ヘッドフォンをしていても、
聞こえてくる位の、
激しい雨が降ってきました。
夜、家の中に居る時の雨は好きです。
と、少女のようなことを49のおっさんが書いています(爆)。
ちょっと前に読んでた本で、
面白いなと思った部分を引用させて頂きます。
「わかりあえないことから」平田オリザ著
「冗長率」という言葉がある。
一つの段落、一つの文章に、どれくらい意味伝達とは関係のない無駄な言葉が含まれているかを、数値で表したものだ。
中略
私たちが、「あの人は話がうまいな」「あの人の話は説得力があるな」と感じるのは、実は冗長率が低い人に出会った時ではない。冗長率を時と場合によって操作している人こそが、コミュニケーション能力が高いとされるのだ。
中略
日本の国語教育は、この冗長率について、低くする方向だけを教えてきたのではなかったか。「きちん喋れ」「無駄なことは言うな」・・・・・だが、本当に必要な言語運用能力とは、冗長率を低くすることではなく、それを操作する力なのではないか。
だとすれば、国語教育において、本当に今後、「話す・聞く」の分野に力を入れていこうとするならば、少なくともスピーチやディベートばかりを教え冗長率を低くする方向にだけ導いてきたこれまでの教育方針は、大きな転換を迫られるべきだろう。
以下、鈴木の文章です。
私達の生活の中に、
相手の時間への配慮、というものがありますよね。
礼儀、マナーとして、
相手の時間を極力奪わない。
そのためには、冗長率は低い方がいい。
とは言え、やはり、人と人とは、
同じ時間を、同じ経験を共有することで、
距離を近づけていくといった事があると思います。
無駄話も含め、
時間をかけて、どっぷりとあれこれ話し合う。
こういったことも、
とても大切ですよね。
学生時代の友人たちのことを、
とても大切だと思うのは、
瞬間瞬間に輝いた無駄な時間を、
共に共有したからではないのかな。と。
今は新しく出会う人達とは、
どちらかが意識していないと、
必要以上の時間を共に過ごすことはありません。
それでも、もし、
長い時間、一緒にいれば、
その間に、一緒に、
お茶も飲むし、
ごはんも食べれば、
お酒も飲む。
そんな時間の中、
当然、冗長率も上がる。
相手の考え方がわかったり、
美味しいものを一緒に食べる、といったハッピー体験を共有したり、
立場を離れて、一人の人間としての、
強さや弱さを見せ合ったり、
そんなことをするなかで、
ハイコンテクストな会話も可能になるよなーと、
そんな事を考えました。
副次的な作用として、
結局、それが後のち、
コミュニケーション上での、
時間短縮になる。。。
へー。冗長率、大事なんだ。
このブログ、
無駄話ばかりです(爆)。。。
最近の出来事。
・自己学習サポート受講生の方々へのフィードバック、なんとか進めています。
・この週末、ニュース英語音読、ぶっ通しの5時間×2回やりました。
・この週末、次男(7歳)との将棋対決、飛車角抜きで圧勝しました(爆)。
・先週末、クライアントご担当、ビジネスパートナーと2度目の飲みがありました。超楽しかった。
・あるアポの後、ランチで食べた、中野「さいころ」というお店のラーメンが超美味しかった。
最近、髪の毛がすごく抜けます。
円形脱毛症が止まらない。
ストレスが原因、と、一般的に言われておりますが、
私にとって、この、髪が抜ける、という事が、
ホント、一番のストレスです。
今後、私の髪、
以前のように復活するのか???
乞うご期待!(爆)
B.G.M.はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=RqB5fTkYfmY
「私がおばさんになったら、あなたはおじさんよ。
カッコいい事ばかり言っても、お腹がでてくるのよ。」
深いなー(爆)。。。