パネルディスカッション。 2007-02-26 21:53:53 | Weblog パネリストは、先の田村教授に加え、広島大学のカロリン・フンク氏、当研究会議相談役で内子の町並み保存を進めた岡田文淑氏。 「21世紀愛媛-むら・まちのかたち」というテーマで話が進められた。 フンク氏の外国人から見た、興味深く示唆的な日本の在りようや、岡田氏の現状に対する課題提起など、これらの内容については、目下、研究会議の20周年記念誌に掲載予定である。
20周年シンポ・スナップ。 2007-02-26 21:45:51 | まちづくり 法政大学名誉教授田村明氏による基調講演の後は、パネルディスカッション。 えひめ地域づくり研究会議の若松進一代表運営委員による軽妙な司会で討議が続く。 写真は、研究会議が事務局を置く(財)えひめ地域政策研究センターで年四回発行されている県下のまちづくりネットワーク誌「舞たうん」の紹介。 県下各20市町を中心に、まちづくり関係グループや研究会議会員に発送されているが、愛媛のまちづくり情報が満載で結構重宝がられている。 問い合わせ先 ℡089-932-7750
「玉三(たまさん)」とは。 2007-02-24 22:08:16 | まちづくり 川瀬歌舞伎が上演した「玉三」であるが、正式名称は「玉藻前旭袂三段目 道春館の段」。 金藤治の難題に困り果てている萩の方とその娘二人。 と言っても、内容はなかなか難しい。 浄瑠璃と違って、歌舞伎の独特な言い回しは、原典を知らない私のような現代人?にとっては、語りを聞くだけで内容を理解するのは至難の業。 詳しくは、下記を参照。分かりやすく解説されている。 http://www.minamiawaji.ed.jp/ichi_es/tama3/story.htm
川瀬歌舞伎の上演。 2007-02-24 09:55:16 | まちづくり 20周年記念シンポに先立って、久万高原町に伝わる伝統芸能「川瀬歌舞伎」が上演された。 研究会議の設立当初からの中心メンバーである渡辺浩二氏(写真・中)も、迫力のある日頃の鍛錬成果を披露した。 出し物は「玉三(たまさん)」。
「えひめ地域づくり研究会議」20周年シンポ。 2007-02-24 09:41:38 | まちづくり こちらの内子座の写真は、2月10日に行われた「えひめ地域づくり研究会議」20周年記念シンポジュームの様子。 この県内有志で形成するまちづくりグループは、20年前にこの内子座で「風おこしの誓い」を高らかに謳いあげ誕生した。 しかし、今や平成の大合併により行政スタイルは大きく変わり、この20年で地域は様々に変貌している。それらは悲喜こもごもの様変わりであるが、活力と言う意味では大きく変わった代表がこの内子かも知れない。 内子の八日市・護国地区が国重要伝統的建造物群保存地区に選定されたのが昭和57(1982)年で、内子座の改修保存が同60(1985)年。研究会議の設立が同62(1987)年である。 写真は、法政大学名誉教授田村明氏による「まちづくりと景観」の基調講演。
内子座でフォーラム中! 2007-02-22 16:37:47 | まちづくり 「地域ブランド仕掛人フォーラムin内子」の様子。 ごっくん馬路村のデザイン仕掛人である松崎了三氏。新宮の霧の森で抹茶大福を幻の銘品にした大原一郎氏。などなど、面白く核心を突いた話が飛び交った。
今、内子。 2007-02-22 12:56:10 | まちづくり 地域ブランド開発の関係で、これから午後内子座でフォーラムがあるが、昼食にご覧の珍しいものが登場。商品名は「海ぶどう」。阿南市大潟の漁協で開発したグリーンパールキャビア。元々沖縄の宮古島産らしいが、市場に近い綺麗な海ということで、会社を立ち上げたらしい。味はプチプチと不思議な食感。
山神社。 2007-02-22 01:06:04 | 産業遺産 鉱山地帯には、全国どこでも、大体「山(さん)神社」なるものが存在する。 近代になってからも、山からの恩恵に感謝し、鉱石採取の安全無事をも祈願したものと思われる。生活の糧としては、耕地の殆ど無い急傾斜地ばかりの半島にあって、銅山開発の経済効果は、計り知れない富をこの地にもたらせた。
鉱山半島、佐田岬。 2007-02-22 00:46:43 | 産業遺産 佐田岬半島は、鉱山だらけで、実は半島じゅうが穴ポコだらけである。 そういう臨場感は、現代では全く感じられないが、かつてのそうした姿を髣髴とさせるであろう面白い企画展「銅の時代」が、近く催される。 場所は、伊方町二見にある「町見郷土館」。 2月24日から5月13日まで。 連絡先は・・TEL0894-39-0241 因みに、この写真は、そうした事の手がかりの一つである、“ズリ”と呼ばれる鉱石捨て場。銅鉱山から掘り出された大量の青石が、積み重なって層になっている。こうしたジミーな存在が半島のアチコチにはよく見受けられ、熱かった銅の時代を今も静かに伝えている。