岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

門を入ると・・・。

2007-04-14 01:47:53 | Weblog


この長屋門を入ると、アラ不思議、数年前にボーリングをしたら温泉が湧いたという、嘘のようなホントの話。
温度は高くないが、確かに触るとヌルヌル感があり、硫黄の臭いもする。

旧大塚家長屋門の箱棟。

2007-04-14 01:41:13 | 建見楽学


長い屋根瓦の上には、箱棟と呼ばれる板状の飾り瓦が連なり、双龍が左右でニラミ合っている。
この写真はその片方。阿吽(あうん)の阿の方である。
モチロン雲を呼び雨を降らす龍は、防火のおまじないだし、登竜門のエピソードを持ち出すまでもなく、その家の末永き発展とイヤサカを祈る。

地域“楽”講座、野外編。

2007-04-14 01:33:47 | 建見楽学


宇和で、毎月第三木曜に行っている地域“楽”講座初の野外編として、この八日「宇和盆地の庄屋巡り」を行った。
「地域“楽”講座」とは、音を楽しむのが音楽なら、地域を楽しむのが地域“楽”、というノリでスタートした。
主催は、宇和中町を守る会の「2008卯之町ゼミ実行準備委員会」。

中町(なかのちょう)の町並みのみならず、宇和盆地には実に豊かな歴史景観が広がっている。そうした周囲にも目を向けて、複眼的に地域を見て楽しもうという魂胆である。
写真は、かつて稲生(いのう)地区の庄屋だった旧大塚家長屋門で、現在は上甲家となっている。間口の長さは宇和盆地最大。大層な門を建て過ぎたカドで、その時の庄屋は左遷されたという曰く付きの門でもある。
写真には全体の三分の二が写っているが、長過ぎて全容がカメラのファインダーに入らない。

宇和盆地の模型。

2007-04-13 11:52:20 | 地形観察


この「宇和盆地の模型」は、米博物館(旧宇和町小学校第一校舎)内に展示してあるもので、全体がよく分かる。

肱川の最上流部に位置する宇和盆地は、標高約200~220メートルほど。周縁部の山すそ辺りで250メートルくらいになる。
肱川の源流地点としては、写真中央最上部の宇和町久保・河内あたり。国道56号線の鳥坂峠近くである。南流して盆地内の降水を集めた宇和川は、やがて東流から北流に転じて野村ダム、鹿野川ダムを経由してぐるりと反時計周りに大洲盆地へと至り、そのまま北西方向、長浜で瀬戸内海に注ぐ。

写真中央下部の、平地が狭くなった所に、主邑“卯之町”が位置する。丁度、中世期にこの地を治めた西園寺公の拠城であった松葉城(北・上)と黒瀬城(南・下)にはさまれた地点でもある。
その右、南北(上下に)に縦に続く平地部が田野筋地区で、現在は高速道のルートと重なり、西予ICから北へ大洲ICへとつながる。
一方JRは、模型の左上(八幡浜方面)から右下(宇和島方面)へと走り、その沿線沿いが盆地内で最も広い田野の景観を見せる石城(いわき)平野(画面左方)である。宇和島藩時代に限らず、南予では今も最も豊かな穀倉地帯となっている。

旧魚成小講堂-Ⅷ

2007-04-06 11:07:36 | 建見楽学


屋根裏トラスのアップ。

隣町野村にある旧野村警察署武徳殿(昭和9年築)と、この旧魚成小学校講堂(昭和10年築)とを比較すると、外壁の左官装飾が類似している点と、建築年の時代性が似通っていること。
トラス構造の趣は少し異なる。
地元公会堂(野村二丁目集会所)としての改築が決定している武徳殿の建築価値について、その歴史背景を何とか特定したいのだが、どちらともまだ棟札が見つからず、詳細がまだ不明である。
武徳殿の大工大本民治郎(梁に書かれた墨書で判明)は、地元野村の大工で、その孫に当たる方が今も建設業に従事されている。
魚成小講堂の方は、設計・施工共に不明である。

旧魚成小講堂-Ⅶ

2007-04-06 10:34:02 | 建見楽学


今回の探訪目的である屋根裏へ。
西予市文化財審議委員会の建物調査の一環で、例によって棟札探し。

結果から言えば、残念ながら今回も発見することは出来なかった。
ただ、屋根裏にはこのような見事な木造トラスの大空間が広がっていて、旧講堂としてのしっかりした品格を見せている。
縦の細い線は、ボルト締めされた鉄筋で、それによって吊り天井が支えられている。
かつての入学式や卒業式は、この下にある柱の一本も無い室内空間で催されたワケで、その構造の秘密がこの下から見えない部分のトラスである。