この像は、盛岡出身の教育者、新渡部稲造(にとべいなぞう)。
時間調整で町歩きの際、偶然に通りかかり、生誕の地に建てられているのが分かった。
キリが無いので、盛岡の紹介はこのくらいにするが、市内の各所に歴史文化の色合いが息づいていた。
鉈屋(なたや)町あたりの町家では、盛岡まちなみ塾が主催する“ひなまつり”が、建物を開放しながら行われていて、城下町の町人文化を継承するまちづくりが華やぎを見せていた。
県庁所在地ではあるが、合併後の人口も30万人ほどの地方都市で、それがかえって程よいヒューマンスケールの町に感じられた。
折りからの雪解け水と思われる水量豊富な中津川、雫石川、北上川、の三川が合流する盛岡の町は、岩手山を遠望しつつ恵まれた自然環境に立地していて、素敵な町だった。国内の他都市と同じく、例外なく開発による変貌も起きてはいるが、中心核としての盛岡城を始め、まだ市内の随所に残る立派な洋風建築や町家など、文化的な層の厚さが魅力ある横顔を見せていた。
再来年のゼミ開催時には、もう一度ゆっくりと探訪したいものである。