花粉の季節。
鼻が詰まって、ぼーっとします。
それでも、今年は、
くしゃみが少なくて、助かっています。
くしゃみをする際、
力の加減ができないので、
肩や首に力が入りすぎてしまって、
この時期、痛くなったりしてしまうのですが、
今年はそれがない分、楽です。
昨日は、ある方とランチでした。
この方は、年間にものすごい数の本を読まれているので、
おすすめの本を伺うだけでも、ありがたいです。
昨年の同じ時期にもお会いして、
その時は、2冊、教えていただきました。
「エクサスケールの衝撃」
「ライフシフト」
それぞれ、面白かったです。
今年は、6冊ほど、教えていただいたので、
また、すこしずつ読んでいこうと思います。
本といえば。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」
学生時代に何度も読みました。
文春の文庫本では、全8巻です。
名古屋には持っているのですが、
この家には持っていません。
ふと、第8巻(日露戦争での日本海海戦が中心)が読みたくなって、
先日、本屋に行ったら、この第8巻だけありませんでした。
そのあと、ブックオフに2軒行った際にも探したのですが、
第8巻だけありませんでした。
ここが好きな人が多いのですね(爆)。
で、先日、大きな本屋でようやく手に入れて、
読んだのですが、
以前には多分気にせず、通り過ぎた「あとがき」のところどころに、
司馬遼太郎の歴史の捉え方が感じられて、
興味深かったです。
少し長くなりますが、引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子規について、ふるくから関心があった。
ある年の夏、かれが生まれた伊予松山のかつての士族町をあるいていたとき、子規と
秋山真之が小学校から大学予備門までおなじコースを歩いた仲間であったことに気づき、
ただ子規好きのあまりしらべてみる気になった。小説にかくつもりはなかった。調べる
につれて妙な気持になった。このふるい城下町にうまれた秋山真之が、日露戦争のおこ
るにあたって勝利は不可能にちかいといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦
をたて、それを実施した男であり、その兄の好古は、ただ生活費と授業料が一文もいら
ないというだけの理由で軍人の学校に入り、フランスから騎兵戦術を導入し、日本の騎
兵をつくりあげ、とうてい勝ち目はないといわれたコサック騎兵集団とたたかい、かろ
うじて潰滅をまぬがれ、勝利の線上で戦いをもちこたえた。かれらは、天才というほど
の者ではなく、前述したようにこの時代のごく平均的な一員としてこの時代人らしくふ
るまったにすぎない。この兄弟がいなければあるいは日本列島は朝鮮半島をもふくめて
ロシア領になっていたかもしれないという大げさな想像はできぬことはないが、かれら
がいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがい
ない。
そういうことを、書く。どれほどの分量のものになるか、いま、予測しにくい。
昭和四十四年三月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ここから鈴木の文)
人の人生というのは、個々にとって、当然、大きな意味があって、
どこで生まれて、誰に出会って、こんな偶然があって、ということの、
ひとつひとつがとても大きな影響をもたらします。
例えば、ある帰り道、たまたま少し寄り道したら、懐かしい友人と再会して、
そのあと、一緒にビジネスを始めて、その会社が世界一の会社になったとか、
例えば、朝、小さな子供がぐずついて、家を出るのが遅れた挙句、乗る予定
飛行機を逃したら、その飛行機が墜落して、命拾いをした、とか。
人生を左右するようなことは、どこに転がっているかわかりません。
それでも、歴史の中では、そんな偶然があろうがなかろうが、
そして、仮にその人がこの世に存在しなくても、
大きな流れは、何も変わらない。
「あとがき 二」では、こんなことが書かれているので、引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
要するにロシアはみずからに敗けたところが多く、日本はその優れた計画性と敵軍
のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろ
う。
戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうと
はしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、そ
の部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく
後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけ
て敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあた
え、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などと
いうものはまことに不可思議なものである。
昭和四十四年十月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間万事塞翁が馬
本当に、何が良くて何が良くないのか、
わかりませんよね。
さて、さて。
ちょうど、数日前に観た映画、
何気に魅き込まれました。
「百円の恋」
主演の女優がすごく良くて、
あとで調べたら、
安藤さくらという人で、
奥田瑛二と安藤和津の娘さんでした。
今日のB.G.M.はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=jbRLWdQEVDE
