岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

青石の石垣。

2006-10-31 17:51:45 | 土木遺産


少し前、八女のトコロで青石のことについて述べた。

もう少しで武雄北方ICという頃に、眼中にとある住宅の石垣が飛び込んできた。車を停めて、降りてみた。
やはり。
青石だった。
近くに人は居ないか、とキョロキョロしていると、中年のご婦人たちが、何やら倉庫で作業中。少し話を聞いてみようと声を掛けた。
すると、上品な方が相手をして下さり、聞けばこの家の方だという。
そこで早速、住宅を取り囲む青石の石垣について訊ねてみた。

「この家を新築する時に、主人と旅行中、長崎の方で見かけた石垣がキレイだったので、工事の時に、後で同じものをそこから運んで来てやってもらいました。」
「そ、それは長崎のどの辺りでしたか?」
(こうなると、岡目八目の聞き取りエネルギーがふつふつと。)
「えーっとぅ、アレは確か、西海橋の近くの、えっとー、どこやったかねぇ。」
結局、当方持ち合わせの地図を見ながら、しばらく色々と地名を考えてもらって、行き当たったのが“西彼町”。そうかぁ、八女の広川石がそこにつながるのかぁ。

佐田岬から佐賀関に渡り、阿蘇をくぐった青石の層が、八女の隣広川町で顔を出し、九州西岸の西彼町まで、ナカナカ面白い展開である。
作業中のおばさんたちが数人、フシギそうに集まって来たので、質問のワケをお話しし、「へえーっ!」と感心されたり喜ばれたり。見知らぬ旅の珍客が迷い込み、思わぬ気分転換の話題提供となった様子。

佐賀関からのフェリーの時間が気になり始め、お礼を言ってその場を離れたが、やはり旅の面白さは、こういうトコロにある、と感じた一幕であった。

佐賀のくど造り。

2006-10-31 17:12:01 | 建見楽学


佐賀県に来て「くど造り」の民家を見ずに帰る訳にはいかない。

途中でもチラホラ見かけるのだが、岡目八目の性癖として、寄り道を始めると果てしの無い状況が生じるので、極力ガマンしながら見過ごしていた。
それでも、武雄北方ICに向かう途中、塩田町のはずれ、ここで外したらもうムリ、と判断して停車、道沿いの民家を眺めた。
「くど造り」とは、佐賀独特の茅葺屋根の形態で、“くど”のように棟が三方に回された茅葺屋根の形である。従って、平面は“凹”のような形となる。流石に絶滅危惧種の民家形態であるが、地方の得がたいアイデンティティとしては、手が打てないものか、よそ事ながら気になる民家の一つ。

サルボウ貝。

2006-10-30 22:05:50 | Weblog


これが有明のサルボウ貝。

しかし、現在は、有明の海は死の海と化しつつあり、コレだけ大量のサルボウ貝は全く採れなくなったと、土井貝灰製造所は嘆く。今では、小指の先ほどに成長したら、直ぐに死んでしまうそうだ。数年分のストックがあるので、何とか営業が出来ているが、それもいつまで続くかこのままでは廃業寸前なのだと言う。
例のギロチンバリアーだけのことではないが、海苔養殖の際の消毒も海を傷めているという説もあり、かつて豊饒の海と謳われた有明の海が、まさかここまでとは。

土井貝灰製造所の看板。

2006-10-30 21:59:29 | Weblog


驚く無かれ、ここ肥前浜宿では、現役の貝灰製造所が存在する。

残念ながら、窯自体は見れなかったが、有明海で大量に産する“サルボウ貝”を焼いて今も石灰を製造している。
ただ、よくよく話を聞くと、町並み保存地区で修理修景の工事に使用する漆喰は、貝灰ではなく、建材用のブレンドされた市販のものを使うらしい。ナント!左官業者的にはコストのことがあるらしいが、これでは何のための町並み保存か、と信じられない思いもした。
実は笑えない話だが、国の保存地区となって白壁が修復されても、正確にはそれは昔の土壁ではない。塗るときの材料が、まず違う。今は施工コストの関係で、市販の土と漆喰を使用する。従って、どこでも概ね眩しすぎるほどの純白で均一な白壁となる。全く、白ける話である。
しかも、施工技術の関係もあり、直ぐにはがれるケースが後を絶たず、板壁にしてくれという住民からの要望もあると聞く。伝統的景観を残すために公金投入をする大儀が危うくなっている。
が、左官だけを責められる話ではモチロン無い。腕を上げようにも現場の少なさ、コストの厳しさ、様々な環境要因が本物の技術養成にネックとなっている。

美しい日本、安倍さん、どうやって作りましょう。

佐賀での漆喰材料は?

