岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

えびね、その七。

2008-04-30 07:39:00 | 季節感


清楚な感じの“えびね”。
その姿形にふさわしい固有名詞がそれぞれに付けられていて、命名も楽しそう。

キリが無いのでこれくらいにするが、ある程度想定しながら交配をして、それでも予想外のものが出来るところに、何か醍醐味がありそうな“えびね”の世界でした。

えびね、その二。

2008-04-29 07:16:58 | 季節感


いずれがアヤメかカキツバタ、という感でえびねの鉢が並んでいる。

その一つ一つに名前がついていて、全て交配によって色と形、匂いなどを競い楽しむらしい。
門外漢の私には分からない奥の深いイロイロがありそうである。

えびねの季節

2008-04-29 07:13:46 | 季節感


久々に、大洲の菅田にある親戚の家を訪ねた。

ここの家は、明治中期に建てられ、何でも旧大洲城の天守閣を解体する際にその廃材を流用したというイワク付きの家だが、そのことはいずれまた。

それより、久しぶりに“えびね”を愛してやまない太郎叔父に出会えた。そして、話はやはり“えびね”の事になり、鉢を一つもらって帰った。26、27の両日、大洲で恒例の“えびね展”があるとかで、もう90歳に近いと思うのだが、張り切っていた。
元気の素は趣味、それを地で行く人生の叔父さんである。

盛岡を後に。

2008-04-25 06:05:44 | まちづくり


この像は、盛岡出身の教育者、新渡部稲造(にとべいなぞう)。

時間調整で町歩きの際、偶然に通りかかり、生誕の地に建てられているのが分かった。

キリが無いので、盛岡の紹介はこのくらいにするが、市内の各所に歴史文化の色合いが息づいていた。
鉈屋(なたや)町あたりの町家では、盛岡まちなみ塾が主催する“ひなまつり”が、建物を開放しながら行われていて、城下町の町人文化を継承するまちづくりが華やぎを見せていた。
県庁所在地ではあるが、合併後の人口も30万人ほどの地方都市で、それがかえって程よいヒューマンスケールの町に感じられた。
折りからの雪解け水と思われる水量豊富な中津川、雫石川、北上川、の三川が合流する盛岡の町は、岩手山を遠望しつつ恵まれた自然環境に立地していて、素敵な町だった。国内の他都市と同じく、例外なく開発による変貌も起きてはいるが、中心核としての盛岡城を始め、まだ市内の随所に残る立派な洋風建築や町家など、文化的な層の厚さが魅力ある横顔を見せていた。
再来年のゼミ開催時には、もう一度ゆっくりと探訪したいものである。




盛岡の近代建築、18

2008-04-25 06:03:30 | 建見楽学


みちのく盛岡の日が暮れて、洋館に明りが灯る。

何だか、ドラキュラ伯爵の館のような雰囲気。

ここで、昼間、NPO全国町並み保存連盟の理事会が行われ、それに出席するために盛岡に来たのだった。
今年の10月11~13日には、西予市宇和町卯之町で「第31回全国町並みゼミ卯之町大会」を開催するが、来年の32回は千葉県佐倉市、再来年の平成22年にはここ盛岡で第33回ゼミが開かれる。

盛岡の近代建築、17

2008-04-25 05:55:56 | 建見楽学


地階に下りる。

側壁の煉瓦積みがあらわになっており、この建物が煉瓦による組積造であることがよく分かる。
また、アーチ窓のアーチ構造が大きな円弧状になっていて、地元の方の説明によると、頑丈な造りになっている点からも、土木構造的で、建築設計師のデザインと言うよりは土木屋の仕事ではないか、と類推されていて石井県令との関連もあり、興味深い話だった。