0:19
せっかくの土曜の夜なので、
このアルバムを聞きながら、
もう少し本でも読んでから寝ます。
とりあえず、
おやすみなさい。。。
鼻が詰まって、ぼーっとします。
それでも、今年は、
くしゃみが少なくて、助かっています。
くしゃみをする際、
力の加減ができないので、
肩や首に力が入りすぎてしまって、
この時期、痛くなったりしてしまうのですが、
今年はそれがない分、楽です。
昨日は、ある方とランチでした。
この方は、年間にものすごい数の本を読まれているので、
おすすめの本を伺うだけでも、ありがたいです。
昨年の同じ時期にもお会いして、
その時は、2冊、教えていただきました。
「エクサスケールの衝撃」
「ライフシフト」
それぞれ、面白かったです。
今年は、6冊ほど、教えていただいたので、
また、すこしずつ読んでいこうと思います。
本といえば。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」
学生時代に何度も読みました。
文春の文庫本では、全8巻です。
名古屋には持っているのですが、
この家には持っていません。
ふと、第8巻(日露戦争での日本海海戦が中心)が読みたくなって、
先日、本屋に行ったら、この第8巻だけありませんでした。
そのあと、ブックオフに2軒行った際にも探したのですが、
第8巻だけありませんでした。
ここが好きな人が多いのですね(爆)。
で、先日、大きな本屋でようやく手に入れて、
読んだのですが、
以前には多分気にせず、通り過ぎた「あとがき」のところどころに、
司馬遼太郎の歴史の捉え方が感じられて、
興味深かったです。
少し長くなりますが、引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
子規について、ふるくから関心があった。
ある年の夏、かれが生まれた伊予松山のかつての士族町をあるいていたとき、子規と
秋山真之が小学校から大学予備門までおなじコースを歩いた仲間であったことに気づき、
ただ子規好きのあまりしらべてみる気になった。小説にかくつもりはなかった。調べる
につれて妙な気持になった。このふるい城下町にうまれた秋山真之が、日露戦争のおこ
るにあたって勝利は不可能にちかいといわれたバルチック艦隊をほろぼすにいたる作戦
をたて、それを実施した男であり、その兄の好古は、ただ生活費と授業料が一文もいら
ないというだけの理由で軍人の学校に入り、フランスから騎兵戦術を導入し、日本の騎
兵をつくりあげ、とうてい勝ち目はないといわれたコサック騎兵集団とたたかい、かろ
うじて潰滅をまぬがれ、勝利の線上で戦いをもちこたえた。かれらは、天才というほど
の者ではなく、前述したようにこの時代のごく平均的な一員としてこの時代人らしくふ
るまったにすぎない。この兄弟がいなければあるいは日本列島は朝鮮半島をもふくめて
ロシア領になっていたかもしれないという大げさな想像はできぬことはないが、かれら
がいなければいないで、この時代の他の平均的時代人がその席をうずめていたにちがい
ない。
そういうことを、書く。どれほどの分量のものになるか、いま、予測しにくい。
昭和四十四年三月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
(ここから鈴木の文)
人の人生というのは、個々にとって、当然、大きな意味があって、
どこで生まれて、誰に出会って、こんな偶然があって、ということの、
ひとつひとつがとても大きな影響をもたらします。
例えば、ある帰り道、たまたま少し寄り道したら、懐かしい友人と再会して、
そのあと、一緒にビジネスを始めて、その会社が世界一の会社になったとか、
例えば、朝、小さな子供がぐずついて、家を出るのが遅れた挙句、乗る予定
飛行機を逃したら、その飛行機が墜落して、命拾いをした、とか。
人生を左右するようなことは、どこに転がっているかわかりません。
それでも、歴史の中では、そんな偶然があろうがなかろうが、
そして、仮にその人がこの世に存在しなくても、
大きな流れは、何も変わらない。
「あとがき 二」では、こんなことが書かれているので、引用します。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
要するにロシアはみずからに敗けたところが多く、日本はその優れた計画性と敵軍
のそのような事情のためにきわどい勝利をひろいつづけたというのが、日露戦争であろ
う。
戦後の日本は、この冷厳な相対関係を国民に教えようとせず、国民もそれを知ろうと
はしなかった。むしろ勝利を絶対化し、日本軍の神秘的強さを信仰するようになり、そ
の部分において民族的に痴呆化した。日露戦争を境として日本人の国民的理性が大きく
後退して狂躁の昭和期に入る。やがて国家と国民が狂いだして太平洋戦争をやってのけ
て敗北するのは、日露戦争後わずか四十年のちのことである。敗戦が国民に理性をあた
え、勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などと
いうものはまことに不可思議なものである。
昭和四十四年十月
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
人間万事塞翁が馬
本当に、何が良くて何が良くないのか、
わかりませんよね。
さて、さて。
ちょうど、数日前に観た映画、
何気に魅き込まれました。
「百円の恋」
主演の女優がすごく良くて、
あとで調べたら、
安藤さくらという人で、
奥田瑛二と安藤和津の娘さんでした。
今日のB.G.M.はこちら。
https://www.youtube.com/watch?v=jbRLWdQEVDE
0:19
せっかくの土曜の夜なので、
このアルバムを聞きながら、
もう少し本でも読んでから寝ます。
とりあえず、
おやすみなさい。。。