2006-10-30 21:41:13 | Weblog


継場(つぎば)という修復された商家建築の町並み案内所で、こういう珍しい資料が展示されていた。

漆喰用の材料で、サルボウ貝。
愛媛では、西予市明浜の高山や、今治市関前の岡村島にある石灰産業の跡はあるが、いずれもその原料は石灰岩。その点、ここは有明の海に産する“サルボウ貝”なのだ。つまり“貝灰(かいばい)”。漆喰は、だから石灰ではなく、ここでは貝灰で作られる。

酒蔵通りあたり。

2006-10-30 21:33:03 | 建見楽学
浜川を隔てて、八本木宿のエリアを眺めると、流石に“酒蔵通り”と異名を取るだけあって、こうした写真が切り取れる。

浜の酒造場は、昭和初期の最盛期には十数軒を数えたというから、半端ではない。江戸期と違い、明治期になってからの規制緩和で、当時は主として長崎や佐世保を市場とした成長産業でもあったらしい。

持ち送り。

2006-10-30 21:08:21 | 建見楽学
とある町家にある“持ち送り”。

どうやら、八幡浜によくある持ち送りと形や意匠、大きさがよく似ていて、親近感が湧いた。材料もケヤキであるらしい。
地方の町に出かけると、町並みの中にある商家建築では、必ずこうした部材に目を留めるようにしているが、“持ち送り”も実は結構微妙に場所によって形やデザインが違い、それなりに目を楽しませてくれる。
だから、ここまで似ていると返って不思議な気がしてくる。

肥前浜宿・酒蔵通り。

2006-10-30 20:55:33 | 建見楽学
八本木宿のエリアを眺める。
伝建整備による修理修景が、これから徐々に加速してゆくことを思えば、この生活感のあるギリギリの状態も、捨てがたい魅力に思える。
伝統的町並みを、行政施策として保存してゆく場合、致し方の無い部分として映画のセットのように表面が美しくなり過ぎるキライがあり、生活感との対比の中で、難しいところである。

庄金地区の茅葺民家群。

2006-10-30 20:49:25 | 建見楽学
中には、茅葺をトタンで覆っている民家もあるが、いわゆる“ナマ茅葺き”の民家が多いのが、ここの最大の特徴。
全国の他地域でも、山間地における農家や、例外的に東北の武家屋敷などで希少な存在の茅葺民家が個々に見られるが、ここのように比較的商業地の中で現在も生活が営まれる茅葺き民家が連続するケースは、実に稀有な事例である。
この通りに続く南船津の地区には、漁業で生計を立てる茅葺家屋もいくつも存在する。現代の奇跡と言ってイイかも知れない。

昨年、晴れて伝建地区に選定されたことで、今後は、京都の美山町の如く、建物の葺き替えなどを通じて、若い茅葺き職人の育成に発展するようになると素晴らしい。
我々の身の回りで、如何に日本本来の庶民建築である“茅葺き民家”が絶滅状態にあるか、街にあふれる無国籍住宅を見かける度に、その対極の存在について想う。

肥前浜宿、茅葺民家。

2006-10-30 20:31:26 | 建見楽学
油断していると、アッという間の日数経過。肥前浜宿のアップを急ごう。 

このような茅葺民家が普通に並んでいる「肥前浜宿」の庄金のあたり。庄金とは、浜庄津町と浜金屋町の総称で、茅葺民家が集中しているエリア。
有明海に注ぐ浜川の川港として発達した在郷町「肥前浜宿」は、この庄金と、川をはさんで酒蔵通りと呼ばれる浜中町・八本木宿のエリアに分かれて重伝建地区が選定されている。