10月18日の夜に名古屋入り。
今日、10月21日の夜に、新百合ヶ丘に戻ってきました。
今回の目的は、認知症が進んできている母に会うため。
19日、20日、21日と、毎日会いに行ったのですが、
前日に会ったことは覚えておらず、
また、3日とも、施設内で一緒にコーヒーを飲んだのですが、
毎回、「あー、コーヒーなんか飲むの久しぶりやわー」と言う。
で、私の、名古屋での宿泊について、新幹線のチケットについて、友達について、同窓会について、
母の子供のころの話、先に亡くなった夫(つまり私にとっての父、母はパパと呼ぶ)の話、
名古屋のご近所さんの話、などなど、毎回、同じ話が、1分もしないうちに、何度も繰り返される。
私も、同じ話に戻らないよう、極力、何か新しい質問をするのですが、
それでも、時に、質問には答えず、また、元の、いつもの話題に戻って行ったりする。
この1年位、会うたび、本当に同じ話を繰り返しているのです。
その繰り返されるまでの時間が、前々回に会ったときより前回、
前回よりも今回、と、
どんどん、短くなってきているのです。。。
ま、仕方ないけどな、と諦めムードではあったのですが、
ところが、今日、こんなことがありました。
今日は、寿司屋をやっている友人にお願いして、
開店前に、上にぎりの折を、2つ(母と私の分)、用意をしてもらって、
昼食の前の時間に施設に到着して、
母と一緒に、母の好物のお寿司を食べたのです。
(施設の昼食は、前日にキャンセルをしていました)
そうしたら、これまで、あまり聞いたことがない、
父が好きだった、名古屋のレストランの店の話が出て、
私も、あれこれ、話をつなげて、新大阪の新幹線の駅のうどんの話、
京都のイノダという喫茶店の話などに移って、
京都に住んでいた時の話題になりました。
私、名古屋で育っているのですが、
生まれたのは京都で、
京都から名古屋に引っ越したのは、
私が2歳のときなので、
私は全く記憶がなく、
これまで、京都での生活について、
あまり、私が質問したことはないのですが、
私が、「京都の家の近くに、市場はあったん? どこで買い物してたん?」
と尋ねると、
「えー、覚えてへんわ。どこで買い物してたんやろ」
と言っていたのですが、急に、
「あー、うちの近所に、お義母さんが懇意にしてはった八百屋さんがあって、
そこで、よう、買うてたわ。その道を渡った先にも市場があったなぁ」
と、全く初めての情報。
で、京都の話をあれこれしていたら、
突然、母が、いつになく大きな想い出し笑いをしたので、
びっくりしました。
で、また、初めて聞く話が続きました。
「京都のウチの家、住所が京都市右京区花園・・・・・」
と、もう私も忘れましたが、なんだか、その後もダラダラと続く長い住所だったのですが、
(母はちゃんと全部、言っていました。昔の記憶は残っているのです。)
で。
「清一(私の兄、長男)が小さい時に、住所言わせてみた時があってなぁ」と。
「そうしたら、住所が長すぎて、覚えられへんもんやから、
京都市右京区花園とんでんかんでん、とか言うて」
で、その「とんでんかんでん」
の誤魔化し方と言い方が、とても可愛らしかったらしく、
「あの時、パパが喜んで、面白がってな、
ウチの住所、なんやった?って、清一に何回でも聞かはんねん。」
と。
いやはや、
あんな大きな笑い声を聞いたのも久しぶりでしたし、
あんな大きな笑顔も久しぶりでした。。。
今、88歳かな。
部屋のテレビも観ていないようですし、
新聞が部屋にありましたが、
読んでいるのかな?
