岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

狩浜の段畑風景、その二。

2007-02-21 13:33:20 | 土木遺産


宇和海に面したミカン園地に、穏やかな雰囲気が広がっている。
農道が斜面の起伏に応じて延びていて、上がり下がりしながら全体の光景を見渡すと、ここのスケール感が味わえるのだが、一枚の写真からその臨場感を伝えるのは至難の技だ。
やはり一度現地に立って、そこで実際に目にするほか、本当の感動は得られそうに無い。

狩浜の段畑風景。

2007-02-21 13:24:49 | 土木遺産


もう既にご覧の如く、段畑は春だった。
あたり一面に菜の花が咲き乱れ、二月半ばにこの装い。
南予の数ある段々畑でも、石灰岩の石垣はここだけで、いつ見てもそのスケール感を前に、気分が爽快になる。
全国的情報レベルでは、まず外泊(そとどまり・愛南町)の石垣が有名で、その次に最近脚光を浴びている遊子(ゆす)の段畑があるが、何故ここの石垣群が知られていないのか、不思議なくらいである。
この日は、残念ながら春霞のようなぼんやりした空気感だったが、もしも雨上がりに太陽が差し込んだようなシチュエーションだと、空気の透明感と相まって、白い石垣がクッキリと風景を際立たせ、その反射光と共に、また得も言われぬ光景となる。

井上家住宅、その九。

2007-02-20 01:40:46 | 建見楽学
珍しいものを見つけた。
「NHK」の商標。これを知ってる人は、かなりのNHKツー。

この商標は、NHKの初期のもので、今では使われていない。今のは斜体になっているハズ。
実は、このことを教えてくれたのは、保内の町並みをロケハンに来られた作家早坂暁先生から。確か「ゆめへんろ」の関係で、もう随分と以前の話だが、白石和太郎洋館(ドレメ)をご案内した際に、ドレメに同様のものが張ってあり、その時のお話。
では、何故商標登録が斜体のNHKに変わったかというと、全く同じマークが当時の別会社にあって、そちらに先有権があり、NHK側が譲歩したそうな。その会社は「日本発条株式会社」、ナルホドNHKだ。因みに、発条とは“バネ”のこと。スプリングを日本語で発条という、というのもその時に教わった。

井上家住宅、その八。

2007-02-20 01:27:06 | 建見楽学
雨戸にしつらえられた無双窓。

フツー雨戸にここまでの細工はしない。でも何枚かはこうした設計になっていて、芸の細かさが伺える。勿論手間仕事であるワケで、コストを考えると、まだそうした建具大工のいい職人が居た時代だということも言えるのかも知れない。
今だとどうだろう。

井上家住宅、その六。

2007-02-20 01:02:18 | 建見楽学
こういう部分がまた松村さんっポイ。
トイレの手洗いを外側に設けている。場所の節約か、外部で使用するためのものか。
思えば、その昔、旧家や地方の農家でよく見かけた、便所へ行く手前の縁側などに上部から吊ってあった手洗い用の小さなプラスティック容器。下側の突起をプッシュすると水が少し落ちる仕掛けのヤツ。そうした発想ですれば、外側に手洗いがあってもおかしくは無い。現代的に見ると、やはりヘンだけど、なんとも。

井上家住宅、その五。

2007-02-20 00:54:39 | 建見楽学
しっかりと組まれた櫓(やぐら)こたつ。
建物が壊されて、コレがどうなったか少し気になる。

因みに、解体理由は、県道宇和・八幡浜線の道路拡幅工事。歩道付きの立派な二車線道路になるためとのこと。
で、この掘りごたつのことだが、注目は天板の素材。「デコラ」と言っても、若い人にはもう既に伝わりにくい言葉になってるような気がする。
当時ここの工事に関わった地元の大工さんのご子息がおられて、その話によると、「デコラ」という素材が当時は分からなくて、東京の方まで問い合わせたりして、父が随分苦労していた、とのこと。
とても重い天板だが、戦後の地方における文化住宅?の匂いが伝わってくる。
いつの間にか、気がつけば「デコラ」なんてすっかり見かけなくなったような。

井上家住宅、その三。

2007-02-20 00:41:07 | 建見楽学
一階の座敷に面した所に設けられた開口部だが、一間(いっけん)幅で全てが開放出来るように、障子やガラス戸、雨戸などが収納出来るように工夫されている。
今では、特にナンてことのないやり方だが、それが昭和34年という時代を考えると、随分と進歩的。
一緒に実測で頑張ってくれた松山建築“楽”会のメンバーも感嘆しきり。

この一階も、二階同様に戸を開け放つと、南北にとてもよく風が通る。風通しの良い家というのは、とても重要な優良住宅の基本条件である。