岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

春ですねぇ。

2006-03-31 23:50:37 | 季節感


今日の川之石(八幡浜市保内町)、宮内川・喜木川河口の光景。

久々に見る春の風物詩。今年は当たり年なのか、大きいアサリがよく採れるらしい。みんな脇目も振らずに、せっせせっせと掘っている。まだ風は肌寒いが、まさに水ぬるむ春の光景。偶然通りがかって、何だか嬉しくなってしまった。

わらぐろイロイロ。

2006-03-29 21:15:47 | 路上観察


宇和盆地の中で最も広い石城(いわき)地区の風景です。石城平野という言い方もあります。

県下最大河川である肱川の最上流部にあたり、標高は200~230mくらい。わらぐろのある風景、これが宇和盆地における文化的景観の最もポピュラーなシーンです。
ただ、この写真、手前の「わらぐろ」は、少し様子が違います。そう、本物ではありません。ナンとセメント製のわらぐろ。鉄筋が入ってるかどうか、まだ未確認ですが、コンクリートのわらぐろが出現し、流石の岡目八目もビックリです。
この場所は、4月29日には毎年「れんげ祭り」の会場になる所で、JRいよ石城駅のすぐそば、線路沿いに地元の個人の方によって設置されました。

飾り瓦

2006-03-28 19:23:47 | 路上観察


西予市宇和町下川(しとうがわ)地区を歩くと、面白い飾り瓦に出くわした。

唐獅子だと思われるが、どうしてこういう姿勢になっているのかは分からない。取りあえず「逆ウナバウアー」と名づけてみたが、どうだろう。

「抜粋のつづり」 【7】

2006-03-28 08:50:17 | 良書紹介


先日、久しぶりにこの本を入手した。「抜粋のつづり・その六十五」。
津島町岩松商工会(宇和島市)にあるものを頂戴した。

これは知る人ぞ知るもの凄い本である。片手に納まるハンディタイプの冊子であるが、私にはこの本にちょっと思い入れがある。
かつて、「あけぼの」という地元建設会社の広報担当だった頃、私はこの冊子と出会いとても驚き感銘を受けた。発行元は株式会社熊平製作所。広島の宇品に本社のある金庫の会社である。今はどうか、確か以前は熊倉和雄?(人形劇「ひょっこりひょうたん島」の声優)を起用したCMがテレビで流れていたような。

ともかく、これは質実な金庫のメーカーから年一回発行されている冊子であり、つまり「その六十五」ということは、昭和6年からの発行(戦中戦後の混乱期を除く)で、今も続けられていてその歴史は75年に及ぶ。これは小・中学校や図書館を中心に全国8万ヶ所に無料配布されており、その部数ナンと45万部。
内容は、その年の新聞各紙や雑誌などから、人々の為になると思われる文章の抜粋で構成されている。この号では、新井満氏の「千の風と千の花」(読売新聞より)から田辺聖子氏の「お酒と口別嬪」(日本経済新聞より)まで新玉のエッセーが33編。

前述の「あけぼの」は、営業マンが地域へ無料配布するという形式を取っていたので、その編集にあたっては企業メセナやフィランソロフィーなどといった、企業の地域貢献について、それは仕事柄とても大切な関心事だった。20年ほど前にこの「抜粋のつづり」の存在を知った私は、戦前から既にそんなことをしていた企業があったことに驚愕した。しかもクマヒラの金庫。
私事にはなるが、本社のある広島の宇品には、学校を卒業して就職したジャスコ時代に住んでいたので(在住当時は知らなかった)、早速私は愛媛から連絡を取って熊平製作所を訪問した。そうすると、やはりと言うべきか、比較的地味な佇まいの工場から地味な感じで年配の方が出てこられ、応対していただいた。
聞けば、たった一人で編集し、全国に送り続ける作業をされているとのこと。信用第一の金庫製作会社で、連綿と続く企業メセナの真髄を見た瞬間だった。

因みにこの会社、今年で創業108年を迎えるという。ライプドアではないが、時代という厳しい経済変動の中で企業が生き残り、長きにわたって存続することの難しさを思うと、その長さは国内でも希少な企業の一つである。
「抜粋のつづり」は、その創業記念日(1月29日)を期して全国に配送される。

巻頭にある創業者の「創刊のことば」を記してみる。

『日頃の御好意に対して感謝の意を致したいと存じてをりますので、その一端として、このパンフレットを発行したしました。
 積極的消費論と学校教育の普及と改善、又宗教に現世の浄土化思想の必要は私の持説とする所で御座いますが、私の陳弁よりも、近頃読みましたものの内で、こうした方面における諸名士の御意見を紹介してみたいと存じまして編纂いたしました。 昭和六年霜月  熊平源蔵』


