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松之本遺跡で見つかった子持ち勾玉について(1/2)【大神神社(奈良県桜井市大字粟殿)】

2012年03月24日 18時03分11秒 | 大和の神がみ

 3月9日のニュースで、桜井市粟殿(おうどの)にある松之本遺跡から古墳時代後期(6~7世紀)の子持ち勾玉(まがたま)が発見されたと伝えられた。以下は産経ニュースからのコピペ。 

松之本遺跡子持ち勾玉発見地点はココ

Mapion

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ほぼ完全な子持ち勾玉 桜井・松之本遺跡から出土 奈良 2012.3.9 02:05 

 ■三輪山の神に豊作祈願? 古墳時代後期制作 

 縄文時代から中世にかけての集落跡「松之本遺跡」(桜井市粟殿)で、古墳時代後期(6~7世紀)に制作されたとみられる、豊作などを願う祭具の子持ち勾玉(まがたま)がほぼ完全な状態で見つかり、県立橿原考古学研究所が8日、発表した。橿考研は「三輪山周辺の古代祭祀(さいし)を知る手がかりになる」としている。 

 同遺跡の古墳時代の集落跡約950平方メートルを調査したところ、北東隅の水路跡で長さ約8センチ、幅約5センチ、厚さ約2・5センチの子持ち勾玉が出土した。 

 胴体の腹部と両脇、背面にそれぞれ「子」を表現した突起物が加工されており、片脇の突起物の一部が欠けているほかは、ほぼ完全な状態だった。 

 重さは約130グラムで、和歌山県紀の川市の貴志川流域の滑石を使用しているという。今回の出土場所近くで別の上半分が欠けた子持ち勾玉(長さ約5センチ)も見つかった。 

 橿考研によると、県内の子持ち勾玉の出土例は過去に56点あり、うち32点が三輪山周辺の遺跡で確認されているという。 

 今回の調査地からは5棟の掘っ立て柱建物跡が出土しており、いずれも軸線が北東約1・5キロの三輪山に向いていることから、橿考研は「三輪山の神に豊作や繁栄を願った祭祀用の子持ち勾玉ではないか」としている。 

 出土した子持ち勾玉や土器片などは10~25日、橿考研の付属博物館(橿原市畝傍町)で特別展示される。入館料が必要。問い合わせは同博物館((電)0744・24・1185)。 

 ★橿原考古学研究所が、記者発表で使った資料のPDFファイルをネット上にアップしている。調査結果の平面図や子持ち勾玉の実測図などもあるためたいへん参考になる。一緒に参照されたし。 

  → 橿原考古学研究所『桜井市松之本遺跡出土子持勾玉 報道発表資料

 

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 このニュースにもあるようにこれまで奈良県下の子持ち勾玉は、三輪山しゅうへんからの発見例が多く、とくに大神神社の境内にそれが集中していた。このため、この形式の勾玉は三輪山祭祀において特権的に使用されたと考えられている。

大神神社拝殿
比較的近年における三輪山々麓しゅうへんからの子持ち勾玉発見例としては、
大神神社境内の防災工事中に発見された3点、
三つ鳥居の解体修理中に発見された1点などがある

この外、江戸時代の文献にも三輪出土とされるものの記載が8点ある等
大神神社の境内に発見例が集中している

 今回、子持ち勾玉が発見された場所は三輪山々麓から南西に約1.5km離れた場所で、その間には両者を分断するような格好で初瀬川も流れている。しかし、同時に発見された5棟の掘っ立て柱建物跡はいずれも東北にある三輪山々頂を向いており(詳しくは、橿原考古学研究所の『桜井市松之本遺跡出土子持勾玉 報道発表資料』の図3(p6)を参照)、子持ち勾玉が三輪山祭祀の指標となる遺物であることを考え合わせると、これらの建物はこの山を遙拝する宗教施設だったことを感じさせる

三輪山

大神神社の神体山である

同上

 じつは、松之本遺跡が広がる桜井市の松之本・粟殿・上ノ庄にまたがるエリアは、神社の分布からも三輪山祭祀と関係深い地域であったことが確かめられるのだ。というのも、このエリア内には大神神社の系列社の分布が非常に顕著なのである。 

 まず、今回の調査地点から南東に約500mほど離れた粟殿字屋敷には大神神社という神社が鎮座している。いつの頃にか本社の大神神社から勧請されたものだろう。

 ちなみに、当社を式内社の桑内神社にあてる説もあるが、『式内社調査報告』は否定的だ

桜井市粟殿の大神神社

境内が狭く、撮影に向かない神社だ

 いっぽう、近世初頭の成立と言われる『三輪流神道深秘鈔』には「二ツ神松ノ本ノ神忍坂宮イクネ大明神、イヅレモ三輪ノ大明神ノ御子ノ神トイヘリ」という記述がある(『神道大系 大神・石上』p111)。

 「二ツ神(ノ神)」、「松ノ本ノ神」、「忍坂宮イクネ大明神」という3っの神社は、いずれも三輪神の御子神であるというのだ。 

 このうち、「忍坂宮イクネ大明神」というのは桜井市忍坂にある式内社の忍坂坐生根神社のことである。当社は子持ち勾玉発見地点から離れた場所に鎮座しているが、残りの2社が問題である。

忍坂坐生根神社

当社の拝殿
大神神社と同じく山を神体として本殿がなく、
拝殿だけの構えの神社である

 まず、「二ツ神」というのはちょうど粟殿と上ノ庄の境のあたりに「二ツ神」という字名があるのでその辺りにあった神社らしい。桜井市役所のすぐ西で、今回、子持ち勾玉が発見された地点からは南に7~800mしか離れていない。そこには明治の始め頃まで12坪の土壇があり稲荷神社が祀られていたというから、これがその後裔社だったのだろうか。この稲荷神社は現在は遷されて、式内・殖栗神社の境内社となっている。 

 「松ノ本ノ神」の所在については分からないが、松之本のどこかに祀られていたことは間違いなかろう。となると、これもやはり子持ち勾玉発見地点から近い場所にあったはずである。この神社の手がかりがこうも残っていないのは、初瀬川に近い場所に鎮座していたので水害により社地が失われたせいかもしれない。 

 ともかくこのように、大神神社の系列社が3社も分布していることから、このいったいが三輪山祭祀と非常に関係の深い場所であったことが分かる。今回の発見はそうした祭祀が6~7世紀まで遡ることを示唆するものだ

 

松之本遺跡で見つかった子持ち勾玉について(2/2)」つづく