岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

日土小学校にて。

2008-08-31 10:03:40 | Weblog


これから八幡浜市主催の見学会。
保存すべき貴重な近現代建築、DOCOMOMO20選に選定されていた日土小学校の保存改修工事がいよいよ始まる。改修前の校舎を見学するには最後の機会。
午後からは改修計画の報告会もあり、文化財にしてかつ現役校舎という非常に難しいテーマだけに、その苦心の話が聞かれるハズ。きっと、今後全国に向けての示唆的な先進事例になるだろう。

我が家の戦時遺産 ④

2008-08-17 04:48:22 | 戦時遺産


家には、もう一つ妙な戦時遺産がある。

これは、手漕ぎボートに改造しているが、実は水上戦闘機のフロート。
長崎の大村飛行場にあったものを、戦後のどさくさの際に持ち帰ったらしい。進駐軍にどうせ破却処分されるだろうからと、船で物資を長浜に運んだという話が伝わっている。それ以上の詳しいことは分からないが、いずれにしてもこのボートは、子供の頃の我が家の楽しみの一つだった。必ず夏休みには、従兄妹連中で裏の溜池に運び、浮かべて遊んだ。意外に安定感は悪く、よくひっくり返るので結構コワかったが。

我が家の戦時遺産 ③

2008-08-17 04:32:22 | 戦時遺産


バンドの裏書きにそれぞれ「岡崎大尉」「獨歩四二九大隊」とある。

どこの大隊名かは分からないが、ビルマのインパール作戦や上海、あるいは満州などに転戦したらしく、中国からの帰還だったことを思うと、かの地での隊名なのかも知れない。当然命からがらの事も多々あったに違いなく、ザックをよく見れば、破れた跡を縫い付けた箇所がアチコチにあり、戦地での苦難の生活が想像される。

事実、父は戦争の話は一切しなかった。子供心に、恐らく話したくない事が沢山あるのだろうというイメージもふくらみ、こちらも何となく聞かなかった。
しかし今となっては、民家調査や年配者からの聞き取りなどをする機会があるにつけ、もう少し我が家の事柄についても色々と聞いておけば良かったと思う。

たまさかの偶然で突然目の前に現れた60数年前の歴史の断片に、ヒロシマ、ナガサキ、終戦記念日と続くこのお盆の時期独特の状況もあって、しばらく感慨が醒めないでいる。

我が家の戦時遺産 ②

2008-08-17 04:09:02 | 戦時遺産


尚も懐かしそうに眺めている母に聞けば、これは亡き父が戦後復員する時に背負っていたザックであるらしい。

昭和21年6月、伊予石城駅に降り立った父の姿を、村の誰かが認めて我が家に知らせてくれた人が居たらしく、叔母(父の妹)が慌てて迎えに走っていったのだとか。
その時にコレを背負って駅からの道をこちらに歩いて来る姿と出会ったらしい。
ただし、昭和14年に応召された父はそれ以来家には戻っていない7年ものブランクがあるので、幼児から成長した叔母(妹)のことがどうやら分からなかったらしい。
第一声は「お前は誰ゾ。」だった、という話だったと。
母とは、その年の暮れに結婚した。

我が家の戦時遺産 ①

2008-08-17 03:53:32 | 戦時遺産


8月15日は言わずと知れた終戦記念日だったが、我が家では折りも折り、その前日にこのシロモノが見つかった。

屋根瓦の葺き替えで屋根裏を整理していて、この古びた箱が二つほどあり、外に運び出した。
母に聞けば、なんでもこの箱は、大洲から嫁いだ祖母たくみの嫁入り道具だったらしい。箱を開けると、中には古着が入っていたが、その下からこの古ぼけたリュックが出てきた。

八月の花、その二。

2008-08-17 03:44:37 | 季節感


鬼百合だと思うのだがどうだろう。
鬼百合はもっとオレンジ色だった気もするが、あまり真剣に調べてもないので分からない。
名前がどうであれ、毎年同じ時期に同じ場所に咲いてくれること、それだけで満足しているので、無頓着に過ぎている。
ともかく、我が家の夏はこの花とノウゼンカズラのオレンジ色が彩りを添えてくれている。

八月の花

2008-08-17 03:37:20 | 季節感


我が家の裏庭に、八月になると咲く花がある。

家が裏山を背にしているので、その竹やぶ斜面に自生していて、いつも目を和ませてくれる。
丁度、木小屋の前になり、竹やぶの整理やゴミ焼きの場所だが、汗だくになって作業する際に、随分といやされる。