日土小学校・第4回再生検討委員会

2006-03-28 00:31:52 | まちづくり
昨年から、半年間にわたって開催されてきた日土小再生検討委員会の最終回が、27日八幡浜市役所でありましたので、ご報告。

第3回の前回で、建築学会と地元PTA側との協議の結果が図面化され、一応の成果を見た・・・ハズであったが。
結審となるべき今回の「日土小学校再生計画 報告書(案)」は、かなり玉虫色のものとなった。
平面計画の詳細を言葉で述べるのは難解だが、要は、全面改築を要望するPTA側の意見がかなり取り入れられる可能性を盛り込むこととなった。

つまり、図面は前回の改修案となっているが、それをタタキ台として、大幅に再度内容を変えられるような文章を追記することとなった。ただし、実施計画の立案に当たっては、地元住民の意見を取り入れながら、学会の専門的な助言をもとに進めること、となっている。
ウーン、こういう問題は、ブログで実況をお伝えするのはかなり難しい。キチンと伝えようとすると、かなり文章量が長くなり、また誤解も招きかねない。別な視点で述べてみる。

結局、PTA側としては、改修案(外観)に同意する代わりに内部についてはこちらの意向を重視して欲しいという意見。つまり、改修そのものが取引になってしまっていること。全く意見の違う考え方の者同士が同一の報告書を作成するために、あい矛盾する記述にせざるを得なかったという結末。
私が奇異に感じるのは、PTA及び学校側には、この類稀なる価値を持つ校舎を、地域の教育素材としてどう活かすかという視点・論点が全く感じられなかったこと。専門家集団である学会からの改修案が目の前に存在するがゆえに、仕方なく応じているという以上の何ものでもないこと。
そこを強力に行政側が誘導することもなく、ただ地元の意見を尊重するという姿勢でのみ(地元とは誰か、改築論を声高に主張する人だけが地元では無いはずだが)終始している。
あくまで全面改築を基点としてしか発想を変えようとしない頑迷さには、聞いていて底知れない教育的不毛を感じた。しかも、子どものため、という言葉が形容的に何度も冠されての発言である。そこまでのこだわりは、改築以外は子どものためにならない、と言っているのと同じではないのか。市側(教育委員会・学校)と地域(歴代のPTA)でこれまでに醸してきた教育的風土か、あるいはそれが日土だけの特殊事情かは分からないが、いずれにせよ「こどものため」という論拠が違い過ぎてその部分の本質的な話には至らない。
加えて、これまでの行政の事なかれ主義がそれに輪をかけている。
果たして、明日意向のマスコミ報道は、これらをどう記述しているのだろう。

梅美人の宴、パートⅡ。

2006-03-26 13:11:21 | まちづくり
昨夜のひとコマ。

夕日のポスターを手に漫談、いやミニ公演中なのは、言わずと知れた双海のミスター夕日ことW進一氏。右は県下初の気象予報士でもある八幡浜出身のSさん(今回の仕掛け人)。
昨夜もW氏は「舌好調」。楽しい話を次から次へ。そして最後はやはり、フトコロからハーモニカを取り出して、「赤とんぼ」や「ふるさと」を披露していただいた。ご本人いわく、かつて音楽2だった人が、今や600曲をマスターし、聴衆を楽しませている。人間力の凄さが周囲に元気と勇気を与えてくれる。
身近な所に、何人かのそういう人の存在があることの幸せを思う。

酵母も人も音楽に癒され、その美味し酒と美味しい話で夜が過ぎていった。

文化施設、梅美人酒造。

2006-03-26 12:20:25 | まちづくり


昨夜は、八幡浜市の梅美人酒造にお邪魔した。

写真はシンボルの煉瓦煙突で、昭和3年、御大典記念として建てられた。高さ23m、白タイルで鮮やかに「ウメビジンホン店」の文字。港からよく見える側の面に入れられてるので、高い建物の無かった頃は、さぞや目出つPOP広告塔だったに違いない。

ここの酒蔵には、時折まちづくり関係の催しなどで世話をかけている。全く勝手な話なのだが、コレといった文化拠点の無い旧八幡浜市内では、唯一と言ってもいい民間の文化施設として、有難い存在である。
昨夜も、とあるまちづくり有志で、情報交流の懇親会場に使わせていただいた。造り酒屋さんだけに、酒には事欠かない。飲むにつれ、酔うにつれ、まちづくり談義に花が咲く。時は春、梅から桜の季節に移り、蔵で醸す人と人の出会いが、絶妙なハーモニーである。
そう言えば、この蔵元では、八幡浜市出身のバリトン歌手宮本益光氏の歌声で醸した「詩宵酒(うたよいざけ)」を発売中(¥2000)、話題となっている。実際、この蔵の中では、今もクラシック音楽が流されていて、昨夜も不思議な癒しの空間に心が満たされた。

