岡崎直司の岡目八目

歩キ目デス・ウォッチャー岡崎が、足の向くまま気の向くまま、日々のつれづれをつづります。

神戸にて。

2006-04-30 20:54:35 | Weblog
親戚の結婚式で神戸に来ています。この写真の建物は、式場の北野クラブ・ソラ。F.L.ライトの落水荘ばりで、神戸の夜景もグッドな好立地。手前は数段の人工滝。まだ竣工一年余りの斬新さ。

産業遺産としての旧東洋紡社宅。

2006-04-30 01:07:48 | まちづくり


先日の27日、旧保内町にあるこの写真の建物の実測調査を行った。

この何の変哲も無い二階建ての建物に、価値を見出そうとする人は、周囲を見渡しても、残念ながらあまり居るとは思えない。
しかし、この建物はやがて消え行く運命にあり、その前にせめて記録だけでもと、実測調査をすることになった次第。
実施主体は保内のまちづくりグループ「保内大学」。一応、ワタクシ岡目八目が発起世話人となり、有志のボランティアで対応することに。実際の調査を受けて頂いたのは、有難い事に、八西建築士会のM建築士を始め有志数名、それに加えて津島からもO設計士がかけつけてくれた。所有者であるY紙業さんや入居者の方の理解・協力あってのことは言うまでも無い。

そもこの建物であるが、旧東洋紡績の社宅建築。昭和35年に川之石工場が閉鎖されるまで、旧保内町の核となる産業であった。その社宅三棟が、今も誰からも注目されること無く残っており、それらは実は貴重な産業遺産であったりもする。
保内は特異な町で、幕末期の海運業をベースに、維新期になって近代産業が一気に花開く。銅鉱山、蚕種、木蝋、加えて紡績である。
特に宇和紡績は、四国初の紡績会社であり、その時の自家発電が地域における電燈文明の黎明期とされる。その歴史的変遷が、白石紡績、大阪紡績となり東洋紡へと至る。
しかし、そのよすがは、赤煉瓦倉庫のみが注目されていて、これらの社宅には視線が届いていない。昨今は、新居浜の産業遺産群を世界遺産に、という動きの中で、山田社宅群が注目されつつも、しかし徐々に解体されつつあり、こうした物件の保存の難しさを物語っている。その気でビジョンを立てれば、活用策が無くも無いのだが。

れんげまつり、その三。

2006-04-29 19:58:28 | まちづくり
「わらぐろ」の製作体験に、宇和高校の生徒さんが先生と参加してくれた。

キョーピ、農家に育つこと自体が貴重になっている現状があるが、ましてや「わらぐろ」を作る体験をしている子どもなどは皆無である。この子たちのお父さん世代だって殆どやっていない。経験値としては祖父の世代くらいの文化である。
大体年齢的には60歳代くらいから上でないと、今や「わらぐろ」は作れない。

昨年、生まれて初めての米づくりに挑戦した岡目八目も、最後はやはり「わらぐろ」づくり、と心に決めていたので、何とか近くの方の協力で(実際は友人と自力で作っていたら、見かねて田んぼに入ってこられた)小さいのを一基だけ作った。ところが、アレほど一所懸命に作ったのに、先日今年の田植え準備もあってその「わらぐろ」を解体したら、約三分の一の藁は使い物にならなかった。何故か。中に水が入っていたのであります。結局、積み方のどこかに欠陥があり、水が回ったものと思われる。「わらぐろ」は、当然、現地における乾燥貯蔵が目的なので、これでは何にもならない。素人では容易な領域ではないのである。

そんなことを思い出しつつ、高校生数人のチャレンジを眺めていると、こうした体験をしてくれるだけで、こちらも嬉しくなってくる。教科書では学べない、「農」の文化の奥深さを、少しでも実感して欲しいものである。

「れんげまつり」のひとコマ。

2006-04-29 19:43:02 | まちづくり
西予市宇和町の「れんげまつり」、今年も大盛況。

第30回の節目となっているが、岡目八目が関わる「宇和わらぐろの会」も、石城(いわき)地区会場で開催するようになってからは恒例参加。わらぐろの製作体験や、藁製品のオークションなど、何よりこの「輪投げ」が結構人気だったりする。

当初は、わらぐろの製作だけでは、なかなか人が集まらないので(実際積む方に参加する人より、見物人あるいはカメラマンが多い)、何かもっと関心を持ってもらう方法はないか、というので企画された。丁度、わらぐろを製作すると、「ナル」と呼ばれる中心の柱に向けて、竹製の輪を放り投げ、入った方には景品を。ということで、それが見事に当たった。
一回百円で輪を五回投げられるのだが、これが結構入りそうでナカナカ入らない。
ただし、何回かやってると、要領もあって慣れてくるので、当然入る確立は高くなる。

今日の場合は、一回入ると米1キログラム。もしも五回全部が入ると、当会の上甲会長特製の「ミニわらぐろ」進呈。はずれの方には、宇和中町池田屋特製の「わらぐろケーキ」。
やはりニンゲン、こういうシチュエーションはやってみたくなるらしい。何度も同じ顔ぶれが列に並ぶ。大人の方がムキになることも結構あって、ナカナカ楽しい。
流石に「ミニわらぐろ」のゲットとはならなかったが、米の方は何キロも手にしたツワモノが何人か居た。

こうして春の一日をれんげ田の中で、親子が一緒になって何かに興じるのは、とても眺めていて気持ちよい。小さい子が大きくなって、何となく「わらぐろ」というイメージに接して成長してくれれば何よりである。

只今、れんげまつりピーク!

