀は、島々の霊を祀る海民の信仰に源流があるともいわれ、こうしたことからもとうがい邇保姫神社の海洋的な性格を感じる。そういう意味では『播磨国風土記』逸文のにある爾保都比売神の伝承にもっとも忠実な一面をもつ「にゅう神社」ということになりそうだ。
大阪市天王寺区の生国魂神社本殿
摂津国東生郡の式内明神大社、
「難波坐生国咲国魂神社(二座)」である
本殿は「生玉造」と呼ばれる特異な屋根の構造で知られる
当社の社殿は台地の縁に平野部を背に鎮座している
同上(中央の木立の向こうに本殿が写っている)
下の墓地のあたりはかつては海だったのではないか