東京報告の最後。

2006-03-24 08:39:44 | まちづくり
そう言えば、「日暮町風土記」公演の写真をアップしてなかったので、遅ればせながら18日の様子を。

東京・吉祥寺に前進座劇場というのがあり、研修生(第25期生)たちの修了公演だったワケだが、いやはや笑えた、泣けた。一日二回だけ、昼と夜の公演で彼らは1年間の研修を終え、役者となるのだが、そうした甲子園のような、一発勝負であるためか、一所懸命さが伝わり観ていて清々しかった。この写真のシーンは、町並み倶楽部のメンバーが、何とか江戸期から続く老舗大黒屋の取り壊し前に、記録を残すための実測調査をやっているところ。脚立に上り、大黒柱の上の棟木に文久元年上棟の棟札(むなふだ)を発見する所。

実際に旧保内町の清水町にあった「あたらしや」では、棟札ではなく板図が発見され、土蔵と母屋が文久元年、衣装蔵には棟木(むなぎ)に直接墨痕鮮やかな天保三年の文字があり、そうしたことが判明したのだった。その板図と棟木の墨書の部分は当時の町教委によって資料保存されている。(今は郷土資料室にあるハズ)

芝居では、役場の教育委員会に勤務する文化財担当の女性職員が登場するが、彼女もモデルが居て、原作者の永井愛さんが取材に保内へ来られた際、対応してくれたUさん。彼女は実際には、あたらしやの実測調査の当時はまだ役場就職前だったが、縁があって今やボランティアガイドや文化財保存に無くてはならない存在として頑張っている。
兎に角、実際の話をうまく織り込みながら、それぞれのキャスティングを絶妙に配しつつ、旧家の保存という難解なテーマを、笑いとペーソスでシナリオ化しているのが、この日暮町風土記という芝居なのだ。私の夢は、いつの日かきっと保内でこの芝居公演を実現させたい、そんな日が来るまでは頑張らないといけないように思っている。

花の東京、パートⅤ。

2006-03-22 00:21:43 | 建見楽学
『建築家 グンナール・アスプルンド展』について。

 新橋にある松下電工汐留ミュージアムにて、4月16日までやっている展覧会を観させてもらった。
 昨年末、日土小のシンポジュームで知遇を得た、ドコモモJAPANのK氏から是非にと勧められ、噂に違わずの内容に満足の一時を過ごした。笑われそうだが、無知な私は、それまでアスプルンドを知らなかった。しかも、世界遺産にもなっているスウェーデンのストックホルムにある「森の墓地」、その設計者として彼が通算で関わったことも。
 ただ、前知識なく観ることが出来、余計に得たものの中に感銘があった。会場は撮影禁止なので、購入した絵葉書から雰囲気を察してもらうほかないのだが、チラシには「癒しのランドスケープ」という言葉も添えられている。
 森の墓地は、その名の通り、日本の葬祭場とは違って、まさに広大な森の中に存在する。礼拝堂、十字架の道、火葬場、墓地などが適度に分散し、すっぽりと森の中に佇む。
人が、その人生における終焉の地を選ぶことが出来るなら、そうした場所に葬られて眠りたいと思うのではないか。また現世の人々にとっては、その避けられない“死”という悲しみを、こうした場所で受け止め、理解し、故人を偲びたいと思うのではないか。そんな気にさせる、フトコロの深い森に包まれた癒しの場。
 そうした、単に建築単体ではなく、環境も含めた全体設計の出来る建築家アスプルンド。彼は1885(明治18)年生まれで、ストックホルムを中心に活躍し、1940(昭和15)年56歳で亡くなる。
 写真左下の氏の作品「夏の家」にしても、北欧の豊かな自然と共に建物が存在する。上記「森の墓地」の中にある森の礼拝堂の寄棟屋根のフォルムは、まるで日本の民家であり、自然と一体となった建物配置は、借景などと同様に我々には馴染みやすい感覚。ハテナ?、と会場を回りながら思っていると、やはり日本に対する氏の関心度が相当高かったらしきことが、出口あたりの最後の方でタネ明かしされていた。
 それにしても、森の墓地にある氏の遺した言葉は含蓄が深い。建設当初の30代の時には「今日はあなた。明日はわたし。」と礼拝堂への入り口の門に刻み、40代では園内に立つオベリスクに「今日はわたし。明日はあなた。」と書かれている。つまり、現世と来世の立場を代えて言葉が刻まれているのだ。建築に寄り添い、人生を重ね合わせた氏の優しさと厳しさとが伝わってくるようにも思えた。