(ラグビーの話は、全く知りませんでした。ま、当たり前ですが。)
それでも、何かの話題で話ができること、
私は嬉しいし、母は母で、
毎日の中で、何か、
楽しみを見出してほしいな、と思います。
想い出でも、いいと思います。
何か、楽しいと思えることがあって、
笑っている時間が増えてくれれば。
今日、10月21日の夜に、新百合ヶ丘に戻ってきました。
今回の目的は、認知症が進んできている母に会うため。
19日、20日、21日と、毎日会いに行ったのですが、
前日に会ったことは覚えておらず、
また、3日とも、施設内で一緒にコーヒーを飲んだのですが、
毎回、「あー、コーヒーなんか飲むの久しぶりやわー」と言う。
で、私の、名古屋での宿泊について、新幹線のチケットについて、友達について、同窓会について、
母の子供のころの話、先に亡くなった夫(つまり私にとっての父、母はパパと呼ぶ)の話、
名古屋のご近所さんの話、などなど、毎回、同じ話が、1分もしないうちに、何度も繰り返される。
私も、同じ話に戻らないよう、極力、何か新しい質問をするのですが、
それでも、時に、質問には答えず、また、元の、いつもの話題に戻って行ったりする。
この1年位、会うたび、本当に同じ話を繰り返しているのです。
その繰り返されるまでの時間が、前々回に会ったときより前回、
前回よりも今回、と、
どんどん、短くなってきているのです。。。
ま、仕方ないけどな、と諦めムードではあったのですが、
ところが、今日、こんなことがありました。
今日は、寿司屋をやっている友人にお願いして、
開店前に、上にぎりの折を、2つ(母と私の分)、用意をしてもらって、
昼食の前の時間に施設に到着して、
母と一緒に、母の好物のお寿司を食べたのです。
(施設の昼食は、前日にキャンセルをしていました)
そうしたら、これまで、あまり聞いたことがない、
父が好きだった、名古屋のレストランの店の話が出て、
私も、あれこれ、話をつなげて、新大阪の新幹線の駅のうどんの話、
京都のイノダという喫茶店の話などに移って、
京都に住んでいた時の話題になりました。
私、名古屋で育っているのですが、
生まれたのは京都で、
京都から名古屋に引っ越したのは、
私が2歳のときなので、
私は全く記憶がなく、
これまで、京都での生活について、
あまり、私が質問したことはないのですが、
私が、「京都の家の近くに、市場はあったん? どこで買い物してたん?」
と尋ねると、
「えー、覚えてへんわ。どこで買い物してたんやろ」
と言っていたのですが、急に、
「あー、うちの近所に、お義母さんが懇意にしてはった八百屋さんがあって、
そこで、よう、買うてたわ。その道を渡った先にも市場があったなぁ」
と、全く初めての情報。
で、京都の話をあれこれしていたら、
突然、母が、いつになく大きな想い出し笑いをしたので、
びっくりしました。
で、また、初めて聞く話が続きました。
「京都のウチの家、住所が京都市右京区花園・・・・・」
と、もう私も忘れましたが、なんだか、その後もダラダラと続く長い住所だったのですが、
(母はちゃんと全部、言っていました。昔の記憶は残っているのです。)
で。
「清一(私の兄、長男)が小さい時に、住所言わせてみた時があってなぁ」と。
「そうしたら、住所が長すぎて、覚えられへんもんやから、
京都市右京区花園とんでんかんでん、とか言うて」
で、その「とんでんかんでん」
の誤魔化し方と言い方が、とても可愛らしかったらしく、
「あの時、パパが喜んで、面白がってな、
ウチの住所、なんやった?って、清一に何回でも聞かはんねん。」
と。
いやはや、
あんな大きな笑い声を聞いたのも久しぶりでしたし、
あんな大きな笑顔も久しぶりでした。。。
今、88歳かな。
部屋のテレビも観ていないようですし、
新聞が部屋にありましたが、
読んでいるのかな?
(ラグビーの話は、全く知りませんでした。ま、当たり前ですが。)
それでも、何かの話題で話ができること、
私は嬉しいし、母は母で、
毎日の中で、何か、
楽しみを見出してほしいな、と思います。
想い出でも、いいと思います。
何か、楽しいと思えることがあって、
笑っている時間が増えてくれれば。