2006-04-29 13:31:30 | Weblog
朝の曇天が嘘のようなピーカン照りになってきましたぁ。それにつれて、人出もウナギ昇り。風もあって、恒例の沢山の鯉幟も嬉しそう。わらぐろの会の名物となったわらぐろめがけての「輪投げ」も、多くの親子に人気を博し、大盛況。中には子供そっちのけのお父さんお母さんもいたりして。最高は百円で五回投げて、図書券二千円ゲットのツワモノも。これからウチの上甲会長苦心の藁製品オークション。目玉は知る人ゾ知るミニわらぐろ。果たしていくらの値が付くか。

我が家の春。

2006-04-26 09:58:08 | 季節感
宇和の山田では、我が家の裏の竹やぶがご覧の状況。

次から次に竹の子が生えて、その整理もこまめにやらないと、ちょっと油断すると直ぐにこうなっている。このまま大きくしてしまうと後が大変なので、可愛そうだが伸びすぎないウチに倒すことになる。
モチロン、まだ小さいウチに掘って食用とする。竹の子を食べる分には、好きなほうなのでいくら生えてもイイのだが、だからといってイノシシじゃないんだからそう一辺には食べられない。
で、ご関心の向きにお配りすることとなるのだが、我が家のはあまり手入れもしないご覧のやせた竹やぶで、売り物のように大きな竹の子ではないので、遠慮しつつお渡ししている。
でも、毎年必ずニョキニョキとこの時期になると生えてくる竹の子が、私はとても愛しい。また、不思議なもので、掘れば掘るほど、怒って出てくるような錯覚を覚えるくらい、竹やぶは活性化する。ここしばらくは、家に戻ると竹やぶが気になる季節。

さて、今日はこれから29日「れんげ祭り」の準備。「宇和わらぐろの会」出動である。月曜日にNHKで、うちの会長たちが「わらぐろ」づくりで紹介されてたが、観ていただいた方もあるだろうか。

東雲学園のモダニズム。

2006-04-26 09:41:12 | 建見楽学
東雲学園にある建物では、この校舎も岡目八目の好きな建築スタイルである。

このスッキリした外観は、とても美しい。
ところが、これは間もなく改築となり壊されてしまう。実際のところ、どんな建物になるのか心配をしている。
岡目八目、思うに、教育環境と“美”の相関関係はとても重要である。多感な青春期を過ごす建物として、それがぞんざいな建築であって良いハズがない。かつての日本の小・中学校が、ある種の文部省スタイルというか、どこへ行っても同じ白い箱状のコンクリート建築であったのだが、いつもそのことを不思議に思っていた。どの町へ行っても、学校だけはそれと分かる。恐らくは、機能とコスト、加えて管理の考え方が生んだ、全体デザインであったのだろう。
しかしそれは、よくよく考えてみれば、学校なのだから、何が最も大事かというと、情操や人間性を育むための入れ物として本当は考えないといけない。
そうした知識教育だけでない人間教育の観点からすると、“美”はとても大切な要素なのである。

東雲学園には、このほか、「みつばハウス」と呼ばれるとても素敵な宣教師館があるが、それはまた後日。

外国人建築家と松山。

2006-04-26 09:24:51 | 建見楽学
この建物は、さてナンでしょう。

知らない人がこれを見たら、きっとどこかの城の城門だと思うに違いない。ところが、これは戦前期の擬洋風建築。設計者はJ.H.モーガン。
タネを明かせば、コレは松山にある東雲学園の正門入り口。建築当時のホイテ校長によって、松山城の東麓に立地することから、周辺の環境に合わせた設計意匠が求められ、このような外観の建物となった。もし日本人校長なら、ミッション系の学校であれば、逆にきっと洋風然とした建物になっていたに違いない。そう思うと、外国人ならではの環境配慮、つまりはランドスケープの考え方が教育環境として構想されたことが、とても重要に感じられる。
現在の建築家に求められる、周辺との調和、そういう意味ではとてもレアな歴史遺構なのだ。
モーガンの建築は、昨年の夏に藤沢市において、モーガン自邸が「旧モーガン邸を守る会」などの市民運動によって、(財)日本ナショナルトラストの取得するところとなり、保存された。
その意味では、まだこの東雲学園の建物は全く無名で、その価値が知られていない。実は図面も残っていて、その史料価値も高い。日本人妻をめとったモーガンではあるが、彼の設計作品の中でも特異な建築であることは間違いない。

坊ちゃん劇場。

2006-04-26 08:55:54 | Weblog
先日、日曜日に新装なった「坊ちゃん劇場」へ行ってみた。

ここは松山市の郊外、東温市(旧重信町)。ショッピングセンターや入浴施設もあり、駐車場も広い。秋田県にある「わらび座」が進出したものだが、写真は入り口にあるレリーフ。右端に居るのは正岡子規。野球の名づけ親とも言われる子規さんは、確か野球殿堂入りもしている人で、こんな姿の古写真があったから、それを陶製にしたのだろう。下に並んでいるのは寄付者名を下駄の形の砥部焼きで表現。大きさは寄付の額か。面白い表示方法でした。
それにしても、坊ちゃんスタジアムに続いての坊ちゃん劇場、松山いや愛媛の代名詞?として「坊ちゃん」は偉大でアリマス。